おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2026.07.22column

汗をかきながら、祇園祭「八幡山」見学

下掲写真は、日本甲冑武具研究保存会理事馬場真二郎様のご協力で7月25日まで延長してお借りすることができるようになった「母衣武者生人形」です。近年アメリカから里帰りしました。先にブログで書きましたが、1910(明治43)年ロンドンで開催された日英博覧会では、日本には長い歴史があるのだということを目で見てわかるように実物大人形を用いた歴史パノラマで紹介していたようです。その「第六 源平時代及足利末武装」のコーナーに「差物シタル四十歳位ノ武者一人母衣掛タル三十歳位ノ武者人形二體」とあるのを見つけました。足利時代を描くときに目立つ旗指物武者と母衣武者が象徴的に採用されていたのですね。

展示には、馬場さんに教えて貰った米沢市上杉博物館蔵「洛中洛外図屏風」(国宝、筆:狩野永徳 安土桃山時代16世紀)、出光美術館蔵「祇園祭礼図屏風」(重要文化財、桃山時代17世紀)、京都国立博物館蔵「祇園祭礼図屏風」(17世紀前半)、サントリー美術館蔵「洛中洛外図屏風」(伝筆:土佐光高、江戸時代17世紀後半)に描かれている母衣武者のパネル展示もしました。

そして昨日、38.2度と今年一番の暑さを記録した中京区の新町通三条に位置する祇園祭「八幡山」の会所飾りを、怪我した足を引きずりながら見学しました。目的は八幡山保存会所蔵「祇園祭礼図屏風」を見ること。昨年6月14日に実施した京都歴史資料館長下坂守先生の講演で、同会所蔵の屏風にも母衣武者が描かれていると知り、なんとしてもこの機会に見たいと思ったのです。初日の21日は正午過ぎから会所が公開されるというので、元はこの町内の生まれで、毎年のように八幡山に通って鳩笛を買っているという女性とおしゃべりしながらその時を待ちました。

八幡山には古くから伝わる「ろーそく売りの童歌」があるそうで、その歌を口ずさんで下さいました。

宵々々山(21)、宵々山(22)

八幡さんの厄除けのお守りは此れより出ます
御信心の御方様は受けてお帰りなされましょう
ローソク一丁献じられましょう
ローソク一丁どうですか♪

はちまんさんのやくよけのおまもりはこれよりでます
ごしんじんのおんかたさまはうけておかえりなされましょう
ろうそくいっちょうけんじられましょう
ろうそくいっちょうどうですか♪

宵山(23)

八幡さんの厄除けのお守りは此れより出ます
明日は出ません今晩限り
御信心の御方様は受けてお帰りなされましょう
ローソク一丁献じられましょう
ローソク一丁どうですか♪

はちまんさんのやくよけのおまもりはこれよりでます
あすはでませんこんばんかぎり
ごしんじんのおんかたさまはうけておかえりなされましょう
ろうそくいっちょうけんじられましょう
ろうそくいっちょうどうですか♪

身体に刻まれた童歌は、遠く離れた静岡で暮らすお嬢さんにとっても同じで、今も諳んじておられるとか。良いものですね♪

授与品がずらり並んだ売り場から狭い路地を奥へ進むと目指す屏風がガラス越しに展示されていました。ひょっとしたらこの時期だけ本物が展示されるのかと期待していたのですが、高精細カメラで撮影されたレプリカでした。ガラスに、カメラを構えた自分が映るだけでなく、ひっきりなしに通り行く人が映り込むので綺麗な写真は撮れませんでした💦けれども第五扇から第六扇にかけて描かれている棒の衆6人と母衣武者を見ることができました。本物は京都市指定有形文化財で、常は京都国立博物館で保存されています。祇園祭後祭の様子を描いた屏風です。

上段左端から、八坂神社、鴨川、大船鉾、鷹山、浄妙山、鈴鹿山(松の上部のみ)、鯉山、役行者山、北または南観音山、黒主山(松のみ)、八幡山、橋弁慶山の順に描かれています。下段は還幸祭の三基のお神輿が描かれていて、左から先頭を行く六角形をした主祭神・スサノオノミコトを乗せた中御座、四角形のクシナダヒメのミコトを乗せた東御座、ヤハシラノミコトガミを乗せた八角形の西御座が並びます。

その中御座の前を行き、祓い清める棒の衆6人と派手な旗指物をした武者と大きな母衣を背にした武者が連なっています。屏風全体の大きさは、高さ116.6㎝、幅316.6㎝、金地着色した17世紀半ばの盛大な巡行の様子を伝えています。やがて幕府は武器を持つことを警戒し、何度か鑓や弓の数を制限し、母衣武者は消えていきます。祇園祭先祭の様子を描いた屏風もかつては描かれて一対で楽しまれたものだろうと思います。今に伝わっていないのが惜しいです。

左奥にチラッと見えているのが朱塗りの鳥居。巡行の時は、この鳥居の上に下掲の一対の鳩が止まります。小祠は江戸時代後期の天明年間(1781~88年)に造られたと言われていて、約1m高さの純金箔で輝いています。

中央の一対の鳩は有名な左甚五郎作と伝えられていて、巡行の際に鳥居にのるのはその左の一対が引き受けています。その後方左に江戸中期の宝暦年間(1751~64年)につくられた「雲龍波濤図」が展示されていますが、ひょっとしたらその元になった?元禄3(1690)年の御山見送も展示されていました。山の後ろを飾る織物です。

ご先祖様たちが守り続けた懸装品などを大切に継承しておられる町の人々の一生懸命な思いが伝わってきます。毎年のようにいくつもの山鉾を見て回ってきて、八幡山も何度も見ていたのに、今年母衣武者と出会ったことで海北友雪が17世紀半ばに描いた屏風絵に興味を持ちました。

八幡山は、八坂神社の記録『祇園社記』第15に出てくる「八幡山」とも言われていて、室町時代中期の応仁の乱(1467~1477年)前には、既に創建されていたといわれている古い歴史を有する舁山です。新町通は山鉾が通るには狭いので、電線などはうまい具合に黄色のネットで覆われて感電防止対策がとられています。

同じく新町通にある北観音山近くの藤井絞宅の屏風祭り。窓からの眺めですが、奥行きがあって風が通る気配迄感じられそう。この時期はどこの京町家でも、ヒオウギが見事に生けてあります。美しい屏風だけでなく、この生花を見るのも楽しみの一つ。祭礼具のひとつ檜扇に似ていることから、ヒオウギは祇園祭の祭花として飾られるようになったのでしょう。

藤井家と並び建つ国登録有形文化財「𠮷田家住宅」の屏風飾り。元祇園祭山鉾連合会理事長だった吉田幸次郎さんが昨年亡くなり、住宅の寄贈を受けた京都市が今年から屏風祭りを引き受けたそうです。元は1909年に建てられた白生地問屋だった建物。貴重な町家遺産として残って何よりです。

新町六角下ルにある北観音山は、町有古文書の記録から、南北朝時代の文和2(1353)年創建と古いです。巡行時には観音懺法に因んで柳の枝を差し出していくそうですが、今年は見に行くことができないので、留守録しておいて、帰ってからゆっくり拝見することにします。真夏の空にご神木がすっくと伸びています。今日も大勢の観光客が汗を拭きながら各山鉾を見て歩いておられることでしょう。24日当日はどうぞ、にわか雨に遭うことなく、熱中症に気を付けて安全に巡行を終えられますように。

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