おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2015.09.21column

求めていれば、巡り合える

昨日夕方のお客様は、「いつも前を通りながら通り過ぎていた」という人。色々お話をしている内に意気投合。「なんだか少しずつ思っていたことが形になり、前に進んでいくような気がする」と感想を述べました。そこで申したのが「求めていれば、巡り合える」。

この言葉、実は9月12日に開催した「第3回無声映画の夕べ」で、尾上松之助最晩年の作品『実録忠臣蔵』の「天の巻」に活弁を付けて下さった片岡一郎さんから、15日に受け取ったメールにあります。

「フィルムの発掘復元は単に運だけではなく、そこに縁の要素があるような気がしてなりません。阪妻の番組を作っているときに『当世新世帯』が出てきて、松之助生誕140年に『忠臣蔵』が出てくる。これからも我々が求めていれば、きっと貴重な作品に巡り合えるのではないかと期待しています」と結んであります。

今春、ミュージアム開館のニュースを読んだ人から、プライベートフィルムを含む多くの映像を寄贈いただき、その中に『当世新世帯』『実録忠臣蔵』(パテベビー 完全版)がありました。丁度阪妻のお孫さんに当たる田村幸士さんが、実家に大切に保存されていた3つのフィルムの存在が気になり、親友の片岡さんに相談したことから、そのフィルムについての番組作りが始まっていました。

製作された番組・ノンフィクションW「阪東妻三郎 発掘されたフィルムの謎」は、9月5日WOWOWで放送されました。ネットで上映後に行われた田村亮さんと幸士さん父子のトークショーを拝見しましたら、「親父が生きていたら『流すな』と言っただろう」と亮さんが語っておられました。田村家に大切に保存されていた3本のフィルムの内1本は劣化がひどくて見られませんでしたが、残りの2本の内1本は51歳で亡くなった阪妻の葬儀の様子を撮影したもの。今、ミュージアムでは日本最初の映画スター尾上松之助の展覧会をしていて、彼も51歳になる前日に亡くなっています。その「目玉の松ちゃん」が、「これからは阪妻の時代や」と語っていたスーパースターでした。

残りの1本には、衣装をまとったまま、韓国の李王殿下を迎える様子や、深々と頭を下げてお見送りする様子など知られざる阪妻の姿が写っていました。阪妻は世界進出を夢見ていて、アメリカユニバーサルとの提携を結び、その時作ったのが『当世新世帯』でした。スローモーションや早回しを多用し、コミカルな演出を取り入れた作品でしたが、「So Poor(お粗末)」と評され、アメリカで活躍したい夢は1年を待たずに破たんします。しかしながら、当時のアメリカ人がカッコ良い剣さばきの阪妻に期待したものとは違っただけで、この作品今見てもなかなか面白い喜劇です。

その後も世界進出への断ち切れない思いがある阪妻は、パラマウント映画と契約。ステイタスをあげるために李王殿下を招待して、その様子を記録して宣伝に使おうとしたのではないかと考えられています。番組では「日本映画の存在を主張してみたい」と綴った映画雑誌も紹介。牧野省三、尾上松之助らによって日本映画の草創期が築かれ、その後を受け継いだ阪妻が世界を見据えていた事実。しかし、この契約も1本のみで解消に。七転び八起き、「新しい阪妻を作るためにプライドを持っていけるハングリーさは凄い」と幸士さんが話しておられました。無声映画からトーキーに変わる時、猛練習して甲高い声から、力強い声に変えた話は良く知られていますが、田村亮さんは「一番苦しんだ時ではないか」と話しておられました。

スクリーンで見るスーパースターの、見えないところで必死に頑張っていた姿を知って、随分と励まされた思いがします。連れ合いがドイツでみた町家を使った「映像センター」での様子にあこがれて、20年間温め続けてきた夢を今春叶えたことで、こうした貴重な作品と出会うことができ、再び命が吹き込まれ、多くの人に関心を持っていただくことができました。実際の運営は、阪妻さん同様甘いものではなく、なかなか難しいのですが、七転び八起きの精神で、求め続けようと思います。応援をよろしくお願いいたします。

記事検索

最新記事

年別一覧

カテゴリー