おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2015.09.28column

第3回無声映画の夕べ

9月12日(土)午後3時から、第3回無声映画の夕べをしました。この日、活動写真弁士を務めて下さった片岡一郎さんから「昼間なのに夕べ」と冷やかされた通り、まだ日が高いうちからのイベントでしたが、店じまいしたのはすっかり日が暮れた午後9時ごろだったかしら。実に楽しい一日でした。

この日は「目玉の松ちゃん」と親しまれた尾上松之助の140回目の誕生日。思い起こせば第1回無声映画の夕べを開催した6月14日、上映後の交流会で尾上松之助遺品保存会代表の松野吉孝さんに「9月の松ちゃんの誕生日に何かしたいですね」と持ち掛けたのが端緒です。それが実現し、その間に彼の最晩年の映画「忠臣蔵」パテベビー完全版が見つかりました。大きく報道されたこともあり、12日のイベントに参加希望する人が相次ぎ、もったいないことではありますが、狭い会場故お断りせざるを得なくなる場面もありました。 DSC03314最初に、尾上松之助について詳しい入江良郎・文化庁芸術文化調査官の講演「日本最古の映画スター尾上松之助 再発見の道のり」。10年前に東京国立近代美術館フィルムセンターで生誕130年記念展を手掛けられ、今年初めの遺族宅での遺品発見にも立ち会われた経験を踏まえて、わかり易く松之助の功績をお話頂きました。

「粗製乱造、日本映画の発達を阻害した」とも評された松之助ですが、彼は「日本映画のパイオニアであり、日本の映画の保存状態を如実に示す人でもある」と話されました。約千本もの映画に主演しながらも、残っているのは断片も含め10本程度とごくわずか。もっと残っていて今も見ることができれば、研究が進み、その評価も変わったかもしれません。今回発見された「忠臣蔵」完全版は、その内容からも、これまでの評価を覆すに違いないと思われます。

誰が本物かわからないマスコミが未発達の時代に、「映画」という新しいメディアが登場し、スクリーンで「尾上松之助」が一般化しました。立川文庫の英雄豪傑を彼が演じれば、感情移入出来て、みんな見たことがなくてもそれぞれが本物に見えて大衆の心をつかみました。「現代の常識で収まりきらない、初期日本映画史の神秘へと我々の想像を誘ってやまないのが松之助だ」と入江さん。同センターに寄贈された御園京平コレクションにたくさんの松之助関係のものがあり、それによれば158㎝、56㎏の体形だったそうです。小柄だったんですね。

2010年に「史劇 楠公訣別」(日活、1921年)が重要文化財に指定され、早稲田大学演劇博物館に寄贈された早稲田コレクションの中から「血染の纏」(日活、1916年)が発見されたのが2013年。この作品は、10月16日、当ミュージアム所蔵「中山安兵衛」「荒木又右衛門」と一緒に澤登翠さんの活弁と柳下美恵さんのピアノ伴奏で上映されます。そうして2013年に松野さんが遺品保存会を立ち上げ、今年初めの遺族宅建替えに伴う取り壊しのラストチャンスに立ち合って、たくさんの資料発見につながりました。今回のフィルム発見とあわせ、「今、松之助さんについて、大きな山場を迎えている。尾上松之助の資料発見は今も巡りあわせの中で続いている」と結ばれました。

DSC03318当日お越しいただいた方の中に、「忠臣蔵」にも出演されている新妻(にいづま)四郎さんのご長男がおられます(山吹色のベストを着用した男性)。9月7日付けブログで、「4歳の時に死別したお父様のことを探しておられる」と書きましたら、松野さんは保存している写真帳から新妻四郎さんを選び出し、コピーして作ったファイルをプレゼントされました。巡り合わせの中で紡がれるあたたかいエピソードです。

DSC03321続いて片岡一郎さんの登場。この日は「忠臣蔵」の天の巻、「中山安兵衛」「荒木又右衛門」を、「さすが!」の語りで披露していただきました。そのあと、おまけとして「燃ゆる渦巻」「侠骨三日月」の断片もご覧いただきました。会場には、日本大学芸術学部田島良一先生や、京都文化博物館の大矢敦子さんも参加くださり、それぞれ発言いただきました。

DSC03326そしていつもの集合写真撮影。撮影前に帰られた人もおられますが、こうしてみると「随分たくさんの人にお越しいただいた」と、改めて感謝の気持ちで一杯です。皆様ありがとうございました。松野さんの思いとも重なりますが、いつまでも「目玉の松ちゃん」のことが語り継がれるよう願ってやみません。

 

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