2024.11.10column
野田明さんが命懸けで持ち帰ったマレー抑留のスケッチ画と作業隊が編集した文集『噴焔』が1冊の本になりました‼
10月29日に来館いただいた京都大学東南アジア地域研究研究所准教授山本博之先生が手にしておられるのは、刷り上がったばかりの本『南方抑留資料が現代に問う「戦争」と「戦後」—文集『噴焔』および野田明氏スケッチから』です。発行者は同研究所。
昨年11月1日~12月24日まで“知っていますか?”シリーズ3「敗戦後、強制労働された降伏日本兵のひとり、野田明が残したマレー抑留のスケッチ画」展をしました。関連して12月2日に同志社大学今出川キャンパスでJSP(降伏日本兵)研究の岡山大学准教授中尾知代先生の講演と長崎県佐世保市から野田明廣さんにお越し頂いて、父・明さんについてのお話を伺う催しをしました。そのご案内についてはこちらで書いていますが、チラシを再掲します。
この時の様子をYouTubeで第一部と第二部にわけて公開していますので、お時間があるときにご覧頂ければ嬉しいです。12月2日の催しの時に、私はマレーで抑留されていた野田さんたちの部隊が、想像を絶する過酷な環境下でもめげずに自分たちの体験を書き残そうと取り組み、紙を漉くところから始めて手作り文集『噴焔』を作られたことが大変貴重で書かれていることも重要だと思い、「何とか活字化して残したい」と参加者の方に協力を呼びかけました。
その思いが届いて、翌日山本先生が奥様と一緒に来館。それが先生との初めての出会いでした。その時のことをブログで書いていますので、再掲します。
………午後にお越し頂いたのは、京都大学東南アジア地域研究研究所准教授の山本博之先生。奥様の京都先端科学大学嘱託講師後藤多恵先生が、2日の催しに参加して下さり、お二人で実際のスケッチ画を見に来てくださいました。お二人とも高校時代に交換留学生としてマレーシアで学ばれたことがあり、現在も山本先生はマレーシアを、後藤先生はインドネシア・北スマトラ州をフィールドに研究されていて大変興味深くご覧頂きました。
手にしておられるのは野田明さんが持ち帰られた「エンダウ海軍作業隊」で帰国前に手作りした文集『噴焔』。とても貴重な資料だと思うので、2日参加者の皆さんに「どなたか活字化を手伝って下さらないかしら?」と呼びかけたのですが、その翌日に山本先生が手を挙げて下さいました。これまで中尾先生が野田さんからお聞きになった話、調査された内容、スケッチ画とあわせ、『噴焔』が本の形になれば南方抑留に関する立派な資料として活かされることでしょう。完成が今から大いに楽しみです。ちなみに、山本先生のおじいさまは佐世保出身で南方の戦線に従軍されていたそうで、お父様も高校まで佐世保にお住まいでした。さらに言えば、野田明さんが抑留されていた「エンダウ」は山本先生のかつての留学先の町に近い土地だったそうで、不思議なご縁があったのだなぁと思います。………
それから10か月で本が完成したのですから、素晴らしいです👏👏👏先生が手にしておられるのが、野田明さんが命懸けで持ち帰られた『噴焔』です。背後に写り込んでいるのが、慰みにみんなが詠んだ川柳に野田さんが得意な絵を書き添えたもの。多くのスケッチ画を展示しました。材料がない中、日本軍の地図の裏紙を用いたり、作業隊の事務室にあった鉛筆や墨をすって使ったり、医務室のヨードチンキや消毒液、青いインクなどを用いて色水を作って色を工夫したそうです。山本先生の本では全てモノクロ掲載になっていますが、表紙や裏表紙には彩色スケッチ画も載っています。山本先生の奥様の話では、手書きの癖字判読に相当難儀されたようですが、要所要所で書道の先生をされている義母様や仲間の方にも助言を得られたようです。
本には野田さんが命懸けで持ち帰られたスケッチ画181点のリストも6頁に亘って掲載されています。中尾先生が生前の野田さんからお聞きになった話(2014年11月29日)では、スケッチ画を描くように言ったのは大隊長で、「大隊長が状況のスケッチを内地の復員局に送って、内地送還を早くするように送っていました」と証言されていますし、長崎新聞2015年1月3日から始まった連載「よみがえる抑留の日々—野田明のマレースケッチ」第3回の紙面でも「『私が描いたスケッチは、内地送還を早めてもらうために、本国の復員局に送られた』。当時野田さんは多数の絵を大隊長に渡したと語る」とあります。想像するに、当然ながら今は復員局はありませんが、もっと過酷な抑留の様子を描いた多くのスケッチ画が、資料を引き継いだどこかの部局に保存されてはいないかしら?と思います。
野田明さんが佐世保港に戻られたのが1947年7月のこと。それから77年後に、マレーでの過酷な抑留生活の実態や抑留中に思索した内容を綴った貴重な資料が、広く読んで知って貰える形になったことが素晴らしいです。最近では、人気俳優二宮和也さん主演の映画『ラーゲリより愛を込めて』(2022年12月公開)の影響もあって、シベリア抑留については割と知られるようになってきましたが、南方の日本人抑留者は軍人・民間人を含めて120万人以上に及び、数字の上ではシベリアの日本人抑留者約60万人の2倍に達するにもかかわらず、これまであまり知られていませんでした。昨年の展覧会中に、お身内の方が「実は南方抑留者だった」という声を多く聞かせて貰いました。そのほとんどが体験を語られなかったようですから、この本を手掛かりにして頂けたらとも思います。
野田明廣さんから、メッセージを頂いています。
「96歳で亡くなった父の最後の想いは160枚のスケッチを収めた額装でありました、あたかも自身の青春時代の[魂]そのものと言っていいくらいの存在であり、70数年たったのちでも1枚1枚を見ながら、その当時のことを瑞々しく思い出に浸っておりました。来年は戦後80年、その戦争体験者の大半は逝去され、彼らのニ世、三世が残された想いと遺品を継承しなければならない時期にきています。 そんな折、このスケッチと文集をテーマにした講演と対談会が、同志社大学に於いておもちゃ映画ミュージアムと同志社大学ジャーナリズム・メディア・アーカイブス研究センターの共催で、岡山大学の中尾知代先生にご登壇頂いて開催されました、その会場に今回執筆された山本先生の奥様が来場されており、幸いにも山本先生の研究テーマでもあったことから、この題材での本を企画していただきました。 長崎県佐世保市は積雪が滅多に無い地でありますが、たまたま今年の1月は雪景色でした。その中をご夫妻で訪問いただきました。 この本の完成に当たって山本先生ご夫妻及び関係各位の皆さまに厚く御礼申し上げます。野田明廣」
山本先生によれば、本は150部発行し、非売品で、抑留・引揚げに関する記念館・資料館・図書館や東南アジア研究に関わる大学図書館に寄贈されたそうです。インターネットで全文公開しようと目下準備中で、もうしばらくしたら京都大学学術情報リポジトリ(KURENAI)https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/ で全文公開され、どなたでもアクセスすれば、オリジナルスケッチ画の通りカラーでご覧になれます。
内心では、戦後80年を迎える2025年に長崎県佐世保市で本発行のお披露目になれば良いなぁと思っていましたが、想定していたよりも早く本が発行されて驚いています。一生懸命取り組んで下さった山本博之先生の尽力に敬服すると同時に、多少なりともかかわった者として心より御礼を申し上げます。ありがとうございました‼