2025.10.21column
ポルデノーネ無声映画祭見て歩き4
行程5・10月7日(火) ポルデノーネ無声映画祭で一日。
朝は、ホテルモデルノで、8時にギュンター・A・ブーフヴァルトさんと朝食バイキングを楽しみました。
私は初めて直にお目にかかるのですが、いつもFacebookで拝見しているので、古くから存じ上げているような気がして、親しくお話をすることができました。この時にギュンターさんが器に取られたカボチャの種に興味があって、ひとつまみ貰って食べたら美味しい。

それで、2回目の朝食バイキングの折に、かぼちゃの種をお皿にとりました。ギュンターさんがそれをご覧になって、にっこり。私が手にしているのは、ギュンターさんが実際に使っておられるノートブック。

この表紙に載っている著名な人々の顔写真の中にギュンターさんも描かれています。どこかおわかりでしょうか?凄いなぁと我がことのように誇りに思います。お話によれば、これまでに無声映画の演奏を3680曲したそうです。今回のポルデノーネ無声映画祭でも4日14時からのオープニングプログラムに始まり、6日の21時、8日14時半、9日11時45分、11日正午からの伴奏を務められ、マスタークラスの指導もされて大活躍でした。柳下美恵さんや松村牧亜さんも指導を受けたことがあるとお聞きしました。世界中に教え子がおられるのですね。

プレゼントして頂いた絵葉書はアカデミー賞を3回も受賞されたアニメーターの故リチャード・ウィリアムズさんが描かれたもの。ギュンターさんが指揮者であり、作曲家で、ピアニスト、そしてバイオリニストでもあることを描いています。以前来日された時、京都駅前のアバンティホールでギュンターさんがピアノを弾きながらバイオリンを演奏されるのを見て、影響を受けた演奏家古後公隆さんのことを話しました。2017年4月16日にチャップリン映画にピアノとチェロの二刀流で演奏してくださったときの振り返りをこちらで書いています。よければクリックしてご覧ください。この話をにこにこしながら聞いてくださいました。
他にも1929年にフランスでつくられた『La Femme et le pantin』の最新復元版DVDも頂戴しました。今、当館がつくった『おもちゃ映画で見た日中戦争』の作曲を終えて、いずれ実際に演奏してもらう機会が来るのを期待しています。

ホテルモデルノを出て向かいのヴェルディ劇場へ向かいながら話した会話の中に出てきた「Paper Film」の単語が耳に入ったのでしょう、振り向いてにっこり微笑んでくださった女性がおられました。お話を伺うと分厚いポルデノーネ無声映画祭『LE GIORNATEDEL CINEMA MUTO44』のカタログで、32~39頁にわたって、紙フィルムの紹介が載っています。彼女は、それの翻訳を担当されたのだそうです。

「おかげさまで、とても反響が大きく、手ごたえを感じました」と申しましたら、「本当に良かったです」と喜んでくださいました。もちろん会場でご覧になっていたそうです。うっかりとお名前をお聞きするのを失念して、後悔しています。本当にお世話になりました。

このカタログを改めて繰りましたら、353頁にフィルムの所蔵先として、世界中の名だたる機関に連なって、当館のロゴマークも載っていました‼ 仲間に加えて頂きましたことを、とても嬉しく思います。大袈裟でなく、今回の映画祭では多くの人々に声をかけていただきました。そして異口同音に「(これまでの活動に対し)ありがとうございました」とねぎらいの言葉をかけていただきました。
さて、7日の映画祭は9時から、グリフィスが1908年につくった3作品▼10時から、『L’ILLUSTRE ATTRICE CICALA FORMICA』 (1920 年、イタリア)▼10時45分から、『UNDANK IST DER WELT LOHN』 (1905 年?、フランス)/『EAST LYNNE』(1925年、アメリカ)▼14時半、チャップリンコネクションということで5作品(1911年~)▼16時から、『LIAN’AI YU YIWU (LOVE AND DUTY』 (1931年、中国)▼18時45分、『LONESOME LUKE ON TIN CAN ALLEY』(1917年、アメリカ)▼21時、『THE RUNAWAY』(1924 年、アメリカ)/ウクライナ児童映画/NARYSY RADIANSKOHO MISTA(ソビエト都市の風景、1929年)/『VUES DE SÉOUL ET DU PORT DE CHEMULPO 』(1910年、?)/『WELLINGTON NEW ZEALAND』(1917年、?)、と続きました。
個人的には、キエフの子どもたちを撮った作品が良かったです。こうした映画を観られる機会はほぼないので貴重な機会だと思います。素敵なレストランに案内してくださったBin Liさんから16時からの中国映画『愛と義務』を勧められたので、スクリーンに見入りました。主人公の女性を演じた役者さんは早くに亡くなったのだそうです。YouTubeを検索したら修復前の映像がアップされていました。もちろん映画祭ではJohn Sweeneyさんのピアノ演奏で上映でした。終わった後、ジョアン・ベルナルディ先生のお顔をみたら「あぁ、いっぱい泣きました」と仰って。アメリカ映画はハッピーエンドが多いので、かわいそうなお話に涙がこぼれたのだそう。

