おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2018.07.28column

ミュージアム近くで見聞「祇園祭還幸祭」

7月24日(火)は休館日だったので、KBS京都テレビで、日本三大祭の一つ、祇園祭後祭の山鉾巡行を見ました。京都へ来てからというもの、幾度も見てきた祇園祭でしたが、専門の先生からの解説を聞くと、「へぇ、そうだったのか!」と思うことがいっぱいありました。知っているようで、実はほとんど知らないことばかり。そんなひとつが、巡行後に行われた還幸祭でした。以前から、ミュージアムの近くの「八坂神社御供社に、祇園祭の御神輿3基が来る」と聞いていましたが、「百聞は一見に如かず」と思って、夕方6時を目指して訪ねて見ました。

DSC05718 (2) - コピー三条通黒門角(御供町)の八坂神社御供社に神饌がお供えされています。駒札によれば、明治6年に村社に列格し、明治39(1906)年に村社を廃し、八坂神社の境外末社になりました。四条京極にある御旅所に対して、又旅社とも言われています。

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八坂神社の宮司さんと、久世駒形稚児が玉串奉納の神事中(18時10分)。午前中に山鉾巡行で祓い清められた後、中御座神輿(主祭神の素戔鳴尊)、東御座神輿(素戔鳴尊の妻の櫛稲田姫命)、西御座神輿(素戔鳴尊の8人の子ども、八柱御子神)は、御旅所を出発してそれぞれの氏子地区を回り、この御供社を経て、夜遅くに八坂神社に戻ります。

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久世駒形稚児は、中御座神輿を先導する重要な役。

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人の肩越しに遠くからだったのでピンボケで恐縮ですが、久世駒形稚児は神の化身とされ、決して地に足をつけてはならないため、剛力さんの肩に担がれて、白馬に騎乗します。

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久世駒形稚児が白馬に騎乗したところ。左に写る白い手拭を頭に被った人が剛力さん。法被に「乙訓郡上久世村」と書いてあります。南区久世の綾戸国中(あやとくなか)神社の講中の皆さんで、同神社の祭神も素戔鳴尊。

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これも人の肩越しでピンボケなので分かりにくいのですが、胸に綾戸国中神社のご神体で馬の形を彫刻した「駒形」を携えています。

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久世駒形稚児と八坂神社の宮司さんが、どこへ向かわれるのかとついて歩きました。「中京区三条通神泉苑西入下ル(今在家西町)」の角を曲がって、

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三条台若中の幕が掛けられた三若神輿会会所前を通り過ぎ、その先へ。

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三条台若中会所では、この日早朝から、「輿丁(よちょう)」と呼ばれる男性の担ぎ手たちの夜食を作る「弁当打ち」が行われました。精進潔斎した輿丁たち60人が、長方形のしゃもじで1合弱の白米を木型に詰めて竹皮に打ち付け、そこに、ごま塩、たくわん、梅干しなどをのせた「みこし弁当」約3,000食を拵えたそうです(京都新聞7月25日付け市民版参照)。

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久世駒形稚児と八坂神社の宮司さん、綾戸国中講中の御一行は、三条台若中会所前を通り過ぎ、ミュージアム傍の武信神社へ到着。このことは、今回行列の後をついて行って初めて知ったことで、びっくり。稚児さんと宮司さんは、ここで下馬し、武信神社境内へ。因みに、武信神社は坂本龍馬とお龍さんのエピソードが伝承されていることから、最近では「縁結びの神」として脚光を浴びています。

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綾戸國中神社のご神体の「駒形」を胸に携えているのが、よくわかりますね。久世駒形稚児の17日の神幸祭は、西院小学校2年生の井口祐有君、24日の還幸祭は久世西小学校3年の蓜島颯馬君(8歳)が務めました(6月15日付け京都新聞参照)。

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この後、玉串を奉納して、無事神事が終わり、しばし社務所で休憩ののち、八坂神社に向かわれたのでしょう。ここで踵を返して京都三条会商店街に戻ると、御池通にある神泉苑に向かう中御座神輿の一行を目にしたので、後を付いて行きました。

DSC05807 (2)道行く人々に、三若神興会の人が、「蘇民将来子孫也」のお札を下げた樒を配っておられました。祭りに関わっている人それぞれも髪に挿したり、衣服に付けたりしておられるのを目にしました。傍で見ておられる人に尋ねましたら「神棚にお供えする」と教えてくださいましたので、私もミュージアムのお守りにしました。

