2024.12.17column
12月8日「活弁上演で蘇るキネマ画『忠臣蔵』」は、大勢のお客様を魅了して無事終了‼
12月8日13時から、同志社大学今出川キャンパス良心館RY104で開催した「活弁上演で蘇るキネマ画『忠臣蔵』」は、京都市「Arts Aid KYOTO」の補助を受け、同志社大学ジャーナリズム・メディア・アーカイブス研究センターと共催として実施しました。人気活動写真弁士で声に張りのある坂本頼光さんと天宮遥さんのピアノ生演奏でご覧いただくからと、大きな教室をお借りしました。音響と照明をプロ集団“クリエイティブコモンズ”さんの協力を得て素晴らしい上演舞台にしていただき、席を埋めた大勢のお客様は大満足いただけたことと確信しています。実施に際し、ご来場いただいた皆様方はもちろんのこと、ご協力いただいた皆様方に心より御礼を申し上げます。
当日は、今回の催しの主であるキネマ画『忠臣蔵』を描いた芹川文彰さん(1911-84)の甥、英治さんご夫妻と、この素晴らしい作品に最初に気付いて記事にされた熊本日日新聞の元記者松尾正一さんが熊本県から来て下さいました。開始半時間ほど前のおしゃべりの中で、「文彰さん」のお名前が「ブンショウ」と呼ぶことを教わり、大慌て。チラシにはわざわざ「ふみあき」とルビを振っていますが、これが間違いだったので、直ぐに登壇者の皆様にそれをお伝えしました。さすが皆さんプロ、「ブンショウ」さんと完璧に発音され、誤りを後世に伝えずに済んで安堵しました。
可能な範囲で参加者の皆さんがどちらから来られたか尋ねましたら、驚いたことに北は北海道、南は沖縄県宜野湾市と超遠方からお越し下さいました。他には東京や名古屋、滋賀、三重、奈良、大阪、兵庫、それに熊本県、もちろん一番多く参加頂けたのは京都の方々です。学生さんの姿を幾人も見ることができました。日本人が大好きなこのお話を、微力でも次世代に継承する役に立ちたいと思って同志社大学の小黒純先生にご協力を仰ぎましたので、良かったです。7歳の女の子が「活弁を見たい」と言ってくれたので、どんな感想を聞かせてくれるかと楽しみにしていたのですが、残念ながら熱を出して欠席でした。坂本さんと天宮さんの熱演で上演した「忠臣蔵」は、きっとご覧になった皆様お一人お一人の記憶に深く刻まれて思い出に残ることでしょう。
会場には、実物のキネマ帖『忠臣蔵』をケースに入れて展示したほか、自由にページを繰って、どのような絵か見て貰いたいと、各ページを複写したファイル3冊も並べました。
熱心にご覧頂き、用意して良かったです。他にも参考になればと、文楽や歌舞伎の「忠臣蔵」パンフレットなども並べました。
アン・へリング先生遺愛の組上灯籠「忠臣蔵両国橋引上之図」五枚続(1892<明治25>年、深川屋<牧 金之助>、復元制作:トニー・コール)も実施に間に合うようにケースを手作りしてご覧に入れました。珍しいので、多くの人が覗き込んで下さいました。赤穂浪士四十七人が本懐を遂げて両国橋に至った場面です。
この日の振り返りは改めて書くとして、東京からお越しいただいた日本映画史研究家の本地陽彦先生が催しの感想を書いて下さいましたので、早速、ご紹介いたします。
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坂本頼光氏、同志社大に獅子吼する
―― 熱演 ! ! 「キネマ画『忠臣蔵』 」――
本地陽彦
(日本映画史研究家、国立映画アーカイブ客員研究員)
東京からも何度か通った太田米男、文代ご夫妻が運営する「おもちゃ映画ミュージアム」が、来春の移転を控えての、従って「第一幕 終幕記念」と銘打った、「活弁上演で蘇るキネマ画『忠臣蔵』」と題した一大イベントを、同志社大学良心館内の大きな教室を使って開催した。
