2022.02.09infomation
3月27日に研究報告「『アニメ』誕生のメディア史」から」を開催します‼
3月27日(日)14時、北波英幸さんによる研究報告「『アニメ』誕生のメディア史」から」を開催します。
北波英幸さんと最初に出会ったのは、2017年4月23日に開催した国産アニメーション誕生100周年記念「凸坊新畫帖からアニメへ」に参加いただいた折でした。おしゃべりが弾み、「いつか研究発表をしてね」とその日に依頼したのですが、それが愈々実現することになって、とても嬉しいです。
25年間フジテレビの番組を中心に制作の仕事をされていて、現在は関西大学大学院で、アニメ史やメディア史を研究する大学院生。最初の出会い以降もサポーター会員になって応援していただき、折々に足を運んでくださっています。それだけでなく、2018年9月5日~10月14日に開催した「アニメーション研究を牽引してきた功労者 渡辺泰展~その研究活動と功績~」と、関連して10月6日に開催したトークイベント「渡辺泰 アニメーション研究活動68年を語る」実施時に大いに尽力して下さいました。後者のトークイベントの振り返りはこちらで書いていますし、両方のイベントを企画して下さった北波さんたちによって当日の内容が採録されてJ-STAGEのサイトでご覧いただけますので、ぜひクリックしてお読み下さい。
研究発表に際し、北波さんから送っていただいたメールを以下にコピペしてご紹介します。
コロナウィルスの感染拡大が気になりますが、ご都合良ければぜひお越し下さいませ。
皆様からのお申し込みを心よりお待ちしております。
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私の現在の研究は「アニメ史」になります。 いま私たちが「アニメ」と呼んでいるものは何か。 それは映画の内容(コンテンツ)を表しつつ、 「アニメ産業」として経済活動や、 「アニメ文化」としてファンの活動や商品購買など とても広い範囲を指しています。 そんな広い意味の言葉「アニメ」は いつ生まれ、どのように変容してきたのか? を、調査しています。 ご存じのように日本の映画界へアニメーションが現れてから約100年になりますが、 少なくとも1910年代から1960年代頃までの半世紀、 「アニメーション」や「アニメ」という言葉は使われていませんでした。 1960年代からは映画ファンの間に現れますが、 多くの人々が使うようになったのは1970年代後期になります。 ではそれまでどのように呼ばれていたのか? なぜ「アニメ」を「アニメ」と呼ぶようになったのか? それらは概ね「線画(1910~1930年)」「漫画(1930~1975年)」 「アニメ(1975年以降)」…細かくはもっと分けられますが、 大きくはこのようになります。 「アニメ」の呼び方はその折々の文化を映していますし、 それが大きく変わるときは、アニメを上映・鑑賞する環境や空間も やはり大きく変容しています。 そういった1世紀の歴史を映画史や国家プロパガンダ史、 あるいは新聞・放送などのマス・メディア企業などとの かかわりの歴史(メディア史)としてまとめている最中です。 特に今回はこれまでの先行研究にみられる「アニメ史」からは カットされてきたような作品、資料が少ないため通り過ぎられてきた作品 を拾いながら、「アニメ」とは何だろうか?ということを お話ししつつ、お越しくださる方々と一緒に考えたいと思います。
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