おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2025.10.20column

ポルデノーネ無声映画祭見て歩き3

行程4・10月6日(月)は1987年世界遺産(文化遺産)に登録されたベネツィア観光へ。前日の残りのピザを胃袋に仕舞い、ホテルモデルノを出発して、駅まで。この道路の向こう遥にアルプスが見えました。日本ではまだ半袖で大丈夫だったのですが、通りを行く人はダウンのコートに身を包んでいます。

こぢんまりした印象のポルデノーネの駅。

ここからベネツィアへは海の上を一直線に走る約4キロの線路で向かいます。線路の際に海が広がって、最初に目にしたときはびっくりしました。頭では理解していても、こんなに海面が近いとは思いもせず。

ヴェネツィアの玄関口、サンタ・ルチア駅前とヴァボレット(水上乗り合いバス)乗り場。朝のうちから大勢の観光客で賑わっています。お天気に恵まれて良かったです。京都市内では人の間を縫うように自転車が行くから、「ボーッ」と歩いていては危険ですが、車もバイクも、自転車もないから、好奇心が勝ってキョロキョロ歩きの私のような者でも、事故に遭ったり遭わせたりする心配がないのが良いです。でも、慣れたらどうってことないのでしょうけど、日々暮らすとなるとモノの運搬にも大変さが付きまとうでしょうね。

ヴェネツィアといえば連想するのが運河。

人や物を運ぶ手段は船です。同じように救急船、消防船、パトカーもゴミ収集車もバスも全て船の世界です。

早速細い石畳が連なる迷路のような街を歩きます。一切予約も下調べもしないできたので、出たとこ勝負。

仮面舞踏会はヴェネツィアが発祥ですから、こうしたお店は数多くみられました。ガラス細工やマリオネットも。

いろんなお店があって、それを覗いてみて回るだけでも楽しい。私は自分用のお土産をこういったお店で買いました。眺めるたびにヴェネツィアの景色を思い出させてくれるでしょう。円が超安いので、細かなものも含め、あれこれ買い物ができないのがとても残念でした。

世界中の有名ブランド店が軒を連ねていましたが、手が届くはずもないと最初からあきらめてウインドウショッピング。

こういった洗濯物の干し方はどうするのかしら?「117の島、177の運河、400の橋が繋ぐヴェネツィア」と手元にあった2018年版のガイドブックにありますが、

いたるところに張り巡らされた橋でつながり、その石畳を好奇心のままに歩きました。スケッチが得意なら、幾枚も描けただろう景色がそこにも、ここにも。

1軒の閉まっていた店先のディスプレイが気になって再訪したのですが、直接映画とは無関係で…。

これが有名なリアルト橋。16世紀アントニオ・ダ・ポンテの設計で建造。

本当ならゴンドラに乗って水上から街を眺めて見たかったけれど。「命短し、恋せよ乙女♪」、今は観光客専用で、1艘でいくらという設定らしい。

色とりどりの果物が並んでいて。ポルデノーネ市内のお店でも、1個ずつや、キノコなどは量り売りが普通になされていて、日本のようにビニール袋やプラスチック容器に入れぐるぐるにされているよりは環境に優しいような気がしました。

有名なサン・マルコ広場に到着。奥に見えているのがサン・マルコ寺院。ロマネスク・ビザンチン建築の傑作。828年にエジプトのアレキサンドリアから二人のヴェネツィア商人が運んできた聖人マルコの遺体を祀るために建てられたそうです。聖マルコはキリストの福音書の4人の著者の一人でこの街の守護聖人とされ、彼のシンボルが有翼の獅子。

塔の上に鎮座する有翼の獅子の頭上に平和の象徴鳩が羽を休めていました。背後は、マルチャーナ図書館を飾る彫像。ヴェネツィア国際映画祭最高賞“金獅子賞”は1949年に創設されましたが、その賞が獅子像なのは、聖マルコの象徴であったことに由来すると、これを書いていて今頃知りました。

サン・マルコ寺院に行ったまでは良かったのですが、ネットでの予約制でこの日は入れず。下調べを念入りにされたデュオ夢乃さんはきっと見学されたのでしょう。次回行く機会があれば、今度こそ。観光客で溢れていました。

ドゥカーレ宮殿。かつてのヴェネツィア共和国のずば抜けた富と権力を象徴する建物。共和国総督の居城として使われていたほか、国会・行政・裁判をつかさどる場所であり、なんと牢獄もあったそうです。ピンクと白の大理石の壁面が青空に映えて美しいです。基礎は9世紀につくられましたが、その後、ヴェネツィアン・ゴシックの典型ともいえる建物へと変化。