今から100年ほど前、当時の大スター・尾上松之助主演の無声映画「忠臣蔵」を観た、弱冠15歳の少年だった芹川文彰氏が、3年の歳月をかけてその全編を、ずば抜けた記憶力と勢いある筆致とで再現する如くに描いた画帳のことは、これまでも「おもちゃ映画ミュージアム」のサイトでも紹介されて来たが、今回のイベントは、その画帳に描かれた絵画を、新たに「キネマ画」と名付けた上で、その画面の数々を、あたかも映画そのものの如くにスクリーンに映し出し、活動写真弁士の坂本頼光氏が、何とオリジナル台本を作成して、サイレント映画ピアニストの天宮遥さんの伴奏と共に、全編を一気に語り尽くすという、私のような映画史研究をしている者には勿論のこと、無声映画ファン、否、「忠臣蔵」を良くは知らないであろう一般の若い映画ファンにも、これだけは見逃せない、という好企画である。
加えて、歌舞伎研究家として知られる早稲田大学の児玉竜一教授による「忠臣蔵文化とその周辺」と題した、「忠臣蔵入門」とも言える講演、そして、同志社大学の佐藤守弘教授、京都精華大学の伊藤遊特任准教授による対談「静止した映画・動く劇画」もあって、今回の芹川氏の作品を、それぞれ専門の立場から多角的に分析するという、贅沢三昧の一日である。
前座、と言っては失礼に当るが、児玉教授の例の如くの漫談さながらの解説は、「人は、いかにして『忠臣蔵』に出会うか?」として児玉教授ご自身の、その出会いの体験から始まったが、一応は田川水泡の「のらくろ」漫画を取り上げておられたものの、実は三波春夫の隠れファンで、歌謡浪曲「俵星玄蕃」の「サクッ、サクッ、サクッ」という名調子に惚れて毎年夏の三波春夫歌舞伎座公演に通っているうち、それが切っ掛けとなって歌舞伎ファンになったのではないか、と講演する当人が勝手に盛り上がっておられる姿を拝見(笑)して、確信した次第である。とはさておいて、歴史上、取り上げられた様々なジャンルの「忠臣蔵」、テレビ、人形浄瑠璃から、日本の古典的音楽、舞踊、近代演劇、落語などの演芸、そして漫画、映画と、いつの時代も大衆の娯楽の中にその「忠臣蔵」が取り上げられていたことを、改めて判り易く解説された。
佐藤守弘氏、伊藤遊氏の対談からも、今回の芹川氏の「忠臣蔵」画帳そのものが、マンガ、劇画の歴史資料としても、極めて興味深い貴重なものであることを教えられた。話が前後するが、太田文代さんからも、「この画帳を一冊の本に出来ないか」と呼び掛けられていたが、それは当然のことながら、映画史資料としても価値あるものなので、形になることを是非とも期待したい。
そして、「活弁上演で蘇るキネマ画『忠臣蔵』」である。この芹川氏(芹川少年、とすべきか)描く「忠臣蔵」画帳は、いわば、尾上松之助主演の作品をシーン、いやそれ以上に、カットごとに一枚一枚の画に描き、それを順に追っていけば、即ちページを繰っていけば、映画全編がどのようなものであったかが判るという、些か信じ難いレベルでの出来栄えなのである。映画は撮影に入る前に、普通はカットごとのコンテを描くが、この「キネマ画」はその逆に、言わば完成した作品からコンテを描き起こした、とも言えようか。芹川氏は東京美術学校へ進まれたものの、病のために休学して画業にはつかれなかったということだが、少年の集中力とは思えぬ筆力、タッチも見事なもので、その数、およそ500カット、ページにして180という、少年がスクリーンで見た記憶だけを頼りにして、映画作品をまるごと再現したのである。
