おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2023.02.12column

盛況のうちに「チャップリンと喜劇の黄金時代」上映会💖

関東では大雪に見舞われて全国的に寒い一日となった10日と打って変わり、好天に恵まれた“建国記念の日”の11日、たくさんのお客様をお迎えして、無声喜劇映画上映会「チャップリンと喜劇の黄金時代」を開催しました。遠くは名古屋や四国からも来て下さり、ありがたいことでした。

解説はチャップリン研究者の河田隆史さん、演奏は天宮遥さんです。チラシの掲載順上映ではなく、製作年順にそれぞれの作品ごとに解説付きでご覧頂きました。

ファッティの『ノックアウト』。マック・セネット監督により1914年に製作されたキーストン映画。主演は、欧米で「ファッティ」、日本では「デブくん」の愛称で呼ばれていたロスコ―・アーバックル。デビュー直後のチャップリンがレフリーの役で登場する狂乱のドタバタ喜劇。丁度昨年の今頃、東京でケラリーノ・サンドロヴィッチさんの演出で「SLAPSTIKS」が上演されていましたが、1921年9月にハリウッドで起きたスキャンダル殺人事件を題材にした内容。ファッティは犯人の嫌疑をかけられて逮捕され、ハリウッドを追われます。彼の作品は焼却処分されましたが、このノックアウト』はチャップリンが登場していたことで、後に「チャップリン映画」として興行されて生き残りました。

話が逸れますが、2月10日に公開されたばかりの熊切和嘉監督『#マンホール』でこの作品が用いられています。どの場面で登場するか、お近くの劇場でご覧いただければ嬉しいです。

ファッティとメーベルの『漂流』。ロスコ―・アーバックルが監督・主演する1916年の作品。友人のメーベル・ノーマンドと共演し、ハート形のフレームに入った二人のショットが印象に残ります。前述の理由で多くが処分されたファッティ映画にあって、残っているのは珍しい。もともとは3巻もの(約30分)ですが、その短縮版として販売されていた映像です。

チャップリンの『勇敢』。1917年にチャップリンが製作・監督・主演した作品。常に警官に追われ警官を敵視してきたチャップリンが、本作では警官になって、暴力と無法で荒れた街を理想の姿に変えるという皮肉な社会風刺映画。崇高なやさしさに触れてこそ人が更生するという暖かい人間観と、警察の制服を着た途端に性格が変わるという人間の弱さをコミカルに描いています。アルコールと犯罪だけではなく、当時はまだ大きな社会問題として確立されていなかったドラッグも問題化して描いています。

ここで、河田さんのお話タイム「チャップリンと喜劇の黄金時代」。

3項目を主にお話されました。①サイレント喜劇映画の魅力②サイレント喜劇の衰退と再評価の歴史③日本ではチャップリン映画だけが特別に評価された原因についての考察。

サイレントコメディのギャグには、①パイ投げ②滑って転んで③ぶつかり④頭上へ落ちる⑤落ちてびっしょり⑥ぶちこわし⑦出たり入ったり⑧鉢合わせ⑨多勢に無勢⑩間一髪のすりぬけ⑪露店崩しの11パターンがあるのだそうです。双葉十三郎『アメリカ無声映画の展開』とキネ旬『世界の映画作家26バスター・キートンと喜劇の黄金時代』を参考にされたそうですが、いろんなシーンを思い浮かべながら、なるほどなぁと思いながら聞いておりました。

三大喜劇王のうち、チャップリンの映画にはペーソスがあり、涙と笑いの場面、弱い立場に立った劇を作り出しました。社会に対する批判の視線、反戦の視線もあります。キートンは圧倒的な身体能力を使って喜劇を作りました。アクロバッド演技によるシュールな世界をスタントマンなしに本人が演じている凄さがあります。ロイドの作品はとてもよく考えられていて綿密なギャグを繰り出します。誰にでもありうる状況の中で起こるギャグです。

チャップリン、キートン、ロイドの三人の年間映画制作本数を比較すると、チャップリンの本数の少なさが分かります。彼は時間と費用をかけて完成度の高い作品を作り出しました。

しかし、1928年頃からアメリカでトーキーになると、キートンやロイドは声を出してしまいます。そのことでサイレント時代のスピード感がなくなり、独特の世界が描けなくなります。コメディアンは人気を失っていくことになりますが、チャップリンだけは変わらずサイレントを追求していき、1931年『街の灯』、1936年『モダンタイムス』が成功します。

