おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2024.07.24column

京都新聞文化面で刺青絵師毛利清二展を紹介する記事掲載‼

今朝の京都新聞文化面で開催中の「毛利清二の世界-映画とテレビドラマを彩る刺青展」を紹介して頂きました。会期は28日までなので、残り僅かな日数ですが、ご都合付く方は素晴らしい芸術作品と言える毛利さんの下絵をぜひご自分の目でご覧下さい‼なお、28日は14時からクロージングイベント(参加受付終了)をしますので、通常見学はそれまでにお済ませくださいませ。ご協力を宜しくお願いいたします。

昨日の休館日も栃木県宇都宮市から、あるいは愛知県名古屋市から、市内からも観に来て下さいました(在館していて良かったです)。そして今日は高知県の彫師さんから、冊子『絵金派』(絵金派アートギャラリー・ビジュアルガイドブック)を3冊も送って頂きました。

会話が弾んで楽しかっただけでなく、こうして絵金の資料本までプレゼントして下さった心遣いが嬉しいです。高知県では彫り物に絵金に因んだ絵柄を要望されることもあるそうです。7月20、21日に開催された絵金祭には多くの彫師さんとそれに同行したイタリアのTVも来場され、とても賑やかだったそうです。『絵金派』ガイドブックは、展示会場の資料を並べたテーブルに早速仲間入りをさせていますので、関心がある方は、遠慮なく頁をめくってご覧下さい。

宇都宮からの彫師さんは、「額の切り方にはいろいろある。脇腹の切り方を勉強しに来た」と仰って、じっくりと1枚1枚見ておられました。関西でいう“太鼓”を関東では“ひかへ”と言って違いがあったり、“どんぶり”(手首と足首以外が全部繋がっていること)という言い方、「緋鯉」のように絵だけを入れる「抜き」、彫師、絵師、刺青師の違い、昔は刑罰としての入墨を消すために刺青を彫っていたことなどをほとんど何も知らない私に教えて下さいました。彫り始めて27~28年、海外でも仕事をする機会があるそうです。「とにかく絵を描くことが好きで、中学を卒業後に刺青を勉強しだした。当時は今と違って勉強する場が限られていた」。展示している毛利さんの下絵を見ながら「毛利さんは雲の上の人。何でその絵になるのか、背負うものの意味を知っている。凄く勉強されたと思う。上り龍は上りつめてなるもの、自分の人生の集大成」などと話し、「辛い時期も経験してきたので、自分のようなところに来て下さるお客さんには感謝をしている。一生懸命働いて貯めたお金を使って来て下さるのだから感謝の気持ちしかない」と熱く語りながら、最後に「こういう場を設けて下さってありがとうございました」と言って帰っていかれました。

「7月12日に東京から来られた美漸さんに続きを彫って貰ってもらう」と言っておられた大阪の男性は、約束通りその成果を見せに再訪して下さいました。

ホホーッ‼ でも、まだ完成じゃないそうです。他の人と話していて聞いたのですが、手彫りより機械彫りの方が痛いらしい。逆かと思っていました。お金と時間を費やし、こうした痛みに耐えて自分らしさを刺青で表現している人たちに、この展覧会中たくさん出会えました。実に刺激に満ちた日々でした。それも、残り僅か…

今日アメリカからのカップルは、東映の映画村でポスターを見て来館して下さいました。毛利清二展をご覧になって「とってもクールだ‼」と言って満足そうでしたが、彼の体はお絵描き帳のようだと思いました。タトゥーとの違いなのでしょうが、宇都宮の人が言われたように「何を背負っているか」その意味と覚悟が毛利さんの刺青絵には込められているように思います。

6月12日に来館された峰蘭太郎さんが、今日も来館。私がブログで峰さんのことを書いた記事を喜んで下さり、その気持ちを伝えに来て下さいました💗私が「出来ることならその瞬間を見たい」と思っているベビーパウダーをはたいた刺青絵に蒸しタオルを当てた瞬間の鮮やかさについては、実際に何度も立ち会った時のことをよく覚えておられて、肌がぱっと綺麗になってより一層刺青絵が鮮やかになる。その瞬間はとても美しいそうです。「毛利さんは、ぼかし方が素晴らしく上手い」とも仰っていました。色使いの素晴らしさについては手描き友禅の経験が活きているのではないかという話には、頷いておられました。

今日は先日日活に問い合わせた返事が届きました。

……お尋ねの弊社俳優OBの河野弘さん(「刺青」でクレジットされる際は「河野光揚」名義)に関しまして、弊社には刺青の下絵等の資料や完成後の写真は残っておらず、河野さんが刺青を

担当された「生きている狼」(1964)で小林旭さんに、「昇り竜 鉄火肌」(1969)で扇ひろ子さんにそれぞれ刺青を描いている〈体の〉スナップが数点確認できる程度でした。これ以外にも刺青担当作品の未スキャンスチルが存在するとは思われますが。……

ということです。河野さんの消息についても尋ねてもらっているところですが、下絵や完成後の写真が河野さんのお手元に保存されていると良いなぁと願うばかりです。山本芳美先生が化粧文化の研究の中で、毛利清二さんの「映画とテレビドラマを彩る刺青」に注目して下さったおかげで、こうして毛利さんの刺青絵師としての仕事が日の目を見ました。京都新聞記事の最後に連れ合いの言葉が用いられていますが、「毛利さんのような技術者が、人気映画を支えていたことを知って欲しい」と私も思います。そういう意味でも、今回の展覧会は、とても良い企画だったと思います。

 

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