今回の企画では、そのうち約400余カットをパソコンにスキャンして、坂本頼光氏が、一本の映画作品さながらに次々とそれをスクリーン上に映し(PC操作も坂本氏)つつ、見事な台本を作り上げて、そもそもがそうした作品があったのではないか、と錯覚させるほど、そして些かの誇張を加えて言えば、それは決して三波春夫の「俵星玄蕃」にも劣らぬ迫力でもって、少しの淀みも無く観客の耳に、眼に迫って来たのであった。
もう15年ほど前のことであろうか、溝口健二監督の「血と霊」と言う無声映画の、その欠落部分を、当時の映画雑誌等に掲載されたスチール写真で補って、一本の作品として再現する試みがあったが、今回は、無名の少年が描いた絵画でありながら、それとは違った次元での、失われた無声映画を再現する方法として新たな地平を切り開いた、とでも言えるであろうか。もちろん、こうした絵画の例が他にあるか否かはここでは問わないが、そもそもが「動く」映像が前提としてある映画だが、「動かない」絵画からも、こうした復元の試みが可能であることを証明した、と評価して誤りは無いであろう。坂本頼光氏も、今回に限っては「活動写真弁士」として登壇したのではなく、「活動しないキネマ画弁士」という肩書であった、ということである。彼は、その第1号、なのである。
残念なことに、否、勿体ないことに、今回の企画は1回限りの上映である。「おもちゃ映画ミュージアム」の活動も、来春の再開まで待たねばならない。私も映画の勉強を始めてから、既に50年以上の年月を経て来たが、確かにその始めた頃に比較すれば、映画史を見直す機会も、またそういった保存機関、施設も増えては来ているが、果たしてそれで充分か、と言えば、とても胸を張って誇れるような環境にあるとは、とても言えないであろう。散逸し、失われていく映画作品、映画資料に対して、今こそより一層の救いの手を差し延べる必要がある。
おしまいになるが、今回の企画の再映を期待するのは勿論のことだが、「おもちゃ映画ミュージアム」の、移転後の更なる発展をも願ってやまない。
そしてまた、映画史研究者として、いち観客としても、今回の企画実現、実行に力を尽くされた皆さんに、心からのお礼を申し上げたいと思う。
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本地先生、誠にありがとうございました!!!!!
上演時間の制約から、約500コマの中から泣く泣く100コマを省き、自ら編集した『忠臣蔵』を、パワーポイントの操作もしながら熱弁をふるう坂本頼光さん。阿吽の呼吸で、編集版初見にもかかわらず見事な伴奏で盛り上げてくださったサイレント映画ピアニストの天宮遥さんです。
100人ものお客様が会場にお越し下さいました。盛会のうちに無事終えることができて安堵しています。共同開催1回目の2022年12月18日は「シベリア抑留って知っていますか?part2~女性抑留経験者の証言映像と講演~」をし、2回目の2023年12月2日は「証言とスケッチ画で蘇る“南方抑留”の苦難~敗戦後、東南アジアで抑留された日本兵~」ということで、野田明さん(1922-2018)が残したマレー抑留のスケッチ画をテーマにご子息をお招きして実施しました。小黒先生からは「第4弾もやりましょう!」と言って頂き大変嬉しく思っています。既にアイデアの一つは思いついているのですが、これからの出会いによってまた変わるかもしれず、何をするのかに今後ともご注目頂けると嬉しいです。
最後に関係者の集合写真を。前列向かって左から、天宮遥さん、伊藤遊先生、後列左から松尾正一さん、芹川英治様ご夫妻、中央に太田二人、その後ろに坂本頼光さん、児玉竜一先生、小黒純先生。写ってはいませんが、司会進行と対談で大活躍の佐藤守弘先生、スタッフとしてお世話になった㈱クリエイティブコモンズさん、布施さんと小山さん、柳原さんにも御礼を申し上げます。ありがとうございました‼