おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2021.07.11column

開催中の「“参加する”映画『祇園祭』資料展から

京都新聞「まちかど」に、開催中の展覧会「“参加する”映画『祇園祭』資料展」について、紹介していただきました。

今回の目玉は何といっても、右壁面に掲示している紙芝居『祇園祭』(1952年、民科京都支部歴史部会製作、全36枚、台本付き)でしょう。今回の展示のために特別にお借りしました。

この紙芝居は、1952年4月10日~5月1日血のメーデーがある直前に、京都大学と立命館大学の4年生有志20人ほどが集まって作りました。メンバーには後の歴史研究者として著名な熱田 公、井ヶ田良治、脇田修、石田善人らがいました。最初に上演したのが5月5日東京大学の構内で開催された歴史学研究会創立20周年大会でのアトラクションとしてでした。展示しているガリ版刷りの台本(B5版)に№1~№13までストーリーが書いてあります。

1952年に製作した最初の紙芝居は、残念ながら見つかっていませんが、展示しているものより大判だったようです。今回展示しているのはそれをもとに描き写したもので、絵だけでなく台本にもいくつかのバージョンがあったうちの一つ。『祇園祭』は人気があって、二人ぐらいで持ち歩いて各地で上演していたようです。写真版もあって原本を抜粋したダイジェスト版のスライドで、関西映画幻燈文化協会が製作・配給、京都民科がシナリオと共に広く貸し出し、翌年にかけて各地で上映されたことがわかっています。

昨年講演していただいた田中聡・立命館大学教授にお聞きしたところ、上掲本『祇園祭』(1953年)は、1952年に東大で上演した作品をベースに決定版の台本が作られ、絵も追加され(1953年1~2月)、最終完成版として載せているようです。作画は大藤了と言う学生さんで、当時は京都大学法学部で漫画研究会に所属していました。上段に絵、下段に台詞が載っていて、本の後半に学生たちに影響を与えた歴史学者林屋辰三郎の解説が載っています。

この本の「あとがき」冒頭部分を、少々長いですが以下に引用します。

………「僕たちはなんのために歴史学を学んでいるのだろう。」私たちのあいだでこうした疑問が起こってきた。「誰にもわからないようなむずかしい言葉を使って論文を書くよりも、花岡物語のような紙芝居を作って、国民の皆さんに歴史学を役立たせよう。」こんな意見をのべる人もありました。

 いまからちょうど一年前、あれほどみんなで反対した単独講和条約と日米安全保障条約も批准され、日本がいよいよ植民地になったころのことです。(略)

 長いあいだ私たちの祖先が産み育ててきたもの、そのなかに私たちはもっととけこんでそれを生みだす悩み、それをまもる苦しみをはっきりみつめよう。祇園祭一つとっても、これは町の人人々が権力とのたたかいを通してまもってきたものだ。そうだ祇園祭を紙芝居にしようじゃないか。

 こうして私たちは歴史学研究会の大会をめざして紙芝居を作りはじめました。………

当初監督の予定だった伊藤大輔は、この紙芝居台本を1部入手した時から、映画化構想を練っていました。大島渚監督はキネ旬1969年4月1日発行、第492号で「1958年だったと思うが、円山公園でのあるカンパニアの為に紙芝居『祇園祭』を基礎にした舞台用の脚本を書いた」と書いています。残念ながらこの台本は気に入られず、加藤泰監督が新たに書かれたようですが、どこかにその台本が残っていないものでしょうか?

その後1961 年3月30日に西口克己が小説『祇園祭』(中央公論社)を書き下ろします。1961年暮れに東映で伊藤監督・中村錦之助主演で映画化の話が持ち上がりましたが、費用がかかりすぎると立ち消えに。その5年後に中村錦之助は、東映のやくざ映画、暴力映画路線に反発して東映を去り、日本映画復興協会を立ち上げて、この映画化実現へ動き出しました。その間、1963年10月に木下順二台本監修、宇野重吉演出、間宮芳生作曲の松山バレエ団によって『祇園祭』が公演され、1966年2月に大阪労音で依田義賢脚本、外山雄三作曲、島倉千代子主演でミュージカル公演がなされました。若者たちによる紙芝居から始まった『祇園祭』は、演劇や小説、バレエ、ミュージカル、そして映画へと様々な表現を通して、多くの人々に感動を与えました。そういう視点から、展示している紙芝居をぜひご覧頂きたいです‼

嵯峨野高校他で映研顧問を務められ、多くの映画少年を育てた藤村尚美さん(85歳)は、手にしたパンフレット『映画 祇園祭』でも、実は執筆などで活躍されていたことが、7月8日にお話を伺ってわかりました。

同じく7月8日にお話を伺った大映のスチールカメラマンだった都筑輝孝さん(86歳)。この映画の時は、会社から言われて本業ではなく進行係として活躍されました。大映からは他に助監督の宮嶋八蔵さん(溝口健二監督最後の助手で、伊藤大輔監督の助監督)も参加されたそうです。

展示には禁門の変で焼失した菊水鉾が篤志家の寄付で1928年に再建されたときの図面も展示しています。鉾建造のモデルにしたのがスラリとした月鉾でした。映画『祇園祭』では、菊水鉾と放下鉾がそれぞれの囃子方と一緒に生出演していますが、長刀鉾は映画の為に作られました。その時にモデルにしたのは、菊水鉾再建時の図面で、大映の大工方が尽力されたと伺いました。

他にも、京都大学人文科学研究所に寄贈された山本明コレクションから、これまでずっと探し求めていた「映画『祇園祭』製作上映協力会ニュース第5号」(1968年10月27日発行、両面)も展示しています。このニュースは第8号まで発行されていたことが判明していますが、まだ見つかっていない第3号、第6~8号を探しています。お心当たりの方は、ぜひご連絡下さい‼

 

 

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