これは展示の一部を写したものですが、左に掲示している『LIFE』誌(1949年9月号)が契機になって、1950年代から欧米ではサイレント喜劇の再評価が始まりました。ジェイムズ・エイジ―の論文“COMEDYE'S GREATEST ERA”が載っています。論文要旨について河田さんは「サイレント喜劇においてクスクスから大ゲラゲラまで笑いに4段階がある。サイレント喜劇においては、この4つの段階のトップまで一気にあげさせたが、近年のコメディは2つ目までしかいかない。サイレントコメディとは映画独自の形式を持った喜劇、つまりスラップスティックコメディのことである。それは単なるドタバタではなく、詩があった。当時のコメディアンには笑わせる技巧に加えてアクロバット、ダンス、パントマイムなどの訓練を積んでいた。このようなコメディアンが出てこないかぎり、喜劇映画の将来は暗い」とキャプションで紹介しています。

写真の右に写るのは、『キネマ旬報』1962年12月下旬号329号。特集「サイレント喜劇は生きている」が組まれ、双葉十三郎さんが「驚嘆すべき映画的エネルギーの爆発」を載せておられます。同年、日本でも『チャップリンの黄金狂時代』『キートン将軍』『ロイドの喜劇の世界』が劇場で上映され、サイレント喜劇再評価の兆しがありましたが、「ドタバタ喜劇」として低く見られ、チャップリンを除いて拡がることはなかったようです。

1970年に三大喜劇王の再公開が企画され、上掲「ビバ!チャップリン」シリーズは大ヒットしましたが、「ハロー!キートン」「プレイロイド」シリーズは途中で打ち切られ、何とロイドは第1弾だけで打ち切られるという残念な結果だったそうです。

名場面集映画『シネ・ブラボー!』(1974年、ロバート・ヤングソン監督)のタイトルデザインは、和田誠さんが手掛け、イラストも描く(左の一枚)などマイナーな映画に2種類のポスターが制作されて特別扱いされています。

『キネマ旬報』1974年12月上旬号645号に掲載された「シネ・ブラボー座談会」の誌面。このようにキネ旬誌上で活躍していた映画人たちが再評価に努力したにも関わらず、報われることがなく、京都では上映されなかったそうです。80年代まではチャップリン以外は再評価されませんでした。

では、なぜチャップリンだけが評価されたのでしょうか?1980年代初めに高校の社会科教師になった河田さんや同じく英語の教員だった奥様は、いずれも教科書の中でチャップリンをとり上げていたので授業でもチャップリンについて触れたそうです。学校を通じて子どもたちがチャップリンを知る機会に接していたという話は「なるほど」と思いました。当館に来館いただくお客様との会話から、そのほとんどがチャップリンを知っておられますが、ロイドやキートンとなるとご存じじゃない方が多いのは、そういうことも背景にあるかと得心しました。

それだけでなく、道徳、偉人伝、週刊誌などでもチャップリンは取り上げられることが多かったことから、河田さんは「チャップリンの業績は、映画以外のメディアや学校から周知徹底された」と結論付けておられます。

イベント終了後に参加した方からメールが届きました。

「僕が中学二年生の時に学校の体育館でチャップリンの『モダンタイムス』を見ました。昭和五十六年、西暦だと1981年ですね。東山区にあった洛東中学校。河田さんの話を聞いて思い出しました。何かにつながるかもしれませんね」と。ちょっと話は逸れますが、今でも学校でみんなで映画を観る経験ってしているのでしょうか?メールを読みながら私も小学校低学年の時、体育館でザ・ピーナツが歌って、出演した『モスラ』を観たことを思い出しました。学校で観たチャップリンの映像も、何年たっても忘れられない思い出になっているのですね。

1976年、NHKが「チャップリン小劇場」を20分枠で2週間放映。フランキー堺さんが弁士を務めて、それが大変面白かったそうです。1977年には「ロイド小劇場」を同じくフランキー堺さんのナレーション入りで放映。きっかけは、1971年ロイドが亡くなった後、アメリカのタイムライフ社がその映画の権利を入手したこと。テレビ放映が開始され、ロイドの再評価が活発化します。さらに、同じ1977年に「キートン小劇場」もフランキー堺さんの解説で放映されました。キートンのフィルムは長く失われていましたが、1956年キートンの邸跡から発見され、収集家のレイモンド・ローハーワーが復元し、NHKはそのフィルムを使用して放映しました。1990年代と2000年代には、NHKBS2で澤登翠さんの活弁で放送もされているそうです。

これは、1991~92年にNHKで放映された『チャップリン短編コメディー特集』の台本。『チャップリン小劇場』が好評だったので、同種の番組が繰り返し放映されたそうです。解説は永井一郎さん。

その後、1980年代にVHSビデオテープが普及して、ようやくチャップリン以外も見られるようになります。以降、徐々に再評価が始まります。YouTubeなどにより、今では他のコメディアンのサイレント喜劇も見られるようになり、チャップリンだけじゃないという評価ができました。

