おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2026.07.20column

ミュージアムから「京の実業家 稲畑勝太郎創業の地」記念碑までの散策マップができました‼

今年5月19日に京都市上京区中筋通智恵光院西入の場所に「京の実業家 稲畑勝太郎 染料店創業の地」記念碑が、土地所有者様のご協力を得て、稲畑産業㈱様により建碑されました。そのことは5月26日付け京都新聞夕刊1面トップで大きく報じられました。その記念碑に行くまでの道のり案内マップができました。制作して下さったのは、今春インターンシップに来てくれた京都デザイン専門学校で学ぶ留学生李 一凡さんです。中国語版当館の案内チラシと同じキャラクターが左上に載っています💗

いつも西陣郵便局へ行く途中、私はこの碑の前を通ってニンマリしています。道行人の人々も、ミュージアムを訪ねて下さった方々にも、ぜひこの碑の前に足を止めてご覧頂きたいです。

かつてこの地にあった稲畑染料店では、フランスのリュミエール社が派遣したシネマトグラフのカメラマン兼映写技師コンスタン・ジレルが、稲畑一家を撮影し、その映像『家族の食事』を今も国立映画アーカイブのサイトで見ることができます。来日したのは1897年(明治30年)早々のこと。日本が本格的な資本主義国家へと歩み出した年です。金本位制の導入により国際経済に参加し、社会構造も大きく変化。教育・文化・生活の各分野でも近代化が進みました。リュミエール社の映画導入もその一翼を担いました。

来日中のジレルが撮った29本の作品は、1960年2月に来日したフランスの当時の文化担当大臣アンドレ・マルローから当時の国立近代美術館稲田清助館長に贈呈され、今も「明治の日本」として見ることができます。ジレルは日本各地を撮影して残していますが、稲畑勝太郎研究者の大阪産業大学教授長谷憲一郎さんによれば、その費用は稲畑が出していたようです。さらに、11月末にジレルが離日するまで、ジレルはこの碑文が敷設された場所にあった稲畑家に滞在していたそうです。明治の日本を記録して今に伝える映像は、実業家稲畑勝太郎の支援あればこそ。もっと稲畑勝太郎のことは評価されて良いと思います。

上掲新聞記事が掲載された折にブログを書きましたが、その最後部分に、ミュージアムからこの碑迄の散策マップを制作依頼中と書きましたが、それが完成したのです‼ 授業や就職活動で忙しい合間を縫って取り組んでくださったことがとても嬉しいです。李一凡さん、どうもありがとうございました💗

ミュージアムへ来館の折りには、ぜひこのマップを頼りに周辺も散策して下さい。先ほど用事で付近を歩いていましたら、地図真ん中の大宮通をもう少し南に行ったところに「名和長利公遺蹟」の大きな石碑があり、その左に「一条院跡」の説明板がありました。

『源氏物語』作者紫式部が日記で記す「内裏」とは、この場所のことだったのか、と興味深く思いました「一条天皇時代の文化サロンの舞台となった」という文言に惹かれます。 “第七藝術”とよばれる映画文化のために、微力でも尽くしている私どもとしては千年前の文化と繋がっているように思われた瞬間でした。この碑が建っている公園名は「名和児童公園」で、南北朝時代後醍醐天皇の忠臣名和長利が戦死したのがこの場所だったと伝えられているそうです。

散策マップに早咲きの“河津桜”で知られる“一条戻橋”が描かれていますが、その橋を渡って東へ少し行くと、写真の石碑があります。

多面体の石碑で東側から“藤原道綱母子 源頼光一条邸跡”“聚楽城 加藤清正邸伝承地”“此付近応仁の乱洛中合戦勃発地”“此北近衛堀川屋敷跡”が刻まれています。さすが千年の都だと思いますね。歴史が折り重なった地に今があると実感します。

加藤清正と言えば虎退治で有名ですが、今年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、伊藤紘さんが演じています。

“母衣武者”が描かれていると思って祇園祭用に買った四条派の手による古い掛け軸は、どうやら「賤ケ岳の七本鑓」を描いたものらしく、その中央にいるのが兜の蛇の目と鎧に描かれた桔梗の紋の加藤清正ではないか思われます。「そうか、この絵の加藤清正はすぐ近くに住んでいたのだ」と歴史を身近に感じた瞬間でした。

元誓願寺通りを堀川を越えて東に行った小川通の北側の住宅地には絵師狩野元信邸宅跡の碑が静かに建っていて、有名な狩野派歴代が住まいしたあたりだそうです。世界遺産二条城二の丸御殿に残る立派な障壁画の数々を思い浮かべ、「流石、京都」とまた唸ります。という具合に、ミュージアム周辺には新しくできたマップ周辺にも見所がたくさんあります。当館見学の前後に周辺の歴史探訪をぜひお楽しみください‼

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