2017.11.13column
落語と講談の違いは?第二回「桂花團治の咄して観よかぃ」賑やかに開催
落語家の桂花團治さんをホスト役に、毎回テーマを設定し、そのテーマに合ったゲストをお招きして開催する「桂花團治の咄して観よかぃ」。その第2回目を11月10日に開催しました。今回のゲストは、講談師の玉田玉秀斎さん。今、東京では新進気鋭の講談師神田松之丞さんが注目されているそうです。その彼が関西で注目する3人の講談師として名を挙げたうちのお一人が、この日登壇の玉田玉秀斎さん。
中央が三代目桂花團治さん、そして向かって右がゲストの玉田玉秀斎さん。花團治さんが「幽霊の足が無くなったのは江戸時代後期からだそうですね?」の問いかけに、玉秀斎さんが「円山応挙から幽霊に足が無くなった」と言いながら、「円山応挙幽霊図」の話を早速披露し、「でも今日は、座って足を隠しているお紺さんの話です」と付け加えられました。
問われたら、どんな話でもスラスラ語ってくださりそうな勢いだったので、終了後に「急に『あれやって!』と言われたら、即対応できるように、幾つくらい話が頭に入っているのですか?」と質問したら、お二人とも「百は入っている」との返事。さすが、プロ。凄いものですね‼
お二人が落語と講談の違いについて話しをして下さいました。その時のメモから、いくつか。
「落語は、登場人物の台詞で物語が進む。講談は、ト書きの言葉、ナレーション言葉で物語が進む」
「講談は、滑稽もんもあれば、怖い話もある。講談は欲望を乗り越えていかなければならない。落語は業のものとして欲望のまま」
「講談は先生と呼ばれる。俺について来いタイプ。直球しか投げない。落語は師匠と呼ばれる。『へぃ』というタイプ。変化球を投げる」
スクリーンに映っているのは、所蔵するおもちゃ映画リストの一部。この中からいくつかを館長の説明も交えながらご覧いただきました。
ご覧いただいたのは「忍術真田十勇士」「忍術大坂城」「忍術大進軍」「自来也」。初めて来館いただいた方が多かったので、「そもそもおもちゃ映画とは何ぞや」から始めました。リアクションがとても良い女性のお客様が4人ほどおられて、説明をお聞きになられながら「ふ~ん」と感心した声を発せられたり、落語と講談の時の熱演にもノリが良く雰囲気を盛り上げてくださいました。こういうありがたいお客様がおられると、ライブ感をたっぷり味わえて嬉しいですね。
花團治さんの落語「皿屋敷」。狭い会場なので演者とお客さまの距離の近いこと!この醍醐味を最初に知ったのは2015年11月3日に開催した劇団前進座俳優さん3人による松本清張原作「或る『小倉日記』伝」朗読の時。息遣いも心臓の鼓動も聞こえてきそうで、その時の感動は忘れることができません。花團治さんの熱演も同様に、ダイレクトに伝わってきます。
花團治さんによれば「落語は怖い話をしても、最後は『な~んちゃって』どんでんで終わる。最後まで怖がらせない」のだそうです。この日の落語実演「皿屋敷」もそうで、毎晩井戸から出てくる幽霊のお菊が余りに綺麗なので見物客が押し寄せ、人気者になるという展開。
良く知っている「お皿がいちま~い、にま~い」という怖い話かと思えば、「な~んちゃって」で終わる可笑しい話でした。声をあげて笑った後に、所蔵する「播州皿屋敷」(1929、賀古プロ、賀古残夢監督)をご覧いただきました。
打ち合わせの時には、「猿飛漫遊記」(1931、協立プロ、金森万象監督)も見ていただきましたが、長い作品なので、次回のお楽しみ。この作品は懇意にしている講談師の旭堂南陵さんから寄贈を受けて復元した作品です。実は、玉秀斎さんとはこの日初対面でしたが、彼は南陵さんのお弟子さんで、昨年11月に四代目玉田玉秀斎を襲名されるまでは、旭堂南陽と名乗っておられました。出会うべくして出会ったという感じです。玉秀斎さんは、この「播州皿屋敷」のことまではご存知ではなかったので、一緒にご覧いただきました。
映画に出てくる播州赤穂藩藩士青山鉄山は白塗りの顔で、いかにも悪役とわかりやすい。夫の三平は男前。有名な話なので、みんな知っているという前提で作られています。今の大衆演劇っぽい作品。二人が斬り合いをして、斬られた鉄山の胸元から皿が一枚出てくるという、お菊の恨みを晴らす仇討ものっぽい作りでした。直前に聞いた落語の場面を思い浮かべながら見るのも、面白い体験でした。
