おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2018.10.12infomation

映画研究者・鷲谷花先生から9月9日に開催した「木村白山って、何者?」の感想文が届きました!

研究発表「木村白山って、何者?」と上映会

 

 9月9日におもちゃ映画ミュージアムで開催された研究発表「木村白山って、何者?」及び上映会に参加しました。

木村白山については、昭和20~30年代に奥田商会の製作した幻灯「アクメスライド」シリーズの作画を複数担当していることもあり、奥田商会の幻灯に関する調査を行った時点から気になっていた存在でした。奥田商会は昭和30年代頃には、全国の社寺と提携して、多数の仏教説話ものの幻灯を製作していますが、木村白山作画の幻灯『善光寺縁起 如是姫』は、52コマ・総天然色の豪華な大作で、信者に仏教の教えを説く目的で作られたと思しき幻灯であるにもかかわらず、随所になまめかしいトップレスの女性の姿が描かれ、多数の仏教説話幻灯の中でもとりわけ目を引く1本でした。

今回の企画でも上映された木村白山の影絵アニメーション『蟹満寺縁起』(1925年)は、幻灯『如是姫』と同様に寺院の来歴を語る縁起ものでもあり、また、蛇に見込まれ蟹に救われる娘のたおやかな立ち姿には、幻灯『如是姫』に描かれた女性たちのイメージとも相通じるものがあったようです。その他、『ノンキナトウサン 新浦島の巻(竜宮参り)』(1925年)の、竜宮城でノントウ氏を出迎えるカフェーの女給風の美女のポーズと、『如是姫』に登場する侍女がほぼ同じポーズで描かれている点なども、きれいな女性を描くのを好み、描き方のスタイルを確立していた作り手としての個性が垣間見られるように思いました。

きれいな女性を描くのを好む木村白山といえば、渡辺泰先生の『日本アニメーション映画史』(共著)でも「日本初のポルノアニメ」と紹介されている『すゞみ舟』の作者として名高い人物です。しかし、「木村白山のポルノアニメ」に関する文献・情報を渉猟された藤元直樹さんのご発表によれば、「昭和四年、または五年、あるいは七年、もしくは十二年に、木村白山がポルノアニメ『すゞみ舟』を作って検挙され、フィルムも押収された」とは、戦後の1952年以降に語られ始めたストーリーであり、裏付けとなる同時代の資料は発見できなかったとのことです。合法的に流通するフィルムであれば『検閲月報』に情報が記載されるものの、非合法のポルノフィルムであれば、製作年月日も製作者名も情報は残らず、結局『すゞみ舟』というタイトルで知られてきた「ポルノアニメ」がいつ、どこで、誰によって作られたのかは、現状では特定不可能ということで、ポルノメディアに対する歴史的検証の困難さを改めて考えさせるご発表でした。

河田明久さんのご発表によると、木村白山は、アニメーション業を離れていた時期は、パノラマ館の背景画、博覧会等のイベント会場の装飾美術などの仕事に従事し、梁川剛一や樺島勝一といった、当時の有名イラストレイターたちの参加した『興亜の光: 聖戦美談』(国史名画刊行会、1939年)や『大東亜決戦画集』(同、1943年)といった戦争画帖にも作品を寄稿していたとのことです。1940年代以前、いまだ完全には定まっていなかった「アニメーター」という職分のみに留まらず、「大衆向けの雑多な絵を描く」仕事を融通無碍にこなしていた画家がそこにはいたかもしれず、その「雑多さ」の部分に興味をひかれるご発表でした。

渡辺泰先生が途中で体調を崩されて退席されたのはまことに心配、かつお話を完全に伺えずに残念ではありましたが、5時間近く集中して木村白山の世界に浸かるかつてない体験を堪能できる貴重な機会となりました。初期の『蟹満寺縁起』には、渡辺先生も指摘されていたようにロッテ・ライニガーの影響が色濃く伺われますが、近年台湾で発見された『漫画 砂煙り高田のグラウンド』では、高田馬場ならぬ高田の運動場(グラウンド)へと向かう堀江安兵衛の疾走の合間に、数人の子どもたちの正面からのクロースアップがたびたび挿入され、何かと思ったら、やがて「堀江安兵衛の活躍は街頭紙芝居の中で起こっている出来事で、クロースアップされる子どもたちはそれを見物していた」ことが判明するという、フライシャーの「インク壷の外へ」シリーズを彷彿とさせるメタな仕掛けが見せられ、同時代の世界のアニメーションの多様なスタイルを採り込み、ローカライズして展開させられる描き手であったことが伺われました。今のところは正体不明の木村白山、この貴重なイベントが、今後のさらなる発見に結びつくことを期待します。(鷲谷 花)

サプライズで登場して下さった鷲谷花先生。ご多忙のところ、「感想を書いて欲しい」という要望に応えてくださり、心より感謝申し上げます‼

最近無知な私が漸く知ったことに、木村白山は紙フィルムも作っていたということがあります。「紙フィルムであっても(自分の)名前が入っています」と書かれた学芸員さんと出会い、彼女の論考を読ませていただいて興味を持ちました。近いうちに可能なら、実見しに行こうと思っています。

今回の取り組みも契機となって、今後少しずつでも木村白山の実像に迫ることができたら良いですね。

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