2017.12.02column
読売新聞夕刊連載「エキタビ」で紹介していただきました
今日の読売新聞夕刊連載「エキタビ」で、おもちゃ映画ミュージアムも取り上げていただきました。今回の駅は「阪急京都線大宮駅」。ミュージアムはこの駅から徒歩約7分。記事にもありますように、碁盤の目の通りが多い京都には珍しい斜めの「後院通」の東側に沿って北西向きに歩きます。途中道路の西側に中京警察署、壬生操車場がありますが、それを通り過ぎて少しだけ北へ進むと、道路沿いに手回し映写機をデザインしたトレードマークの立て看板があります。その角を右に(東に)曲がって直ぐのところに、ミュージアムはあります。
でも、この斜めの「後院通」は、京都の人でも知らない人が多く、案外と遠方の人より京都市内の人の方が迷子さんの確率が高いです。大宮駅がある四条大宮の交差点と、「後院通」の終着点である千本三条の交差点の2か所に、せめて道路標識「後院通」の道案内板を掲げて欲しいと思い、京都市のお宝バンクに「後院通知名度アップキャンペーン」を登録しています。最近、道路標識の管轄が京都市ではなく、京都府にあると教えて貰いましたので、催しをして知名度アップを試みることも検討しつつ、ダメもとで、府の担当課に直訴しに行こうと思っています。
今日も遠く青森商業高校2年の男子生徒さんが見学に来てくださいましたが、30分ほど道に迷ったそうです。ほんの少ししか見学する時間がなくなったので、とても申し訳なく思いました。私共の努力不足もありますが、通りの他のお店の人と話していても、賛同して下さる方が結構おられますので、やってみる価値はあると思っています。
京都で最初の撮影所は、ミュージアムから真北に歩いて行ける距離にある通称「横田商会二条城撮影所」でした。1910(明治43)年、横田永之介が牧野省三と尾上松之助との出会いから、二条城西南櫓の傍に作ったものです。約300坪の土地に2間×4間の板敷きの舞台を設え、開閉式の天幕で覆う簡単なものだったそうです。1912(明治45、大正元)年に「法華堂撮影所」(上京区天神通一乗下ルの通称「法華堂」と呼ばれた十如寺の南側に作られました)に移るまでの短い間でしたが。
昔のことを良くご存知の方に以前お聞きしたところ、四条大宮周辺には、大宮東映(現在、四条大宮交番のあるあたり)、コマ劇場(現在の阪急大宮駅があるところ)、PCL(現在のヤオイソなどがあるところ)、ヒノデ館(現在の京都銀行大宮支店がある場所)があったそうです。四条大宮周辺に4館もあったのですね。往時の賑わいぶりがうかがわれます。
記事を読んで初めて知った名称もあります。「寛遊園」。細い路地にいくつかの居酒屋やスナックなどがひしめき合っているのを知ってはいましたが、こういう呼び名があったのですね。「情報誌でもよく取り上げられる飲食店街」と書いてあります。
もう一つ記事を読んで知ったこと。映画担当記者でもある今岡竜弥記者さんが、小さな男の子のパパだということです。きっと優しいパパなのでしょう。記事を読みながら勝手に想像して、ほんわかしてきました。今岡さん、ミュージアムを紹介して下さって、どうもありがとうございました。