2026.10.22column
10月25日川本喜八郎監督が初めて手掛けた長編人形アニメーション『蓮如とその母』上映!

10月27日ユネスコ視聴覚遺産の日、28日が国際アニメーションの日なので、それにふさわしい催しをと考えて、NHK『人形劇 三国志』 (1982~1984年)やNHK『人形歴史スペクタクル 平家物語』 (1993~1995年)で知られる人形アニメーションの巨匠川本喜八郎が手掛けた『蓮如とその母』を上映します。原作は平井清隆『蓮如とその母:法城を築く人々』(1977年9月、滋賀県同和問題研究所から出版)で、滋賀県の同和問題にかかわる4つの団体が川本に制作を依頼した作品。脚本は映画監督の新藤兼人、音楽は武満徹です。全編セリフ劇なので、さすがの川本さんも「人形の口を動かさずに表現するのは難しかったのですが、ベテラン俳優陣の巧みな声に助けられました」と語っておられます。そのベテラン俳優陣はチラシにも名前を書きましたが、錚々たる人ばかり。
平井さんの『蓮如上人の母とその身内』(1996年3月20日、永田文昌堂)を読んで知りましたが、蓮如は子だくさんだったのですね。十四女、十三男。七代目の父存如が亡くなったとき、本願寺の次代の留守職であるという譲り状を与えられていたにもかかわらず、継母如円尼が実子応玄を法王の座に継がせようと策動します。なぜ譲り状があるにもかかわらず、こういう事態に陥ったかというと、蓮如の母の出自が問題だったのです。蓮如が6歳(幼名布袋丸)のとき、存如が正室として如円尼を貰うとわかった生母「れん」は、応永27(1420)年12月28日宵に、本願寺をひっそりと失踪します。「れん」は静かに身を引いて隠れたのです。蓮如の祖父巧如に始まって、父存如、蓮如へと三代にわたり、蓮如の生母の出自に触れることは全くタブーとされてきました。蓮如の子実悟は初めて文献に「生所ヲ知ラザル人」と記し、さらに一転して「石山の観音タリ」と断定し、今も「生所ヲ知ラザル人」説を継承し、2025年の大谷大学博物館「念仏もうさるべし」の展示でも蓮如上人の生母に関しての記述はありませんでした。明治の中頃まで、生母が生まれた地域は七難の仕事をやらされてきたところだったようです。それを憚っての配慮だったのでしょう。

さて、第二部の上映に続き、講演をしてくださる細川晋先生がfacebookでお知らせを書いてくださいましたので、コピペしてご紹介します。氏は川本喜八郎遺作『死者の書』でアニメーターを手掛けた経験があり、だからこそ聞ける話もありましょう。今も川本さん品展示の時は全面的に携わっておられるほか、東京工芸大学アニメーション学科で後進の指導にあたっておられます。


