2025.04.30column
元離宮二条城「アンゼルム・キーファー ソラリス」展へ
25日に来館いただいた東京の高橋さんに「とても良い展示でした」と教えてもらい、28日浜松からお越しの稲垣さんもご存じだった「アンゼルム・キーファー展」。そんなに良いのなら実見をと思い立ち、少々肌寒い日ではありましたが、青空が広がって久しぶりの休日を楽しもうと連れ合いを誘って、二条城へ。あとでわかりましたが、この展覧会は事前予約制だったのですね。少しモタモタしましたが、無事に見学できることになり、二の丸御殿台所、御清所(ともに重要文化財)へ、いざ!
ここは京都国際映画祭のオープニング会場として、何度もうかがったことがある場所。映画祭が終わってしまった今となっては、残念な気持ちが強く、遠い昔のような気さえします。この敷地内に足を踏み入れた途端、10mもある大きな作品が目に飛び込んできて、度肝を抜かれます。
「オクタビオ・パスのために」。帰り際に関係者の方にお聞きした話では、キーファーさんはこの二条城の狩野永徳らの金碧障壁画をご覧になった時に感ずるものがあり、それで2024年に制作された作品だそうです。
その中央に描かれた部分。「何をか、いわんや」という表情ですね。門のところで入手したチラシを読むと、1945年3月にドイツで生まれたアンゼルム・キーファーさんは、現代で最も重要なアーティストの一人。二条城から戻ってようやく知りましたが、連れ合いが知人から頂戴したはがきに、キーファー展のことが書いてあり、昨年公開されたヴィム・ヴェンダース監督のドキュメンタリー映画『アンセルム “傷ついた世界”の芸術家』で取り上げられた作家さんでした。「それで、映画に関心が深い冒頭のお二人もご存じだったわけだ」と合点。昨年の今頃は私どもは「引っ越し」の言葉が頭を覆っていて、あまり映画を見ることができず、この作品も見逃していました。はがきを下さった人は「広島の原爆の悲劇を描いたもので、うめき声のようなものが聞こえた」と表現されていました。
キーファー自身を登場させた「アンゼルム ここにありき」。映画の解説を引用すると「ナチスや戦争、神話などのテーマを、絵画、彫刻、建築など多彩な表現で壮大な世界を創造する、戦後ドイツを代表する芸術家。1991年、高松宮殿下記念世界文化賞・絵画部門を受賞。(略)1993年からは、フランスに拠点を移し、わらや生地を用いて、歴史、哲学、詩、聖書の世界を創作している。彼の作品に一貫しているのは戦後ドイツ、そして死に向き合ってきたことであり、“傷ついたもの”への鎮魂を捧げ続けている。」
「オクタビオ・パスのために」が、どれぐらい大きな作品かがお分かりになると思います。手前の作品は「マアト・アニ」2018-24の作品。
キーファさんにとってアジア最大規模で、33点の絵画や彫刻が展示されていました。そのほとんどが自然光だけの展示。天候の時々刻々と変化する様に応じて見え方も異なりますし、多用されている金の輝きも変化。
庭園に聳える高さ約9mの巨大な彫刻「ラー」。エジプトの太陽神の名前です。パレットに大きな翼が生えて、京の青空に羽ばたこうとしています。
グッズ販売の人にきいたら、世界遺産、国宝の二条城での展覧会なので、「ラー」の支柱を土を掘って埋めるわけにもいかず、中央に鉄板を敷いて支えているのだそうです。たくさんの小麦を使った作品の時にも、砂を運んで設えが大変だったろうなぁと関係者の苦心を思いましたが、「ラー」に大変な苦心がありました。
きっと翼の部分はできるだけ軽くする設計なのでしょう。
連れ合いがいるあたりまで鉄板が敷いてありました。展示作品を選んだり構成を任されたファーガス・マカフリーさんが、2022年にキーファーさんのスタジオを訪ねたところ、小麦を使った作品に金地と黒インクを用いている作風を見て、二条城の金碧障壁画を連想し、そのことをキーファーさんに紹介されたということです。このヒントが、興味を示したキーファーさんの作品に影響を与えました。そして今回の大規模な展示が実現しました。それにしても、このように大きな作品をどうやって運ばれたのでしょう?係の人に尋ねると「分割して箱詰めして船で運んだ」のだそうです。いやはや、大変。
ネットの記事で「保税制度」という言葉を知りました。輸入許可を受ける前の外国貨物を、関税や消費税の支払いを一時的に回避しながら、税関の許可を受けた場所で展示できる制度らしくて、関西万博会場も今回の元離宮二条城という世界遺産が用いられた初の事例となったそうです。この制度がなければ大変な税金がかかったでしょうね。ともあれ「アンゼルム・キーファー:ソラリス」展は国内でここだけの特別展。近くでこのような作品を拝見できてラッキーでした。6月22日まで無休(入場者数制限あり)だそうです。