ということで、河田さんの講演のまとめ。

・サイレント喜劇はギャグの基本を作った。

・トーキー時代になって、サイレント喜劇は忘れ去られた。

・1960年代から世界的に再評価が始まりますが、日本ではチャップリンだけが評価された。

・チャップリンの評価は映画以外のメディアが促進した。

・VHSビデオの普及、日本でもサイレント喜劇が再評価されたが、促進したフランキー堺の功績が大きい。

 

ラリー・シモンの『キッド・スピード』。1924年製作、ラリー・シモン監督・主演、オリバー・ハーディー、ドロシー・ドワンほか出演の作品。三大喜劇王と肩を並べるほど人気があったラリー・シモンですが、今では語られることが少ないコメディアンのひとり。『キッド・スピード』は、コメディよりアクション映画という感じ。ラリー・シモンは乗り物を駆使したギャグで人気を博しましたが、お金がかかりすぎて、その度が過ぎて会社を首になります。20年代後半に長編作品に移行して人気が下落。本作は、当館所蔵の9.5ミリ版です。

チャーリー・チェイスの『王様万歳』。1926年、レオ・マッケリーが監督し、主演はチャーリー・チェイス。マックス・デイヴィッドソン、オリバー・ハーディ他出演。チャーリー・チェイスはスラブスティックコメディ(ドタバタ劇)とシチュエーションコメディ(ストーリー中心の喜劇)の両方ができるコメディアン。どこにでもいるちょっと嫌味な紳士のキャラクターで、レオ・マッケリー監督と多くの傑作喜劇の仕事をしました。トーキー後も活躍しましたが、惜しいことに早世。チャールズ・パロットの名前で喜劇映画の監督もこなしました。多数のスタッフを雇って、チームで練り上げたギャグをストーリーに散りばめるやり方は、今の喜劇映画と同じです。河田さん自身字幕を作ろうと挑戦されましたが、40枚もあって途中で断念。11日も参加いただいた吉川恵子さんに翻訳して頂きました。大阪弁で面白おかしく、楽しめました。「動きのドタバタ、ストーリーのドタバタを追及していて、字幕が増えたのだろう」と河田さん。

以上5作品を上映して、皆さんに楽しんで頂きました。

展示中の「チャップリンと喜劇の黄金時代」にキャプション付きで貴重なコレクションをお貸しくださり、11日に上映と解説もしてくださった河田隆史さんです。とても分かりやすくお話しをしてくださいました。

そして、いつもながら華麗な演奏をして映画を盛り上げてくださった天宮遥さん。彼女のファンが幾人もお越しくださいました。ありがたいことです💗中には生演奏付きで無声映画を観た面白さに嵌って、鳥飼りょうさんが発信しておられる「無声映画振興会」のサイトをチェックしてお越しいただいた若い男性の姿も。

お決まりの集合写真。皆様、ようこそおいで下さいました。満員のお客様をお迎えして、河田さんは大変感激されていました‼

終焉後に熱心に展示を見て下さり、とても嬉しく思いました。この光景を26日までの残りの日々でも眺めたいです。

チャップリンファンだという女性たち(後でわかったのですが、手前の二人と、もう一人が大阪芸大映像学科卒V91の安田さん、原さん、嶋田さんでした。中島貞夫監督からこの展覧会のことをお聞きになって参加して下さったのだそうです‼)が、チャップリンの分厚い本をめくりながら熱心に読んでおられます。写真集『THE CHARLIE CHAPLIN ARCHIVES』と『Charlie Chaplin The Keystone Album』。河田さんが海外から購入された本です。

「チャップリンだけが特別に評価されて、高価な本を何冊も出しています。日本では特にその傾向が顕著だと思います。チャップリン関連の書籍は日本でも大量に出版されました。確かにチャップリンは偉大ですが、他のサイレント喜劇は長く評価されませんでした。日本でキートンやロイド、ローレル&ハーディーなどが見直されたのは1990年代以降だと思います」と河田さん。今日のお話を聞きながら、当館で紀要のような位置付けで発行している小冊子で、サイレント喜劇映画について書いて欲しいと要望しました。既に忘れ去られている喜劇映画の王様たちを再評価することに微力でも貢献できれば何よりです。

お客様から今回イベントの続編を期待する声も聞かれました。河田さんは「思い残すことがない」と満足気な様子でしたが、また計画します。

「チャップリンと喜劇の黄金時代」は2月26日まで(月、火曜休館)。ぜひ、この機会に見にいらして下さい。お待ちしております‼

 

 

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