おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2025.08.15column

終戦から80年

今日8月15日は終戦記念日。6月28日に実施した講演会「西陣空襲から80年~戦争を繰り返さぬために~」では、1945年6月26日に西陣を襲った米軍機による空襲の被害者である水口章さん(90歳)に、5月8日インタビューした折の映像をご覧にいれました。本当は直接皆さんの前でお話をしていただきたかったのですが、足を悪くなさっているのでご自宅へ訪問してお話を聞かせてもらいました。朝日新聞の記者さんがこのことを記事で紹介してくださったご縁で、つい先日KBS京都さんから依頼を受けて、水口さんにお繋ぎしました。終戦記念日の今朝、KSK京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」のコーナー「ほっかほか今朝の聞くサプリ」(7:15頃~約13分間)に、水口さんが電話出演されました。最近よく耳にする記憶継承課題ですが、子どもの頃に空襲に遭い、お姉さんを亡くし、弟さんもケガをし、家が破壊された経験をされたご本人のお話を聞けたことは大変貴重な機会となりました。

15日来館いただいたお客様の中から陳明さんを紹介。福建省福州市にある大学で日本のコミックの研究をされていて、おもちゃ映画について調査にこられました。お話をしていたら、黒竜江省鶏西市(Jixi)のご出身だとわかり、終戦記念日に彼の地からのお客さまとお会いできたことに驚きました。私が指をさしているところに鶏西市があり、その少しだけ北西に行ったところに佳木斯市(Jiamusi)があります。

以前、「『満洲国』って、知っていますか?」、続いて「シベリア抑留って、知っていますか?」展をした折に、黒竜江省、ジャムスなどの地名をよく聞きました。

上掲は、6月のアンティークフェアで買い求めたはがきの1枚です。まだ幼さも残る少年たち「義勇隊」が、中国東北部、ソビエトとの国境近くに送り出され、農業に励むと同時に銃の扱いを学んだ後、国境警備の任務を背負わされました。

2020年夏に開催した「資料展『満州国』って、知っていますか?」の折に、水戸市内原郷土史義勇軍資料館からお借りした「写真集 満蒙開拓青少年義勇軍」の中の1枚です。5年経っても忘れられない一枚です。3年に及ぶ義勇隊訓練を終えて、第一次義勇隊開拓団が入植したのは昭和16年10月1日、第二次は昭和17年10月1日に入植、第三次は昭和18年10月1日入植、第四次は昭和19年6月1日入植、第五次は昭和20年6月1日に入植しています。全国各問から15歳前後の子どもたちが送出されました。

警備

銃を抱いて一人立つ

万里荒野に夜は深く

遠く吠えるは狼か

ああ嫩江下の歩哨

小谷政雄さんの詩です。

1931年の満州事変を経て、1932年に日本の傀儡国家「満洲国」が建国されてから1945年の敗戦までの14年間に、約27万人が中国東北部に移住しました。戦争末期の1945年8月9日にソビエトは日ソ中立条約を一方的に破棄して侵攻。状況を先に察知した関東軍は国民を守らず、我先に南下していて、後に残された高齢者や女性、子どもたちは筆舌に尽くしがたい災難に遭われ、集団自決を選択した開拓団もあれば、逃げ続ける途中で息絶えた人々も数多くありました。極寒のシベリアに送られて、長い人では11年間も強制労働に従事させられた人々もおられました。「開拓一路」のはがきからは想像もしない過酷な未来が待ち受けていたのです。

8月5日に観たドキュメンタリー映画『黒川の女たち』(松原文枝監督)は岐阜県からわたった黒川開拓団の人々が、ソビエト軍侵攻から命を守って日本へ帰るために、未婚の若い女性たちを「接待」のためにソ連兵に差し出した事実を、生存されているご本人たちによる証言で綴られていました。「『あんたら娘だけで、どうか犠牲になってくれ』と言われまして」と。このことを語ることは長くタブーでしたが、「なかったことにされてはならない」と人生の晩年に、勇気を奮って証言された彼女たちの勇気を称えたいです。なかったことにされては、また同じ愚を繰り返す恐れがあります。

