2025.04.29column
2023年11~12月に紹介した南方抑留のスケッチ画と文集『噴焔』が活字化されたことを長崎新聞が記事掲載
2023年11月1日~12月24日に“知っていますか?”シリーズ第3弾として、長崎県佐世保市の野田明廣さんのご協力で「敗戦後、強制労働させられた降伏日本兵のひとり、野田明が残したマレー抑留のスケッチ画展」をしました。
野田さんのお父様の明さん(1922‐2018、享年96歳)は、第二次世界大戦で南方戦線に従軍し、敗戦後マレーで約2年間の抑留生活を送りました。絵が上手だと知った上官の指示で「帰国を早めるために」、描く道具も不十分な中、工夫を重ねながら強制労働の日々のスケッチを続けました。隊では1947年3月に抑留生活を記録しようとみんなで協力しながら、紙漉きなどから全て手作業で文集『噴焔』を500部作りました。病気のこともあり少し早い目の帰還が叶った野田さんは、没収されないよう命がけで手元に残ったスケッチ画と文集『噴焔』1部を持ち帰りました。
この資料の存在に最初に気付いた長崎新聞犬塚泉記者のお声がけで、捕虜研究をされている岡山大学大学院中尾知代准教授が生前の野田明さんに取材を重ね、その内容は長崎新聞で連載されました。2022年12月同志社大学でシベリア抑留をテーマにした“知っていますか?”シリーズ第2弾をした折に、中尾先生から野田明さんの資料の存在をお聞きして関心を持ち、犬塚記者経由で明廣さんに繋いでいただき、実現したのが冒頭2023年の展覧会でした。展示しながら「スケッチ画も貴重だけど、この文集が貴重だ」と思っていた私は、12月2日同志社大学で実施したシンポジウム「証言とスケッチ画で蘇る“南方抑留”の苦難-敗戦後、東南アジアで抑留された日本兵」の最後に、参加者の皆様に「どなたかこの文集を翻刻して、活字にするのを手伝ってくださいませんか?」と呼びかけました。
その呼びかけに答えてくださったのが、京都大学東南アジア地域研究研究所准教授の山本博之先生でした。シンポジウム翌日の12月3日に来館され、実際にご覧になって「やってみましょう」ということになりました。その当時は「来年が戦後80年の節目ですから、その時に佐世保で発表できたら良いですね」と話していたのですが、わずか10か月で完成し、昨年10月末に本になりました。その本を頂戴した折のことはこちらで書いています。
この本の内容が読めるようになったことで、中尾先生のJSP(降伏日本兵)研究や、山本先生のマレーシア現代史研究にも大いに役立つことでしょうし、何よりも多くの南方抑留経験者のお身内の方たちにとっても貴重な資料となることでしょう。どなたでも、こちらにアクセスすればお読みになれます。
一足早く2月5日付け読売新聞夕刊で京都総局の若い岩崎祐也記者が記事掲載してくれました。その折のことはこちらで書いています。そこでも紹介しましたが、岩崎記者は「戦争について我々世代が報じなければならぬと思いを新たにしました」と頼もしいメールをくれました。その後、佐世保の野田明廣さんに連絡し、スケッチ画や文集の保存について進展があるか確認したところ、急いておられる様子でもないように感じました。きっとお父様の思いを傍でずっと感じていたいとお思いなのでしょう。同志社大学で実施したシンポジウムだけでなく展示もご覧に、ご一家と親せきの皆さまが総出で来てくださいました。野田さんは「とてもやさしい人だった」と口々におっしゃっていました。いつでも傍で見ることができるスケッチ画の数々は、その人柄に触れて思い出すことができるかけがえのない宝物なのですね。
仮に、どこかに寄贈して社会的に保存活用してもらいたいと願っても、昨今は予算が削減され、人手や保存場所もなく受け入れを断らざるを得ない状況だとよく聞きます。私どものような小さなミュージアムでさえ今後のコレクションの行方を心配して暗澹たる思いでいます。この話を犬塚記者にしたところ、「現在の生活を守るために過去を切り捨てざるを得ない状況に置かれているなら、私たちは精神的にも貧困化していくだろうなと感じます」とかえってきました。経済最優先で進み、文化はいつも置いてきぼり。目先ばかり追いかけるやりかたでは、心が先細りします。
【余談】最近は新聞を読まない人が多いですが、紙面を開くと古今東西いろんな情報が載っていて、今まで知らずにいたことに気付かせてもらうことがよくあります。ネットで自分が関心を持つことのみ見ていると、どんどん考えも狭くなるような気もします。ところでお送りいただいた長崎新聞を見ていて驚いたのは、各紙面の上部に「紙面編集・●●」と担当者のお名前が載っていることでした。面白いと思って犬塚記者に尋ねたところ、20年ほど前から「自分の付ける見出しとレイアウトに責任を持つ……という趣旨で始まりました」とのことです。記事を書いた記者さんが指示することもあるようですが、責任と誇りをもった紙面づくりになる良い考え方だなぁと思いました。他の新聞社でもあるのかしら?