おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2025.01.04column

12月28日、仲間が集いミュージアムの「さよなら会」

2024年12月28日は、京都市中京区壬生馬場町での活動最終日でした。「最後は賑やかに」と思って「さよならパーティー」をしました。近在はもとより遠方からも駆け付けてくださり大変嬉しく思いました。貴重な時間を割いてお集まりいただきましたこと、心より御礼を申し上げます。

最初に連れ合いが、この10年間のお礼を述べ、

写真手前左の稲畑産業㈱広報部長橋本幹樹様の発声で「乾杯!」をしました。急なお願いにもかかわらず、引き受けて下さり感謝です。昨年1~3月「友禅染めの着物で“映画”をまとう~初期映画と染織に尽力した稲畑勝太郎にもふれて~」の折にも多大なご協力を賜りました。いつも応援して下さっていること心より御礼を申し上げます。

集って下さったそれぞれの皆様が私どもとのご縁を大切に思っていて下さることがひしひしと感じられ、10年間走り続けられたのは、こうした皆様方のおかげだと改めて感謝の思いで一杯です。

ちょっとピンボケなのが惜しいですが楽しい歓談の光景。一番奥にこの様子を記録撮影して下さった『映画の朝ごはん』を監督した志子田勇さん(大阪芸大映像学科V00)とその右に林けんじろうさん(同V93 )の姿も。当館も登場する彼の小説『星屑すぴりっと』は講談社児童文学賞新人賞を受賞しています。お二人の次回作を期待しています‼

最近知り合った人もおられますし、古くから存じ上げている人もおられて、この場が契機になってそれぞれのネットワークを広げていくのに役立てば良いなぁと願います。

この日の前夜にクラウドファンディングの申請が通り、「いつでも公開できます」とのメールを受信しました。「タイミングが良いから、皆さんに紹介しよう」ということでネットを繋いでスクリーンに画面表示しています。そして、頃合いを見図り、皆さんにご紹介しました。

画面上では2025年1月13日から2月28日までと書いていて、中途半端な日から始める理由として、「私の誕生日で、成人の日の祝日でもあり、皆さんから祝って応援して貰えたらという意味合いで設定しました」と挨拶をして、拍手してもらったまでは良かったのですが。。。

調子に乗ってカウントダウン。10、9、8、7、6、5、4、3、2、1と数えて、「公開する」をクリック。画面上に表示された「限定公開」を「公開」にしてしまったわけですが、この時点ではまだ理解ができておらず、自分たちの頭では「1月13日から」のままが支配していました💦

既にクラファンがスタートしているにも無知で気付かないまま、中島貞夫監督を慕う「中島GANG」の鈴木優様からいただいた花束を手ににっこり。2015年5月17日の内覧会にもお越しいただきましたから、ずっとこの場を見守り続けていてくださった方のお一人。ありがとうございます。誕生日を自ら暴露した結果、鈴木さんは私より半年弟だと分かり、写真送信メールには「姉様」とありました。学年が1っこ下だから仕方ないか。

浜松の木下惠介記念館担当キュレーター戴 周杰さん。一昨年1月13日に来館いただき話が弾んで、その年夏に早速当館で「戦後民主主義映画の旗手 木下惠介展」を同記念館他の協力を得て開催することができました。知的で優しく、ソフトな物腰、何より笑顔が素敵な戴さんのファンは確実に増えています。もちろん私もその一人。

右の男の子は何回かこのブログで書いた神戸のあっ君です。もう12歳です。昨年9月21日と12月1日「初期の映像装置“ミュートスコープ”を再生してみよう!」を開催した折に両日とも参加。早速スマホを操作して、スマホを簡易フィルムビューワーとして活用し、35㎜フィルムをデジタル化してみると話していました。翌日お母様からのメールに「あつやは現在のおもちゃ映画ミュージアムの建物への思い入れが強く、最後の日の28日に行きたい!と言っているのですが、申し込みをせずに帰って来てしまいました。28日伺うことは可能でしょうか。あつやが幼稚園から出会った建物なので、お別れが寂しいです…。いつも温かく迎えてくださり、感謝しております。ありがとうございます」と綴られていました。

28日は大人ばかりの会にお父様が付き添ってやってきてくれました。13枚から成るパラパラ漫画を作って来て見せてくれたので動画を撮影しました。

彼が初めて来たのは芳名帳を見ると2018年6月9日で6歳の時。2回目に来てくれた時の様子はブログで書いています。ぜひ読んで見て下さい。本当に凄い子どもさんで、将来どんな発明をするのか楽しみです。

