2024.12.20column
国立映画アーカイブへの寄贈
この度、東京の国立映画アーカイブに極東映画『武道春秋』(1941年)のコンテ台本のコピーを寄贈しました。
無事に届いて担当の大澤 浄さんから「たいへん貴重な資料ですね。感謝申し上げます。」と一昨日無事に届いたことのお礼メールが来ました。私自身は知識がなくて「極東映画」について聞いたことがなく、知らなかったのですが、かつて大阪府羽曳野市古市にあった撮影所でした。連れ合いが長年勤めた大阪芸術大学の最寄り駅がある場所ですね。
国立映画アーカイブで客員研究員をされている日本映画史家の本地陽彦先生から今朝メールが届き、昭和17年版(1942)の『日本映画年鑑』とキネマ旬報の『日本映画監督全集』の該当箇所のコピーが届きました。
それによりますと、大阪の堺市生まれの内村禄哉監督は、日本の実業家で政治家であった著名な小林一三の三男、米三と野球部で一緒で、関西学院大学文学部で英文学を卒業後、東亜キネマに入社します。その後東活、宝塚キネマを経て、宝塚映画ができると転社して、短編の『レヴューの出来る迄』を試作して、映画法による演出者として登録されます。
連れ合いが入手したコンテ台本コピーが入っていた茶封筒の表紙には、◎を付してこの作品のタイトル「レヴューの出来るまで」が書いてあります。短編記録映画のようです。次に『支那人形』のタイトルも書いてありますから、おそらく内村監督の作品ではないかと思うのですが、わかりません。
今回寄贈したコンテ台本の『武芸春秋』は極東キネマで製作され、昭和16(1941)年1月7日に封切られた4巻1086mの長さの中編で、彼の劇映画第1作。戦時中は朝日映画社で文化映画の『紙から紙へ』や、同じく『空征く少年通信兵』を演出しています。戦後になって関西テレビ開局と共に活躍の場をテレビ局に置き、プロデューサーとして数多くのテレビ番組を制作しています。ネットで検索してみますと、SP盤『寶塚 懐かしのふるさと/久慈あさみ 内村禄哉作詞 河村篤二作曲」というのが昭和25(1950年)に発売されていて、作詞家としても活躍されていたようです。一番いいのはかつての映画作品が見つかることですが、せめてコンテ台本でも良いので、『レヴュ―の出来るまで』や『支那人形』などが見つかれば良いのですけど。こうした話題から、極東キネマや内村さんに関する情報が得られることを期待しています。
さて、国立映画アーカイブの別の担当の濱田尚孝さんからもメールが届き、昨日16時から「フィルムは記録する 国立映画アーカイブ歴史映像ポータル」で当館から寄贈したフィルム2作品も含む20作品が公開されたと連絡がありました。当館から寄贈したフィルムというのは『嗚呼乃木將軍』(家庭活動寫真謹寫)と『明治天皇 御大葬餘影』(家庭活動寫真謹寫)です。それらは珍しい規格の17.5㎜フィルムで、国立映画アーカイブで35㎜に不燃化されました。共に東京神田にあった家庭活動寫真が1912年に撮影した映像で、同社は小型映画やアマチュア映画の普及を目指して曾根眞文が設立したということです。いずれも「明治の終わりを記録した貴重な映像」だと紹介して頂きました。他の映像と併せて、ぜひご覧下さい‼