おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2019.07.10infomation

7月24日「祇園祭」後祭の日に営まれる還幸祭神輿渡御を見物しましよう!

「京都では、祇園さんがお正月どす」

 

今日10日から鉾建てが始まりました。いよいよ山鉾町のあちこちで伝統技法の「繩がらみ」で山鉾の部材が組み建てられ、祭りムードが活気づきます。写真は、室町通四条下ルの鶏鉾。中国の史語より取材、堯の時代に天下がよく治まり、訴訟用の太鼓も用がなく苔が生え鶏が巣を作ったという平和な説話を現したものです。

京都に来てから「祇園祭」は身近な夏の風物詩という感じでしたが、7日の骨董市で下掲本を見つけたので、俄か勉強。最初に掲げた「京都では、祇園さんがお正月どす」は、この『山町鉾町』所収の随筆家・故岡部伊都子さんの文章にありました。「お家の手入れも、お庭の木々の見せ場も、すべてが、祇園祭に最高の状態になるよう、心して用意されるのでした」とあります。「なるほどなぁ」と思いながら、2012年7月16日に太子山の秦家を訪問した折のことを思い出しております。

1977(昭和52)年から年2回発行されている会誌「山町鉾町」が15周年を迎えたのを記念して、1991(平成3)年に祇園祭山鉾連合会が、纏められた特別記念号で、山鉾町の人々に配布された限定本だそうです。著名な先生方43名の文章が載っていて、その中には鬼籍に入られている方も多く、今となっては貴重な読み物です。

つらつらとその本を繰っていて目にした故林屋辰三郎・京都大学名誉教授の文章を読んで、今のように御池通りを山鉾が巡行するようになったのは、1956(昭和31)年からだと知りました。前年に「信仰か観光か」という大論争があり、それを断ち切るように鉾町を離れての巡路変更になったようです。さらに10年を経て、1966(昭和41)年に前後の祭りを合併して7月17日に統合され、その後、2014(平成26)年から7月24日後祭が復興されました。

その24日後祭で山鉾が都大路を巡行した後、夕方5時頃に四条御旅所を中御座、東御座、西御座の3基の神輿が出発して還幸祭が始まります。それぞれが所定のコースを経て、当館近くの八坂神社御供社(又旅御供社)で祭典をします。今回のプログラムは、これを皆で見学しましょう!という提案。

前掲本所収の詩人の故相馬 大さんの文章から引用すれば「貞観5年(863)5月20日、神泉苑で、左近衛中将であった藤原基経らに勅命があり、御霊会が盛大におこなわれたことが、『三大実録』に見えている。その日は、神泉苑の4つの門がひらかれ、一般庶民も参加できたとある。この御霊会は、京のみやこからはじまり、地方へひろがりをみせ、朝廷でも御霊会をすることになったと記録されている。元慶元年(877)に、疫病が流行し、多くの死者を出した。そのとき、摂政の藤原基経が、八坂の観慶寺内の薬師堂と天神堂に祈り、疫病が止んだ。基経は、自分の邸宅を寄進し、寺としたことから感神院とよばれた。それは、インドの給孤独(ぎつこどく)が、釈迦のために祇園精舎を建てておくったのと同じ行為として、祇園寺と呼ぶようになり、天神堂を祇園社とよばれるようになったものとも伝えている。薬師堂を寺として、祇園寺としたのは、祇園の祭神である牛頭天王の素戔嗚尊が、薬師如来の化身であることによるからともいわれている。今も、八坂神社といわずに、祇園さんとか祇園社というのは、こうした説話が、京の町衆のなかに根づよく残っているからなのであろう(略)」。

同じく所収の武田恒夫・大阪大学名誉教授の文章に「八坂神社の祇園御霊会は、周知のように平安時代の初期、貞観11年(869)の疫病流行が機縁となって、66本の矛と神輿を神泉苑に運んだというのが始まりとされる。円融天皇(在位969-84)の御代以来、6月7日と14日の例祭となった。」とあります。貞観11年の記述は『祇園社本縁録』にあるようです。

祭に関わる人から「又旅供御社は、もともとの神泉苑の南端で御霊会の行われた場所といわれている。今年は1150年の記念の年だから、又旅御供社で特別に3基の神輿が勢揃いする」と教えて貰った祭の背景がお二人の文章からわかります。中御座の神輿の前に、宮本組の御神宝の行列と久世駒形稚児の行列があり、四条大宮から大宮通りを北上して京都三条会商店街に到着したら、又旅御供社に参拝。その後、ミュージアムのすぐ近くの武信神社に参拝して休憩されます。昨年偶然見かけたので、「山鉾巡行だけが祇園祭じゃないよ」と他の皆さんにも知って貰いたいと思ったのです。