映画の間に、8日に旅立つマルコポーロ空港までのアクセスについて事務局に確認に行って来ました。朝食の時にギュンターさんから「8日は朝から広場でマーケットがあるよ」と教えて貰ったことを伝えたら、ホテル前にタクシーが乗り入れないことが分かり、時間を変更して12時10分にホテルまでスタッフの人が迎えに来てくださることになりました。いよいよあと1日だとしみじみしつつも、スタッフの方に依頼して、イタリア行きに間に合うように作った当館のチラシを置かせてもらいました。
チラシ作成にあたっては、名古屋外国語大学の石田聖子先生に大変お世話になりました。貴重な時間を費やしていただくことになり、恐縮すると同時に、心より御礼を申し上げます。


9月23日に来館いただいたエレナ・タマッカーロさんにも見ていただきました。スペースなどのミスが残りましたが大きな問題ではないということで印刷に出し、イタリアでも会う人ごとに配らせていただきました。
夕食前に、ヴェルディ劇場内で催されていたポスターや本、これまでのカタログなどの販売コーナーで、Bin Liさんに通訳をしてもらいながら、お土産のポスターを購入しました。

本当は4日に見た時から欲しかった『レ・ミゼラブル』だったのですが、モタモタしている間に売り切れてしまったらしく、「あぁ、無常!」。代わりに購入したのが、『ヴェニスに死す』(1971年、ルキノ・ヴィスコンティ監督)。

大きさが分かるように、ギュンターさんからプレゼントしてもらったDVDを左に並べましたが、とっても大きなポスターです。京都市内の山猫軒でイタリアの大きなポスターを見て驚いたことがありましたが、これも負けず劣らず大きい。すぐに飾れそうにもありませんが、将来立派な映画博物館ができた暁には大きな額を作って展示したいなぁと思っています。

夕食に案内して頂いた「LA VECIA OSTERIA DEL MORO」。


お洒落なレストランでゆったりとした時間を過ごすことができました。Bin Liさんとは9月26日に出会ったばかりなのに、とても親切にしてくださり、この映画祭に無案内な私どもを気遣ってサポートしてくださいました。おかげで毎日手ごたえを感じながら楽しく過ごすことができました。本当に心強かったです。ありがとうございました💗


食事を終えて帰ってきたら、21時からの上映を待つ人の列が連なっていました。この眺めも今宵限りと思い、目に焼き付けました。

上映終了後は夜もすっかり更けていましたが、エリック先生、ジョアン先生、そして初めてお会いしたストックホルム大学の映画研究Doron Galili教授と一緒にビールをいただきました。エリック先生が当館で紙フィルムの面白さに気づき、最初に世界のメディア考古学学会で発表されたのがストックホルム大学でした。それが契機になり、ドロン教授の編集責任で本を作ろうという話があったと聞きました。多くの人々が紙フィルムの面白さに気付いてくださる契機になりましたが、こうして実際に様々な紙フィルムを上映して見てもらえる場が持てたことを心より嬉しく思っています。
行程5日目はこうして終えました。いやぁ、映画研究者は知力、気力だけでなく体力も必要なのですねぇ。お疲れ様です。