続いて玉田玉秀斎さんが登壇。6年前から大学の経済学部で年7~8回講談をして、そのあと先生が講義をする授業をされているそうです。先ずはその掴みの部分。「僕には見えていないものが、学生には見えているのか…」と学生が提出するレポートの一行目に書かれた話から、落語ではなく、漫談でもなく、雑談でもない、講談について話されました。この段階で、見事にお客さまの心を掴んでおられました。もちろん、私もその一人。
で、講談の実演は「お紺殺し」。粗筋はここでは省略しますので、ぜひネットで検索して見てください。先に挙げた講談と落語の違いがわかる怖い話です。お話を聴きながら、講談は昔の道徳教育の役割も担っていたのかなぁと思いました。
玉田玉秀斎さんのお名前は京都に縁があるそうです。玉田家先祖の玉田永教は神道の神職として全国を説いて回り、幻の二代目を挟んで、三代目玉田玉秀斎(1856<安政3年>~1919<大正8年>)の時、活版印刷ができて、速記講談に転じます。家族で一派「立川文庫」を作り、そのペンネームは「雪花山人」(「雪花散人」もあるようです)を名乗りました。玉秀斎さんによれば、この立川文庫は人口が4000万~5000万人の時代に、ナント200万部も売れたそうです‼
控室で話している時に、花團治さんが「玉秀斎さんを紹介できて良かった。ここにある時代劇の映像は、講談の話と重なる。シリーズ化できる」と提案して下さり、玉秀斎さんも関心を示して下さった様子。会場でもこの話をされたら、玉秀斎さんファンの女性から拍手が起きました。
「日本映画の父」牧野省三や日本最初の映画スター・尾上松之助が作った初期の日本映画の多くは、この立川文庫をもとにした作品でした。残念ながらほとんどの映画は残ってはいませんが、上映後に切り売りされたフィルムが「おもちゃ映画」として少し残っていて、私共はそうしたフィルムを探し出して、復元・保存しています。おもちゃ映画のリストをご覧になりながら、玉秀斎さんは「講談に関するものがたくさんある」と見入っておられました。
これは、その立川文庫の一部。尾上松之助遺品保存会の松野吉孝代表からお借りしました。大きさがわかるようにA4の黄色の紙に載せてみました。12.5㎝×8.5㎝×1㎝と手のひらサイズ。丁稚さんが仕事の合間に、ポケットから取り出して、さっと読める大きさですね。
たくさんあるシリーズ本の最初が「一休禅師」だというのが個人的には超嬉しいです。なぜって、一休さんが最後にお住いでお墓もある酬恩庵一休寺が地元にあるからです。
「述者 雪花山人」は、三代目玉田玉秀斎さんのこと。この名跡を引き継いで四代目を襲名されたのが、この日のゲストさんだというわけです。
「お紺殺し」の怖い部分。
…パシャパシャと女は死に物狂いでもがいている。治郎兵衛は傍らに埋められていた杭を引き抜くと、お紺の頭をめがけてドーンと打ち込んだ…
落語は「な~んちゃって」と茶化す場面もあるのでしょうが、講談はそのような救いはありません。最後まで怖いお話でした。
同じ話芸でも、落語と講談の違いが良くわかりました。講談、良いですね‼ 京都で講談を聞く機会は余りありませんから、これを機に、玉田さんの予定が合えさえすれば、講談のシリーズ化も、ぜひ実現したいものです‼
最後にお決まりの記念写真を撮って、21時頃に無事お開きとなりました。皆さま、どうもありがとうございました。次回は1月19日(金)19時から、直木賞候補にも選ばれた関西在住の歴史小説家・木下昌輝さんをゲストに「サムライ」の姿を探ります。どうぞ、ご期待下さい‼
【追記】
たった今、10日の会に参加して下さった方から郵便が届きました。開演までの時間があった時のおしゃべりで、「今、講談が東京で人気だと新聞に書いてありましたよ」とおっしゃったので、「読みたい」と言ったのを覚えていてくださったのです。感謝でいっぱい‼
かつての京都には映画館を始め、芝居小屋がたくさんあったようです。それが年々姿を消し、寂しい状態になっています。なかなか大変なことではありますが、無声映画の活弁も含め、話芸の小さな拠点の一つになれたら良いなぁと夢見ています。