おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2025.03.25column

新刊『刺青絵師 毛利清二ー刺青部屋から覗いた日本映画秘史』をご恵贈いただきました!

3月30日に発行される『刺青絵師 毛利清二―刺青部屋から覗いた日本映画史』(青土社)がひと足早く届きました。カバー装画は役者に刺青を描く毛利清二さんですが、カバーをめくると表紙装画は毛利さんによる刺青絵です。さらにページをめくると口絵1は毛利さんが最も印象に残った映画『博打打ち 一匹竜』(小沢茂弘監督、1967年、東映)の主人公鶴田浩二さんの斜め後ろ姿。さらに1枚めくった口絵2は『鬼龍院花子の生涯』(五社英雄監督、1982年、東映)で背中の刺青をみせた仲代達矢さんと岩下志麻さんのツーショット。口絵3はその仲代さんの背中に描いた刺青「龍王太郎」の下絵。さらにページをめくると『女郎蜘蛛』(牧口雄二監督、1996年、東映)で大沢逸美さんに描いた「天女」の下絵。費用の関係からか、ここまでがカラー印刷で楽しめますが、後は残念ながらモノクロ写真です。昨年5~7月に当館内で実際の下絵をたくさん展示して下さったので、その記憶を引っ張り出しながらページを繰りました。どれを載せようか、随分迷われたことでしょう。どの絵も綺麗でした。

執筆は企画展を主になってやってくださった都留文科大学教養学部比較文化学科教授山本芳美先生と、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程原田麻衣さんです。原田さんは2021年から東映太秦映画村・映画図書室学芸員として活動されていて、その中で刺青の仕事を介した撮影所のことについて毛利清二さんに話を聞いて来られましたし、山本先生は2023年に調べもので映画図書室を使用された折に、毛利さんを紹介されたのだそうです。もともと「日本人の刺青イメージを形成した映像が映画作りの現場でどのように作り上げられてきたのかについて何より興味があった。そこでどのように現実の刺青が映画などの映像の世界に影響を与え、反対に映像世界の表現がいかに現実で彫られる刺青の図柄選択や図柄の表現に影響を与えたのかをインタビューによって具体的に明かせないかと考えた」(11頁)という一冊です。

確か、今年4月で95歳になられる毛利清二さんですが、今も頭脳明晰でスラっとした体形、そして何よりお洒落で格好良いです。今年この本出版を記念して5月にトークイベントができないかと計画しています。詳細が決まればお知らせしますので、期待してお待ちくださいませ。

昨年毛利さんの刺青下絵展をした時に、大勢の彫師さんや刺青愛好家の人と知り合いました。昨日出会ったベルギーの人、今朝Zoomで話したアメリカの詩人、テレビのスポーツ番組を見ていてもいろんな彫り物をして自分を自分らしく装っておられる人々を普通に目にする時代になりました。日本においては映画やテレビ番組で毛利さんが俳優さんに施した刺青を何度も見返して勉強した人も多く、そうした会話を企画展期間中よく耳にしました。それに刺激を受けた海外のTattoo愛好家が、日本の刺青からヒントを得て和彫りの魅力発信に一役買っている今日です。

唯一つ残念だったのは、「企画展」と文中に幾度か出てきますが、会場の名前がおもちゃ映画ミュージアムであったことが、巻末の前書き(1)で漸く出てきたこと。37~38ページで太田米男のコメントが載っていますが、この前に「企画展会場だった」と付けて下されば嬉しかったのに、とないものねだり。223頁には会場で撮った毛利さんの写真が載っています。ともあれ、今もSNSで、来館いただいた人々と私は交流を続けていて、こうした出会いを持たらしてくださった筆者の山本先生に御礼を申し上げます。

3月4日東映太秦撮影所ヘ行き、石井裕也監督の撮影風景を垣間見せて貰った帰り、敷地内にある俳優会館を小雨降る中見上げました。この会館内の通称「刺青部屋」で毛利さんは、1964年から2010年9月24日にここを退去されるまで随分長きに亘って、剣友会のメンバーも兼ね乍ら刺青を俳優さんたちに描き続けて来られました。東映映画のことなら一番よく知っている方です。東映撮影所の至宝ですね。5月にお元気な姿を拝見するのを、今から楽しみにしています。

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