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御池通にある神泉苑(東寺真言宗の寺院)に到着した中御座神輿の一行が、ご住職から祈祷を受けておられるのでしょう。神泉苑の構えからして神仏習合ですね(18:41)。平安時代前期の貞観11(869)年に、京都をはじめ全国各地に疫病が蔓延しました。それは牛頭天王(素戔鳴尊)の祟りだとして、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が、平安京大内裏に接して造営された「禁苑」(天皇の庭)である神泉苑に当時の国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来の化身とされる牛頭天王(素戔鳴尊)を主祭神とする祇園社(八坂神社)に3基の神輿を送り、病魔退散を祈願しました。祇園祭は、この祇園御霊会が起源と言われています。

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 輿丁が神輿を高く掲げて振る「差し上げ」を行うと、「鐶(かん)」という飾り金具が辺り一面に響きました。

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「ホイット、ホイット」の掛け声と「鐶」の音色とともに、中御座神輿が西の千本通に向かって御池通を進みます。

DSC05757 (2)神泉苑に詣るのは、3基の神輿の中で中御座神輿だけなのだそうです。一行が去った後、祇園太鼓の演奏が華を添えていました(⒙:54)。和太鼓の演奏は京都三条会商店街でも繰り広げられ、多くの外国人観光客が盛んに撮影していました。体に響く力強い太鼓の音は、連日の猛暑でくたびれ果てている我が身に「しっかりして、生きていけ!」とエールを送ってもらっているように感じました。

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八坂神社御供社の古井戸のところに斎場が設けられています。提灯にも明かりが灯されました。御供社の名称は、1枚目の写真のように八坂神社の神祇に神饌をお供えすることに由来するそうです。

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やがて、千本三条から東へ京都三条会商店街のアーケードを進み、中御座神輿が御供社へ到着しました。写真は、「差し上げ」をしているところ。見物客で足の踏み場もないくらい。お参りの後、三若の皆さんは、ここでしばらく休憩し、「みこし弁当」で力付け。

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やがて、中御座神輿を担いで、「ホイット、ホイット」の掛け声とともに八坂神社に向かって東へ歩いて行かれました。

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続いて、京都三条会商店街を御供社に向かって進む、東御座神輿を担ぐ四若の皆さんがやってきました。

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御供社でのお参りの後、「ホイット、ホイット」の掛け声とともに商店街を東に進み、八坂神社へと向かわれました(20:37)。

DSC05791 (2)清々講社のご一行が続きます。2004 年に、東山区弓矢町で清々講社社長さんにお話を聞かせてもらったことを懐かしく思い出しました。2016年7月15日京都新聞で「幻の武者行列 最古の映像」の見出しで、当館に寄贈いただいた1930年代前半のホームムービーに、かつて祇園祭神幸祭と還幸祭の両方に参加していた武者行列の様子が写っていたことを大きく報道して貰いました。1962年から神幸祭のみの参加になり、やがて行列を止め、現在は弓矢町の店先などで甲冑を飾るだけになっています。1961年までは、写真で見るこの行列に甲冑を身に付けた武者姿の人も参加されていたのでしょうか。

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御池通から大宮通を南下し、中京区大宮通御池下ルの国指定重要文化財「小川家住宅(二條陣屋)」前の「西御座神輿」の輿丁さんたち。

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三条大宮の角を曲がって、三基目の西御座神輿が御供社に向かって「ホイット、ホイット」。

DSC05806 (2)「錦」の文字の揃いの法被姿が圧巻ですね(21:11)。お参りの後、八坂神社に向かって西御座神輿も再び歩を進めました。自分の目で御供社に3基の神輿がお参りされるのを確認することができて何よりです。深夜までに3基の神輿は八坂神社に戻り、境内を3度回った後、境内の照明が一斉に消され、神霊を本殿に遷す儀式が営まれました。

祇園祭と言えば、暑い中を都大路をゆったりと進む山鉾巡行と大勢の観光客を連想されるでしょうが、山鉾の巡行は祓い清めの役であり、神霊を乗せた御神輿が行く還幸祭こそが、本来のハイライトなのです。毎年7月24日には、この還幸祭の様子が見られると思いますので、ぜひミュージアムを来館いただいて、夕刻から近くで繰り広げられる還幸祭を間近でご覧いただけたらと思います。

 

 

 

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