肥沃な「満洲」に行けば広大な土地が手に入り、豊かな暮らしができると啓蒙されて、日本各地から入植した人々でしたが、彼らが手にした土地は、元から住んでいた中国の人々から安い値段で奪い取ったものでした。「五族協和」とは名ばかり。「黒竜江省」と聞けば、いやおうなしに「満蒙開拓団」の言葉が思い浮かびます。彼の地の人々に日本は酷いことをしてきたのだと、陳さんにお詫びしました。そういえば8月2日に中国の南京から京都の大学に留学中の曹 晨さんにも、「南京」と聞いて、直ぐに「前の戦争の時はお国の人々に、随分酷いことをして申し訳なかったです」とお詫びしました。

彼は首を振りながら、「随分前の歴史です」と仰って下さいましたが、覚束ない英語での簡単な会話でも、彼には「南京でかつて日本軍が何をしたか」の歴史を理解しておられたのが分かりました。これが同じ日本の大学生さんだったら「南京虐殺」の歴史だとすぐにわかるでしょうか?日本は近現代史をあまりにも学校で教えていないように思われます。二度と戦争を繰り返さないよう、歴史を謙虚に学び、相互理解に努めることが大切だと思います

陳さんによれば、ジャムスの辺りは本当に寒いそうです。別れ際に「8月15日に黒竜江省出身の陳さんと会えたことを印象深く思います」と申しましたら、「感謝縁分」(ご縁をありがとう)の言葉を教えてもらいました。お互いに「感謝縁分」の気持ちで前に進めば平和が維持されるはず、そう信じています。

【陳明さんからメールが届きました】

文代様

このたびは、終戦記念日に心のこもった文章をお書きくださり、また貴重な記憶や思いを多くの方に伝えてくださったことに、心より感謝申し上げます。あの日の出会いは短く、また言葉の壁もあって十分にお話しできませんでしたので、ここで私個人の思いを補足をさせていただきます。

私は中国東北の出身です。子どもの頃から毎年9月18日、「九・一八事変」の記念日には街中に防空警報が鳴り響きました。その音は「この日は侵略が始まった日である」と私たちに深く刻み込ませます。私たちにとっては、戦争がどのように終わったかを記憶する以上に、戦争がいかに始まり、人々が侵略によってどれほど苦しんだのかを決して忘れないことの方が大切なのです。瀋陽には「九・一八歴史博物館」が建てられており、重い歴史が数多く保存されていて、中国人なら誰もが一度は訪れる場所となっています。

戦争はすでに起こってしまい、無数の罪なき人々に取り返しのつかない傷を与えました。歴史を記憶するのは憎しみを続けるためではなく、同じ悲劇を二度と繰り返さないためです。私は心から世界の恒久平和を願っていますし、日本においても次の世代に歴史を正しく伝え、平和の尊さを理解できる若者が育つことを切に願っています。私は歴史を正しく記憶することの大切さ、そして悲劇を繰り返さないために、平和な未来は正しい歴史教育によって守られるべきだということを伝えたいです。

あらためて、貴重なご発信と共鳴に感謝いたします。お互いに「感謝縁分」の心を大切にし、ともに平和を守り続けていけると信じています。

敬具

…………………

「戦争がどのように終わったかを記憶する以上に、戦争がいかに始まり、人々が侵略によってどれほど苦しんだのかを決して忘れないことの方が大切」の言葉がズシリと響きます。16日、17日と二夜にわたって放送されたNHKスペシャルドラマ「シミュレーション~昭和16年夏の敗戦~」で主演を演じた池松壮亮さんが新聞のインタビューに「この国の意思決定の流れとして同じような空気が残っていて、こうした黙殺の歴史が続いている。今の時代と照らし合わせて、いろいろと感じることがありました」と語っていました。時の首相直属「総力戦研究所」(実在)に召集された若きエリートたちは、「アメリカ相手に戦争をしたらどうなるのか」を真剣にシミュレーションした結果、「圧倒的な敗北に至る」との結論に達し、開戦を止めようとしますが、国の上層部はその声を黙殺し、12月8日未明、ついにハワイの真珠湾にあるアメリカ海軍基地を攻撃します。

この「12月8日」だって、今の若者は何の日か知らない人が大勢いるのではないでしょうか?日本の場合はいろんな場面において、寝た子を起こさず、臭いものに蓋をして、時が過ぎるのを待っているようなやり方が、別の言葉を借りれば「黙殺の歴史」があまりにも目につきます。こうしたことを続けている限り、悲劇はまた繰り返される恐れがあります。過去に謙虚に学んで、未来を誤らずに照らしていく姿勢が大切だと私も思うのです。

 

 

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