中御座の神輿は、御神宝行列と久世駒形稚児とは別に、四条大宮から北上してそのまま神泉苑に向かいます。神泉苑では真言宗の僧侶によるお祭りが行われます。その後、千本三条を通って、又旅供御社に至ります。ここで東御座、西御座の神輿と勢揃いして神饌をお供えするお祭りが執り行われます。それを終えると、堀川三条で宮本組と久世駒形稚児の神宝行列は隊列を組んで八坂神社に向けて出発。今年は、3基並んで四条大橋を渡って還幸されるようで、それも見ものです。3基の神輿は23時頃に八坂神社に戻り、真っ暗な境内で神霊を神社にお戻しするお祭りが行われます。その様子も厳かで良いものだそうです。

一連の還幸祭のどの段階をご覧になるかは、参加者の自由判断にお任せします。

以上のような塩梅で、24日後半は自由行動ですが、前半はミュージアム内で祇園祭に関する様々な映像をご覧いただきます。

一番の目玉は1968(昭和43)年に作られた『祇園祭』について、当時京都府の新入職員だった岡田佳美さん(旧姓高橋さん)から行政がこの映画にどのように関わっていたかをお話いただくことです。この作品は、日本映画復興協会製作、新日本興業・松竹映配・日本映画復興協会の配給で、1968(昭和43)年11月23日に公開されました。岡田さんからお借りして展示している資料の「映画『祇園祭』製作上映協力会趣意書」は以下の文章で始まります。

……近年、日本の映画がいろいろな理由で不振の状況にあるなかで、この度、京都府百年記念事業の一環として、小説『祇園祭』が日本映画復興協会(代表 中村錦之助)の手によって、映画化されることになりました。このことは、良い映画を願うすべての人々、および、祇園祭を愛するすべての人々にとって、誠に喜ばしいことです。しかしながら、あらためて申し上げるまでもなく、今日の映画界は誠に厳しく、良い映画を作ろうとする映画人の願いは、なかなか実現しがたい状況にあります。(略)……

映画の製作・上映に協力を呼びかけたもので、特別顧問に蜷川虎三・京都府知事、富井 清・京都市長、羽室 清・京都府議会議長が名を連ね、幹事に各界の著名人がずらりと名を連ねています。蜷川民主府政時代は、全国に先駆けて「文化事業室(現在は文化政策室文化芸術課)」が作られ、映画に造詣が深かった堀 昭三さんが京都府に招かれてスタートしました。八坂神社近くに製作協力会事務所が作られ、中心となって活躍されたのが田中  弘さんでした。幸いにしてお二人ともお元気にされておられるそうです。映画出演者、スタッフ、関係者の傍で岡田さんが見聞きされた経験を当日お話していただきます。

岡田さんは、元京都府庁演劇サークルを経て、演劇集団“瞬(toki)”所属、現在はフリー。京都のうたごえ運動にも関わり、小編成アンサンブルの歌い手や、うたごえ喫茶のソングリーダーとしても活躍されています。当館には、2016年8月21日地蔵盆の日に、紙芝居を演じてくださって以来のご縁です。また2017年7月に当館で完成披露上映した『卒業~スタートライン~』(谷 進一監督、聾寶手話映画)にもご出演されています。

他にも、劣化していた『祇園祭』の映像の復元に携わった連れ合いが、その内容について話します。この作品は、毎年祇園祭に合わせて京都文化博物館で特別上映されていますが、今年も7月16日、17日、24日のそれぞれ13時半と17時から上映されるようです。映像をご覧になってからお話を聞きに来てくださるも良し、一緒に還幸祭神輿渡御を見学されるも良し、です。

また、保存と活用を呼びかけている「京都ニュース」の中から集めた祇園祭の映像や、当館が所蔵する現存最古の大正時代の山鉾巡行の映像、今では見られない武者行列が映る映像などもご覧いただきます。

当日参加もできますが、事前予約いただければ段取りができて助かります。どうぞ気楽にお越しくださって、一緒に楽しみましょう。

なお、31日迄、絵葉書コレクター・森 安正様からお借りした珍しい昔の祇園祭の絵葉書も展示していますので、ぜひ見にいらしてください。ご来場をお待ちしております。

 

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