サン・マルク広場では、オープンカフェで生演奏があちこちで繰り広げられ、聞き覚えのある名曲の数々が演奏されていました。お店の人に勧められるまま座り、演奏を聴きながら、

これを頼んだだけなのに、カードで支払ったらなんと、日本円で19,922円とあってビックリ仰天。涼しい顔して観光客然としなけりゃ良かったと後悔。

丁度広場に時計塔の午後2時の鐘が鳴り響きました。屋上にあるブロンズ製の通称「ムーア人」が大きな鐘を長い金槌で打って時を告げます。初期のルネッサンス様式の建物で15世紀最後の10年間に建てられましたが、時計は幾度も修復され、このように現役です。

塔頭で鐘をついている像の1体は老人で、もう1体は若者の姿で時の流れを表しているのだそうです。鐘には1497年アルセナーレで鋳造したシメオカ カンパナードの名が刻まれているそうです。聖マルコの有翼の獅子は開いた本を持っています。元々は獅子の前で跪く総督アゴスティーノ・バルバリゴ(在位1486-1501)の像があったそうですが、1797年市がナポレオンに降伏した後、フランス人によって撤去されたそうです。一気に世界史が身近に感じられました。聖母子像の左にはローマ数字でⅡが、右にはアラビア数字で0が示されています。時計塔を調べていて、年に2回だけトランペットを吹く天使に先導された東方の三博士が左の数字が置かれている出入り口から現れ、聖母子にお辞儀をしてからもう片方の右の出入り口へ入っていくのが観られると知りました。観てみたいですねぇ。時計の文字盤の中央に地球が、その傍に月があり、この月は満ち欠けを示すために回転するという仕掛け。昔の人の知恵と工夫は凄いですね。

高さ96.8mの鐘楼と国立マルチャーナ図書館、その奥にコッレール博物館。赤いレンガ色が青空に映えて美しい鐘楼は888~1514年の間に建てられました。1912年7月4日に突然倒れ、1912年元のままに再建されたということです。

三角形の屋根の下にも有翼の獅子が描かれていますね。マルチャーナ図書館はサンソヴィーノの設計で、今も市民に利用されています。2階大広間は公開されていて、予約云々は書いていないので見学できたらしい。今頃知って、悔しがっています。コッレール博物館は14~18世紀のヴェネツィアの歴史と人々の暮らしぶりが分かる展示で、サン・マルコ広場周辺共通券で入れるとのこと。こういう券があることも今頃知って😢

石畳が濡れている場所もありました。干潟に建物を建てるため、大量の丸太の杭を海底の泥岩まで達するように打ち込んで建物の基礎とし、海水の波にも強い「イストリアの石」(石灰岩)を敷いて土台とし、その上に比較的軽いレンガを漆喰で固めた壁と、板の床を使ってビルが建てられているそうですが、近年の地盤沈下と共に海水の波が基礎の上のレンガ部分を侵食し始めており、多くのビルが危ない状態になっているとか。地球温暖化によって海面上昇が加速されたらどうなってしまうのでしょう。

水上に浮かぶサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会。蔓延していたペストの終焉を聖母マリアに感謝して、ロンゲーナにより1631‐1681年の間に建立されたヴェネツィアン・バロックを代表する教会だそうです。

空と海の青さの間に浮かんでみえるサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会を目で追いながら、歩きました。

晴天の秋空に白い建物が映えます。

フェニーチェ劇場。ヴェネツィア共和国が滅びる数年前1792年に建築。1837年、1996年と二度の火災のたびに再建され、現在の建物は2013年に杮落しを終え、オペラなどが上演されています。

内部はこのような豪華さのようです。私どもがご招待にあやかったポルデノーネ無声映画祭の上映会場ベルディ劇場は、著名なイタリアの作曲家ジュゼッペ・ヴェルディに因んで名付けられています。オペラも上演されていて、こうした文化芸術を身近で鑑賞できる環境が整っているのが素晴らしいですね。

サン・モイゼ教会。ネットでどなたかが「白いデコレーションケーキのよう」と例えておられましたが、白い壁にびっしりと装飾が施されています。ベネツィアン・バロック様式の教会で内部も彫刻や絵画で一杯でした。右側にレンガ調の鐘楼が写っていますが、この教会の正面が完成する1668年よりも古い1520年に再建されたものだそうです。1520年は日本でいえば室町時代で、北山文化や東山文化が栄えた頃。「わび・さび」の風雅が生まれた頃ですね。洋の東西で個性ある文化が花開いていました。