その彼が、中国出身の戴さんといきなり中国語で挨拶したのにはびっくりポン!韓国の人が話す日本語のシチュエーションもやってみてくれました。お父様によれば耳がもの凄く良いのだそうです。益々将来が楽しみ。

28日早く到着したあっ君が撮影した「さよなら会」開始前の当館の写真。記念になります。スマホの機能をよく知っていてビックリです。

そして、お決まりの集合写真。写り損ねているのが撮影者の黒瀬さんと、ボランティアの河田さん、それに浮田さん。ごめんなさい。

そして、私のたってのお願いで外でも撮りました。通りがかりの人は何ごとかと思われたかもしれませんが、第一幕終幕を記念する一枚です。ここで大勢の皆さんと一緒に10年間、私どもらしい展覧会と上映会や講演会など様々な催しをしてきました。思い出がいっぱい詰まった場所です。ありがとうございました!!!!!

色紙に寄せ書きをして貰いました。宝物が、またひとつ増えました💗

館内に戻り、歓談の続きをしているうちに、漸くクラファンサイトが公開になっている事実に気が付き、私は瞬間真っ青になりました。助言いただいている人から「年末年始は動かない」と聞いていたからです。気落ちした私の様子に、いつも温かく接して下さる(公財)川喜多記念映画文化財団の和地さんがスマホで「ポチッ」と支援してくださいました。写真は最初の支援者「1人」と表示された瞬間の和地さん。これまでの数々の展示で本当にお世話になっていますが、この日は料理の盛り付けから片付けまで一生懸命手伝って下さいました。挙句に、このようなお手伝いまでして下さって感謝感謝感謝です。

川喜多さんと私どもは韓国映像資料院が発行した冊子『ARCHIVE PRISM』#11で隣り合って紹介して頂きました。世界中の優れたフィルムアーカイブ活動を展開している施設を紹介する冊子で、尊敬している川喜多さんと一緒の号で紹介頂けたことは大変な名誉でしたが、ここでも励ましてもらいました💗

いつも催しに参加して頂いた後、その振り返りを書いて下さる元TVプロデューサーの大牟田さんが、今回も早速SNSで書いて下さいました。許可を得てコピペ。

…………

12/28は何度も足を運んだ京都・大宮の「おもちゃ映画ミュージアム」の一時閉館に伴う“さよなら会”。

元大阪芸術大学教授で館長の太田米男さんと文代さん夫妻が二人三脚で運営してきたおもちゃ映画ミュージアムは2015年5月18日に開館しました。

古い町屋をリノベーションしたミュージアムでは、数々の展示会や上映会が催されて来ました。

とても居心地が良かったのですが、10年の契約期限が近づき、諸般の事情で今の場所を離れることになったのです。

ということで、ゆかりの深い30人余りが全国から駆けつけ、現在のミュージアムに別れを告げました。

一時は移転先が見つからず、どうなることかと心配しましたが、京都・西陣の晴明神社の近所(正確には京都市上京区黒門通元誓願寺下ル毘沙門町758)のお知り合いの方が建物を貸してくれることになり、2025年4月に場所を変えて、ミュージアム再開!となります。

ひとまずひと安心なのですが、今の場所の原状回復に、大量の資料の引っ越し、転居先の改修などの費用が思いのほかかさむことがわかり、クラウドファンディングでそれら資金の協力を呼びかけています。

正式には来年1月13日(太田文代さんの誕生日!)にクラファン開始のはずだったのですが、完成したページを「公開」にしちゃった(笑)ので、もう今からでも支援できるようです。

https://camp-fire.jp/projects/811613/

もしご関心があれば、ご協力いただけると幸いです…とのこと。

…………

大牟田さん、ありがとうございます。そして右に写っているのは、つい先日も来て下さった一橋大学大学院生の佐藤優さん。今年8月、広島の被爆者、切明千枝子さんの歌集「ひろしまを想う」を出版されました。また、「被爆者と若い世代をつなぐ集い」を毎月開催されていて、頼もしく、行動力がある若者です。今年は彼女を繋いで下さった「ヒロシマ通信」の竹内良夫さんと一緒に那須の千振を訪問したいなぁと思っています。

他にもそれぞれの方をご紹介したいところですが、既に長文になっていますので割愛させていただきます。申し訳ございません。

新しい活動拠点でもお会いできれば嬉しいですし、催しのご提案がございましたら遠慮なくお知らせくださいませ。新拠点では催しを中心にやっていきたいと思っています。

これまで同様、否これまで以上に応援を賜りますれば幸甚に存じます。

どうぞ、宜しくお願い致します。再度クラウドファンディングのリンクを貼ります。https://camp-fire.jp/projects/811613/

 

 

 

 

 

 

 

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