おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2016.05.10column

盛会!山口博哉さんの轟夕起子研究発表会

「生誕100年まで待てない!」ということで、1年前倒しで開催した映画歴史家・山口博哉さんによる「タカラヅカが育てた映画女優・轟夕起子 生誕99年&没後49年 記念映画漫談」が5月8日に開催されました。一生懸命な山口さんにお天気の神様も応援してくださって、汗ばむような陽気の五月晴れ。昼前から続々お客様が来られ、展示された貴重な資料をご覧になっていました。

正直に言えば、山口さんと3年ほど前に知り合うまで、私自身は轟さんの名前を存じませんでした。しかし、彼と会うたびに、「轟夕起子」「轟夕起子」と名前を聞くので、いつしか「轟夕起子さんと言えば山口さん」「山口さんといえば轟夕起子さん」という感じまでに刷り込まれて今日に至っています。果たしてどれくらいの人が彼の研究成果を見聞しに来てくださるだろうかと、実は心配していましたが、杞憂でした。京都、大阪、兵庫はもちろん、東京、あるいは鳥取からも足を運んでいただき、慌ててイスを増やして対応する嬉しい結果に。

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 可愛らしいですね。1916(大正6)年に東京で生まれ、宝塚歌劇に入団後は、創業者の小林一三さんに可愛がられ、山田耕筰先生にこの芸名を付けてもらうほど人気があり、娘役トップの座に躍り出ます。その後19歳の時、宝塚(東宝系)のライバル社だった日活に引き抜かれ、当時の総理大臣の年俸の3倍に相当する3万円もの契約金が支払われたことは、大きなニュースになりました。

取材の過程で、彼女をよく知る人が「首の細さが印象深い魅力があった」と話しておられたそうですが、晩年(といっても、亡くなったのはまだ49歳という若さ)の彼女はふっくらとして、別人のよう…。会場には、その晩年の映画ポスターなども展示されていました。かつては原節子さんと肩を並べるほど有名だったそうですから、対照的な生き方ですね。

この日山口さん自ら制作した記録映画「轟夕起子研究28年」を見ると、結構几帳面な性格がうかがわれます。彼の部屋には、たくさんの調査ノート、資料類がきちんと整理されていました。日夜寸暇を惜しんで、彼女の研究に没頭している姿が映像から伝わってきます。目下、来年迎える生誕100年&没後50年という記念の年に、執筆中の伝記を完成するべく奮闘中。研究の途中経過発表という感じですが、今回の経験を活かして、さらなる充実した1冊が編まれることを応援したいと思います。

本業はヨガの先生なので、映画漫談の合間にヨガ体操をみんなでしたり、宝塚時代のレコード「花占い」(1940年)を聴いたり、お楽しみ抽選会をしたりと工夫を凝らして、最後まで観客を惹きつけて、90分間に及ぶ初めての発表会を終えました。その彼を励まそうと、温かい拍手で会場が包まれ、とても良い光景でした。その後は、茶話会をして交流。和やかな中に無事終えることができました。

この日の参加者には、山口さんの小学校時代の恩師が駆けつけてくださったほか、宝塚映画祭の関係者、轟夕起子研究の先輩だという人、轟さんと同級生だった人のご子息など賑やかな顔ぶれでした。一番若い参加者は、森雅之ファンだというお母様の影響で昔の女優さんが好きだという女子高校生。嬉しい話ですね。終了後に私が受け取ったメールに「戦時中、清水小学校2年生の頃に、轟さん宅と同じ町内に住んでいた」というものがありました。こうして発表することが契機になって、新たなお話が聞けたりすると内容が深まって良いですね。今後も、こうした取り組みを続けていきたいです。

お忙しい中、ご参加いただいた皆様、本当にありがとうございました。来年の本番も、ぜひ楽しみに待ちましょう‼

山口博哉氏イベント2016.5.8

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