2026.04.12column
アメリカと日本に残る“Paper Film”
昨日のFacebookで“The Nitrate Picture Show”の投稿を見て、6月4日ニューヨーク州ロチェスターにあるジョージ・イーストマン・ミュージアムで開催される特別プレゼンテーション「歴史の蘇生:アメリカ議会図書館所蔵の紙プリントコレクションの保存」について知りました。アメリカは遠いので観にいくことは到底叶いませんし、既に今年のナイトレート・ピクチャー・ョーはチケット完売だそうですから、唯々羨ましくて羨ましくて…。

そのfacebookの記事に載っていたアメリカ議会図書館提供写真のうちの1枚です。プレゼンテーションはアメリカ議会図書館国立視聴覚保存センターの映像アーカイブ技術者、エリン・パロンビさんという方で、紙プリントコレクションの始まりと、紙媒体の資料を再び映像として鑑賞できる状態に戻すための継続的な取り組みについて解説されるそうです。
参加して直接お聞きできないことでもあり、なぜ、本来透き通っているはずの映画が「紙」として残されたのか、私も少し勉強してみました。
1. 著作権法が生んだ「紙の映画」
19世紀末から20世紀初頭にかけて、映画という新しい技術が誕生した際、アメリカの著作権法にはまだ「映画(Motion Picture)」というカテゴリーが存在していませんでした。当時の製作者たちは、自分たちの作品が盗まれるのを防ぐために、苦肉の策として次の方法をとりました。
・映画を一コマずつの「静止画(写真)」の連続として登録する。
・映画フィルムの全てのフィルムを、印画紙(写真用紙)に連続して焼き付けた。
これが「紙フィルム(ペーパー・プリント)」でした。これらは「写真(Photographs)」のコレクションとして、アメリカ議会図書館に“著作権登録のため”に納品されました。
2. フィルムは消え、紙だけが残った
当時、実際に上映に使われていた映画フィルムは「ニトロセルロース」という非常に燃えやすく、劣化するとドロドロに溶けてしまう危険な素材を用いていました。そのため、初期映画の多くは火災や自然劣化で失われてしまいました。映画史上に残る名作『ニュー・シネマ・パラダイス』(1988年、ジュゼッペ・トルナトーレ監督)で、映写室での火災の場面を思い浮かべる人もおられるでしょう。
けれども、議会図書館の倉庫に保管されていた「紙に焼かれた複製」は、通常の書類や写真と同じように安定した状態で生き残りました。映画のオリジナル版は全滅したのに、著作権登録用の「紙フィルム」は奇跡的に手付かずで残ったのです。
3. 忘れ去られたコレクションの再発見
1940年代に入り、この膨大な紙の束が「実は失われた初期映画の唯一の記録である」ということに光が当たりました。当時の議会図書館のスタッフのハワード・ウォールズさんたちが、3,000作品以上にも及ぶこのコレクションの価値を再認識したのです。
4. 「紙からフィルムへ」の復元作業
1950年代から、アカデミー賞のエンジニアでもあったケンプ・ナイバーさんらが中心となって、この紙に焼かれた静止画を一コマずつ再びフィルムに撮影し直すという、気の遠くなるような復元作業(リコンストラクション)が始まりました。 このおかげで、グリフィス監督の初期作品や、トーマス・エジソンのスタジオが製作した極めて初期の映像を、現代の私たちがスクリーンで観られる形に蘇ったのです。
同じ「紙フィルム」でも、日本の場合は最初から“家庭で楽しむため”に作られました。1932年東京の印刷屋がつくった「レフシー」です。発明したのは印刷出版業の辻本秀五郎という人物です。紙なので、フィルムのように透過しないので、前から光を当て画像を反射させて投影しました。左右反転した画像です。当時既にカラー印刷ができていたので、フィルムの作品はまだモノクロでしたが、カラーで印刷された紙フィルムの場合、色彩豊かな映像を見ることができました。当館所蔵の下掲写真は、モノクロの実写映像で作られた紙フィルムなので、モノクロのまま。
後発の大阪にあった「家庭トーキー」は、その名の通り、映像と同期するレコードも販売していました。1935年2月頃には、既に10本以上のタイトルを発売していたようです。最近もう一社、再生フィルムを作っていた「水中商店」も月と星のトレードマークで紙フィルムを作っていたことがわかりました。
上段がレフシーの紙フィルムと映写機。送り孔(パーフォレーション)がコマとコマの間に1つあります。下段が家庭トーキーです。送り孔は2つあります。この映写機はライトボックスが2つあり、いくぶん上段のものに比べて明るく投影できたでしょう。初めて紙フィルムを他の小型映画と共に展示した時のブログです。良ければご覧ください。おそらく往時も薄暗い中で、目を凝らしながら襖や壁に貼った白い模造紙に映し出される映像を御覧になっていたことでしょう。色のついた動くマンガをレコードの音声付きで見ることができて、随分楽しい時間だったことでしょう。とても高価な玩具でした。

それから90年ほど後に、上掲写真の通り、昨年10月5日イタリアのポルデノーネ無声映画祭で紙フィルムを上映しましたが、バックネル大学のエリック・ファデン教授が代表の「The Japanese Paper Films Project」のおかげでデジタル化され、美しくクリアな映像として見ることができるようになりました。

今年も6~7月にエリック先生とそのお仲間が来日される予定で、その折に上掲の紙フィルムのデジタル化をお願いする段取りです。その完成が今からとても楽しみです。アニメーションだけでなく、時代劇やニュース映像、ドキュメンタリー映画もありました。けれども戦争のために1938年、製造禁止令がでて、戦後も紙フィルムが製造されることはありませんでした。本当に短命に終わった日本独自のメディアです。
ジョージ・イーストマン・ミュージアムには、これまでの様々なフィルム規格を一覧表にした展示があると思いますが、そこに紙フィルムも最近加わっていると思います。アメリカでは“法を守るため”に、日本では“家庭で楽しむために”と、目的は異なりますが、どちらも「紙」が映像のタイムカプセルになったというのは、非常に興味深い歴史の繋がりです。「紙」という媒体を選んだことで、100年の時を越えた奇跡といえましょう。


