おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2026.05.27column

シネマトグラフを日本にもたらした京都の実業家“稲畑勝太郎”ゆかりの地に建碑

5月26日付け京都新聞夕刊1面トップ記事として、京都出身の実業家で、後に大阪商工会議所会頭や貴族院議員も務めた稲畑勝太郎(1862-1949年)の創業の地に記念碑を建てたことを報じて頂きました。ネットでも配信されましたので、少しばかり関わった者として嬉しく思います。

ことの発端は昨年4月3日当館内覧会の日のことです。参加して下さった稲畑産業㈱広報部長橋本幹樹さんに「創業者の稲畑勝太郎さんが最初に構えた店の場所が、このミュージアムが面している黒門通から二筋西へ行った智恵光院通と、元誓願寺通より北へ一筋行った中筋通の交差点にありました。京都市歴史資料館や法務局の横大宮町『地検台帳』『土地売買台帳』などを調べて、実はここからとても近い場所からスタートされたとわかりました。京都はかつて日本のハリウッドと呼ばれ、多くの撮影所や俳優さんの家、映画館もたくさんあったのに、その痕跡を示す標がほどんどみられません。私はこのことをとても残念に思っています。日本に映画をもたらした稲畑さんの功績を称え、皆さんにそのことを知って貰うために碑を建てませんか」と持ち掛けました。

真剣な思いが橋本さんに伝わったようで、橋本さん、広報担当の竹枝絵里さんと何度も顔を突き合わせながら検討を重ね、碑の設置を了承して下さった土地所有者様の協力を得て進め、最終碑文には稲畑勝太郎研究者の大阪産業大学教授長谷憲一郎さんの文章をたたき台にして完成させ、稲畑産業さんによって5月19日に施工されました。

五月晴れの澄み切った青空が広がった日でした。

写真右端で作業を見守っておられるのが橋本さんです。一年かけてこの日を迎えることができて、私どもも感無量です。

当館内には橋本さんのご厚意で1897年、リュミエール社から派遣されたカメラマン兼映写技師のコンスタン・ジレルが撮影した『明治の日本』のひとつ「家族の食事」の一場面をプリントしたパネルをお預かりして掲示しています。右端の男性が稲畑勝太郎で、二人の子どもたちと世話をする女性が二人が写っています。ジレルを伴って帰国したのは同年1月で稲畑が紋付羽織姿、ひょっとしたら1月15日の小正月を撮影したのではないかと連れ合いは考えていて、そのことをほのめかした碑文になっています。このことについては、長谷さんの今後の研究成果を待ちたいです。

登記台帳によれば、稲畑が土地を購入したのは1893(明治26)年1月12日で、手放したのは1908(明治41)年8月27日。取得した折の宅地は129坪4合(字が潰れて読みにくいのですが)、敷地内に母屋と物置と土蔵の建物3つがあったようです。染料店を立ち上げたのが1890(明治23)年のことですから、当初は借家だったのでしょう。28歳での起業です。

これは、早稲田大学名誉教授草原真知子さんが以前ネットで見つけられた稲畑商店の広告。このオリジナルは稲畑産業さんにもなく、当時の様子がわかるので貴重です。「佛國製染料繪具及薬品直輸入」と書いてあります。彼以前にも海外から染料を輸入するルートがありましたが、クオリティが低かったようです。

『勝太郎君伝』第六章の記述によれば「明治23年8月京都織物株式会社を退いた君は、暫く四囲の形成を観望していたが、遂に同年10月に至り、人造染料の直輸入を目的とする染料店を開業することに決心し、京都市上京区智恵光院中筋北入に廃屋にも等しい借家を探し、其処を修理して店舗を設け、稲畑染料店の看板を掲げた。これが君が一箇の商人として、実社会に乗出した第一歩であった」とあります。

この文章には、稲畑の思いが良く表れていますね。1893(明治26)年3月には同業者の長瀬商店と共同して西陣西熊町に京都染織工業雑誌社を設立、『染織工業雑誌』を創刊し、ほとんど毎号執筆して染色法を発表しました。また、『佛国実地染織術要書』『佛国染料月報』などを相次いで編集・発行するなど業界の発展向上に寄与しました。

稲畑がこの地を選んだのは、古くから西陣が染織のまちだったからでしょう。

少し横にそれますが、昨年11月に京都市歴史考古資料館で京都市上京区中立売通智恵光院南西での発掘調査の成果を伝える速報展が開かれ、調査地だった場所も見て来ました。かつて平安宮の「大宿直(おおとのい)」跡で、その周辺に織物職人が住んでいたと文献に書かれていたことを裏付ける出土品があったそうです。藤原定家の『明月記』などの史料から、周辺は室町初頭には職人が集住する織物業の中心地として栄えていた場所。応仁の乱後、散らばっていた職人たちは西軍の本陣が置かれた西陣(大宮通今出川付近)などで機業を再開したとされ、稲畑が土地を探していた当時も染織業の家々が軒を連ねていて、リヨンで学んできた染織文化の知識と培ったネットワークを活かすに相応しい土地だと判断されたのではないでしょうか。

稲畑産業㈱史料室には稲畑勝太郎が、フランスから持ち帰ったシネマトグラフの実物大レプリカがあります。興業の世界の因習に馴染めなかったこともありましょうが、本業に専念するために稲畑は早々に映画の世界から手を引き、その後は共に留学生として渡仏し別懇の間柄だった横田万寿之助の弟、永之助に引き継がれます。1895年12月フランスでリュミエール兄弟が世に出した「写真が動く」装置に驚き、先進文化を日本にも紹介しようと尽力した稲畑勝太郎の功績は非常に大きいです。

末筆になりましたが、稲畑染料店があった場所に一番最初に興味を持ったのは写真家の如庵さんです。彼からの情報を得て私なりに調べて、働きかけ、こうして建碑が実現しました。如庵さんは、おそらく私たちが知り合う以前から稲畑勝太郎を主人公にした映画を撮ろうと胸に秘めておられて、シナリオの第1稿を何年か前に見せて貰い、そして第2稿も書き上げられました。休館日の昨日、彼が書いたその第2稿を読ませてもらいました。タイトルは『拝啓、稲畑勝太郎様~日本で最初の、映画に魅せられた人々の物語~』。よく調べて書いておられるなぁと感心しましたが、製作費が大変だなぁとも思いました。共感を覚えて応援してやろうと思ってくださる方がおられましたら、ぜひご連絡ください。彼の力になります‼

他にもミュージアムからこの碑までの散策マップを、京都デザイン専門学校李一凡さんに作成を依頼しています。完成したらご紹介しますね。そして、上京区全体の散策マップにも載せてもらえるよう依頼してきます。皆さんも西陣探訪の折にぜひ訪ねてみて下さい。宜しくお願いいたします。

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