おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2023.01.05column

2022・5・22トークイベント「日本に映画を持ち込んだ男たち~荒木和一、稲畑勝太郎、河浦謙一~」の動画公開‼

日本映画史家の本地陽彦先生から「『おもちゃ映画ミュージアム』のいち日が、やがて歴史となる」と仰っていただいた昨年5月22日に開催したトークイベント「日本に映画を持ち込んだ男たち~荒木和一、稲畑勝太郎、河浦謙一~」の記録映像を、このお正月から順次公開しました。兎年にあやかって日本映画の飛躍を願うだけでなく、日本に映画が入ってきたその時を「あけぼの」と捉えて年の初めに公開して、多くの方にもご覧いただきたいと考えました。公開することをご了承くださった関係者の皆様に心より御礼を申し上げます。

昨年5月18日開館7周年を迎えることを記念して何をやろうかと考えた時、日本は新型コロナウイルスで疲弊していました。その後2月から突如始まったロシアによるウクライナ軍事侵攻の影響が徐々に世界中に波及して、平和・安全が脅かされるのみならず、様々なモノが不足し、流通は滞り、物価は上昇し、生きていくのが精いっぱいという人が増えました。そうではない景気が良い人、企業ももちろんあったでしょうが、私の耳には老舗が店を畳んだという話がよく入ってきましたし、身近でもシャッターを下ろした店舗をよく目にしました。生きていくのは本当に大変だなぁと思うと同時に、たとえそんな中にあっても落ち込んでばかりいずに、「よし、ならばもう一度!」と立ち上がる元気、勇気を少しでも持って貰えるようなことをしたいと考えました。

それで思いついたのが、アメリカやフランスで誕生したばかりの“絵が動く”=映画=に心を鷲掴みにされ、魅せられただけでなく、熱意と努力と行動力でそれを日本に持ち込ちこみ、国内各地へ広めていった男たちの生き様を知ってもらうことでした。誰が一番早かったかということに注目が集まりがちですが、それよりもどんな状況で、どのように創意工夫を凝らしながら夢を叶えようと実行していったのか、そのエネルギー、パワーを感じて貰いたいと思いました。

男たちというのは、このチラシにあげた荒木和一、稲畑勝太郎、そして河浦謙一を指します。本当はもう1ルートあって東京の新居商会があるのですが、そのルートの研究をされている方が少ないらしく、現状で分かっている範囲でということで、それぞれについて関心を持って熱心に調べておられる3名の方に登壇して頂きました。

最初の登壇者は大阪の「荒木和一」について語る武部好伸さん。日本映画の黎明期に欠かせない人物なのに、あまり知られていないことを残念に思って、人一倍大阪愛が強い武部さんが調査を進め、2016年に『大阪「映画」事始め』(彩流社)を出版、昨年は遂に東龍造の筆名で『フェイドアウト 日本に映画を持ち込んだ男、荒木和一』を上梓されました。今回の催しのタイトルは、この小説から拝借しました。さらに、来月22~24日、この小説をもとにした演劇『フェイドアウト』(MTC project)が大阪市西区のイサオビルで上演されるなど、荒木和一を知って欲しいと願う武部さんの熱意は媒体を越えて広がっています。その武部さんトークの動画はこちらです。

二人目の登壇者は「稲畑勝太郎」について発表して下さった長谷憲一郎さん。昨春、駿河台大学教授に就任されたばかりで多忙を極めておられ、当日の振り返りはいただけないまま過ぎていましたが、「動画をもう少し見やすくしたい」と自ら手直しして下さることになったのを幸いに、原稿も再度依頼しています。受け取り次第、動画は新バージョンとしてアップしますが、それまではこちらをご覧ください。原稿については「5月22日開催トークイベント『日本に映画を持ち込んだ男たち~荒木和一、稲畑勝太郎、河浦謙一~』の振り返り~Part6」として掲載する予定です。

三人目の登壇者は「河浦謙一」について発表して下さった入江良郎さん。その動画はこちらです。動画公開後のアクセス数をみると河浦謙一に興味を持つ人が多いですね。富山県出身の私としては、同郷出身の偉人として誇らしく思うと同時に、富山の人々にもっと河浦謙一について知ってもらいたいなぁという思いも抱きます。

さて、動画発表に際し、入江さんから研究の近況報告が届きましたので、早速ご紹介しますね。

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おもちゃ映画ミュージアムのイベント当日は、立島清のご親族にも会場にお運 びいただくという思いがけない幸運に恵まれましたが、その近況のご報告です。立島清は河浦謙一の弟であるとともに、映画の渡来から間もなく吉澤商店 が新映画のコンスタントな輸入に着手した際に、ロンドンで映画の購入にあたった人物として、田中純一郎の『日本映画発達史』の中に登場します。つま り、映画の渡来に関わった4つの事業者の中では唯一、吉澤商店が本格的な映画商社へと脱皮をはかり、今日の映画産業の基礎を築いていくなかで、海外と 日本をつなぎ重要な役割を果たした人物であったことになります。しかし、この立島についてはごく断片的ないくつかのエピソードの他には、ほとんど情報 が残されていないため、具体的な足跡や人物は長く謎に包まれてきました。なお、近年の研究では、2019年に笹川慶子さんが「日英映画交渉史 : 吉澤商店を事例として」『關西大學文學論集』第69巻第1号(2019年7月)を発表し、外務省の外国旅券下付表やイギリスの乗船記録などの記録をもとに立島の動きを 追跡していますが、これも田中純一郎の調査からおよそ80年ぶりの研究成果となっています。

「日英映画交渉史 : 吉澤商店を事例として」http://hdl.handle.net/10112/00017215

さて、イベントにご参加いただいたのが、この立島清の孫にあたる山家信枝さ んと立島和枝さんのお二人で、その後はお二人の父で立島清四男の立島勝さんとも面会がかないました。こうして2022年に、映画草創期のキーパーソンに連なるお身内の話を直にお聞きできることになろうとは、本地陽彦さんも私も、 驚きと喜びで興奮のし通しであったことは言うまでもありません。これもおもちゃ映画ミュージアムの発信力の賜物で、イベントの機会をいただいたことにあらためて感謝を申し上げます。立島清の足跡についてはご親族の皆様のご協力を得ながら、鋭意調査を行って いる最中ですが、結果がまとまった暁には公表を予定していますので、どうぞご期待ください。

吉澤商店跡地の銀座8丁目10番ビルの前で。(左から)入江、立島勝さん、立島和枝さん、山家信枝さん、本地陽彦さん(撮影:本地陽彦)

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無茶ぶりを発揮して、第一部はそれぞれ20分程度で話して欲しいと依頼していたこともあって、思う存分話せなかったようで申し訳なかったです。第二部の鼎談の中で、発表日直前に見つかった荒木和一が映る8ミリのホームムービー、稲畑勝太郎とその事業を後継した横田永之介が映る16ミリ、吉澤商店製作の映画で現存する数少ない例として『櫻田血染ノ雪』(1909年、早稲田大学演劇博物館所蔵)といった貴重な映像もご覧頂きました。司会進行は任せて安心の入江良郎さん。鼎談の最後に上掲写真右端に写る本地陽彦先生の何とも嬉しいコメントがありますので、ぜひご覧ください。それでは、こちらをどうぞご覧ください‼

 

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