主祭壇に置かれているのは、エンリコ・メレンゴの彫刻とヴェネツィアの画家ミケランジェロ・モロライテルの絵画がコラボした「シナイ山」。モーゼがシナイ山で十戒を授かる場面。1475年生まれの天才芸術家ミケランジェロと同じ名前ですが、モロライテルは後の世の人で著名な画家。

彫刻も素晴らしい。

たくさんの装飾品だったので、ティントレット晩年の作品「弟子の足を洗うイエス」はどれか気付かないまま💦

正面口入ってすぐの頭上に、名工ガエターノ・カッリードが制作したパイプオルガンがありました。

ガイド本をみていて気が付いたのですが、サン・モイゼ教会は日曜日がお休みだったみたい。6日訪問で大正解。

この教会だったかなぁと思うのですが、

さらに、この教会にも入らせていただき、

天井画のすばらしさに息をのみました。大阪・関西万博のイタリア館で、ピエトロ・ヴァンヌッチ(通称:ベルジーノ。1446-1523年)が描いた「正義の旗」を見せて貰った時に、「本当は見上げる高さに置かれていたので、このように目の高さでみられる機会は初めてです」と説明を受けたことをすぐに思い浮かべました。あの一枚も通常は、ここに飾られているような見上げる状態に置かれていたのではないかしら。おろすのも運ぶのも、さぞかし大変だったことでしょう。そして、彫刻についても、万博で素晴らしい彫刻の実物に歓声の声をあげましたが、イタリア本国には、いたるところに素晴らしい大理石などでつくられた像があり、目をみはるばかりでした。

運河ごとに異なる色彩、趣の建物が連なり、見飽きぬ光景です。公園で一息ついた後、

名残を惜しみながら、運河伝いにベネツィア・サンタ・ルチア駅へ。モトスカーフィーと呼ばれるモーターボートのタクシー。

電車を待つ間にジェラートを頂きました。本場のジェラートは美味しかったです。

海の潟に浮かぶ「水の都ヴェネツィア」を離れて、ポルデノーネへ。一度はヴェネツィア行ってみたいという夢が叶いました。映画『旅情』のままの景色が残っていると知人は言いましたが、まさに。今回の経験を踏まえて、今度は高い位置から街全体を俯瞰して、あるいはゴンドラに乗って心地よい風に吹かれながら旅してみたいです。ネットで「千年の都ヴェネツィア」と表現している人がおられましたが、京都ともよく似ています。世界遺産が多くあることも共通しています。伝統を重んじながら、古い中にも新しいものを取り入れて新陳代謝を繰り返して、共に未来へ。

この日は、夕方7時にヴーフヴァルトさんと夕食を共にする予定でしたので、日が暮れる前に戻りました。エリック先生、ジョアン先生とも一緒に、ヴ―フヴァルトさんの案内でレストランへ。うっかり写真を撮り損ね💦 9時から上映作品の演奏前なので、ブーフヴァルトさんは夕食を軽めにとって、音合わせへ。

会場に入ってすぐに、顔なじみのペドロ・ラさん(右)とヴァレリオ・グレコさんと出会って、記念に写真を撮りました。ずっとfacebookで繋がっているので嬉しさが満開です🌺🌸

ドイツのヴーフヴァルトさんは指揮者、作曲家、ピアノとヴァイオリン奏者と一人4役と多彩です。ピアノを弾きながらバイオリンを演奏される様子を撮影したかったけど、ヴァレリオ・グレコさんならいざ知らず、私では無理無理。右端のエリザベス・ジェイン・バルドリィさんはハープ奏者、フランク・ボッキウスさんはドラマーでパーカッション担当。8日マルコポーロ空港へタクシーでご一緒したエリザベスさんはイギリス出身で、フランクさんも同様らしく、打ち合わせや練習はどのようにされているのかしら?世界中で活躍されているプロ中のプロは阿吽の呼吸で、無声映画の伴奏をされるのでしょう。

演奏後の舞台挨拶。この時の上映作品は『MISSVERKIEZING』(フランスか、オランダの作品で、1920年)▼マックス・フライシャーの『FORTUNE TELLER』(アメリカ、1923年)▼『ZINGARI』(イタリアの1920年)。大きな拍手に包まれていました。この後Stephen Horneさんのピアノ演奏で『LA CAPITALE DU BRÉSIL」と続いたので、この日も夜の23時を過ぎての終了。皆さんどっぷり映画漬け。これはこれで大変。皆様、お疲れ様です。

このようにして行程4日目を無事に終え、ヴェネツィアの景色を思い浮かべながら夢路につきました。

 

 

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