2026.09.21column
「開運!なんでも鑑定団」鑑定士澤田 平先生ご来館!
昨日は、知り合いの紹介で、何ともユニークな先生がお越しくださいました。

日本古銃史学会/堺鉄砲研究会主宰/「開運!なんでも鑑定団」鑑定士澤田 平先生。本業は整骨院の院長(91歳)。好奇心の塊で、展示しているモノに興味津々でご覧になっていました。パテ・ベビーのフィルムを沢山お持ちだそうですので、今度は超珍しい先生のコレクションを見学に伺った際に、それらも拝見したい。

日本古銃史学会/堺鉄砲研究会主宰/「開運!なんでも鑑定団」鑑定士澤田 平先生。本業は整骨院の院長(91歳)。好奇心の塊で、展示しているモノに興味津々でご覧になっていました。パテ・ベビーのフィルムを沢山お持ちだそうですので、今度は超珍しい先生のコレクションを見学に伺った際に、それらも拝見したい。
実にたくさんの資料を頂戴しました。それらを読んでいるだけでなんて面白い方なのだろうと引き込まれます。本も10冊出しておられ、本当に精力的。愛知・三河の砲術師の末裔として長年式砲術と古式銃の研究に取り組む一方、自宅に残されていた元禄期の和時計を修理した際に、その精緻なメカニズムに驚き、古い文献を頼りに独学で製作を始められたそうです。番組のサイトを見たら「鑑定するたびに自分のコレクションの自慢をして突っ込まれる名物鑑定士」とあり、ニンマリ。
頂いた紙資料の中に、次の10月3日(土)、4日(日)柳生忍術学院で江戸時代の「地震予知機」を無料公開するお知らせも入っていました。昨日も「江戸時代の人は凄い!」と、この地震予知機のことを熱く語っておられました。
12月13日熊本県山鹿市で『(実録)忠臣蔵』の活弁上映会があると思いますが、頂いた資料の中には、澤田さんが所蔵されていた大石内蔵助が討ち入りで着用した可能性がある鎖帷子と内蔵助自筆書状を、大阪天王寺区にある吉祥寺に寄贈された折の新聞記事スクラップもありました。いつのことかスクラップに日付がなかったのでネットで検索したら、産経新聞2025年3月22日の記事がヒットしました。


迂闊にも、赤穂藩浅野家祈願所吉祥寺のことは、この記事で知りました。お取り潰しになった浅野家蔵屋敷の門、墨蹟遺物などあまねく納められたそうですが、1945年3月13日深夜から翌日未明までの大阪大空襲で焼失。書状が専門家の鑑定で内蔵助22歳の時の書状と明らかになったことで寄贈されたそうです。村山住職は「80年の長い憂鬱から救われたような感慨がこみ上げている」と喜ばれたようです
かつては12月14日に開催されていたようですが、今では毎年第二日曜日に万松山 吉祥寺で大阪義士祭が催行されると知りました。今年は山鹿市へ行くので見学できまませんが、来年の12月12日にぜひ訪問してみようと思います。そのためにも、元気でおらねば。
産経新聞2014年3月3日~3月7日全5回の連載記事「発掘!日本ハイテクの原点」も面白く読みました。とりわけ2回目の和時計について。記者さんが「和時計とはどのような機械なのですか?」と問いかけたのに対して、澤田さんは「一日を12刻として、日の出や日の入りの時間を変化によって伸び縮みさせるのが和時計の特徴です。世界でも日本だけでつくられた時計です。明治6年から定時法になって役にたたなくなりましたが、アイデアや美術的な価値が外国人に驚かれ、多くが国外に流出しました。櫓時計とも大名時計とも言われて、生産数が少なかったと考えられます。大名や豪商や大きなお寺しか持てませんでしたが、和時計が知らせる時間通りに、お寺の鐘だとか、お城の太鼓が時間を伝達していたのです。江戸時代から日本人の時間感覚は非常に優れていましたが、和時計の役割が大きいといえましょう。」と答えておられます。

今でも京都アンティークフェアにいくと、時折この櫓時計が出ていたりして、足を止めて見入ってしまいます。上掲は澤田先生から寄贈いただいた『鉄砲から見た和時計』(創風社、2024年)から。こうした精緻なものを復元されるのですから、澤田先生は凄い方ですねぇ。
和時計の面白さを最初に教えて下さったのは、2011年春に訪問した松原伸行さん。私どもは「時計のお医者さん」と呼んでいました。澤田さんほど知られていなかったのでしょうが、ご自分でも櫓時計を作っておられました。残念ながらお亡くなりになられましたが、たくさんの時計たちは、主がなくとも、ご家族の手で手入れが成され、変わらぬ時を刻んでいるだろうと想像しています。久々に松原さん宅を訪問した折のことを書いた「歴史探訪京都から-旧木津川の地名を歩く会」ブログを検索したのですが、どういうわけか、2011年4月の記事が消えていて、一生懸命書いていただけに、それがまたショックで悲しい😢 松原さんには、香時計の面白さも教えて貰いました。「いつか6月10日“時の記念日”に香時計の催しがしたい」と話していたのに、それが実現しないまま天に召されたのも悔やまれます。澤田先生と出会って、松原さんとの思い出を辿る日にもなりました。


