おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2023.04.08column

京都新聞に「マジックランタン~さまざまな幻燈の楽しみ~」紹介記事掲載💗

京都新聞に開催中の「マジックランタン~さまざまな幻燈の楽しみ~」を紹介して頂きました。早速ご覧になりにお客様が来て下さり、美しいガラス種板に見入っておられました。

記事に、「かつては映写機を背負って旅する人もいて、あちこちの訪問先で上映会が開かれたといい」と書いて下さっている個所は、2020年5月5日付けで書いたブログを記者さんにお見せしたところ、その部分が面白いと感じてくださったのでしょう。/blog/column/13739.html 今振り返って読んでみても面白いです。長野県上伊那郡上田村にかつて幻燈やがて映画が入ってきてからはそれも用いながら各地で社会教育のための上映活動をして歩いていた「岸本與」について書いています。良ければクリックしてお読みください。

近藤日出造が「文芸春秋」第32巻19号「臨時増刊漫画読本」(1954年12月付録)に、「岸本與」の幻燈会の様子を描いたこの絵と共に、幼い頃の郷里での想い出「昔の人や今いずこ-想い出は涙ぐましき哉-」と題した文章を添えて、「岸本與」について書いています。長野県内だけにとどまらず、広範囲にわたって上映会をしていたので、彼の名前は広く知れ渡っていたようです。

その彼よりも少し先に幻燈をして歩いていた「篠原国三郎」という人物についてもブログで触れていて、

ブログ記事から引用すれば、「『長野県社会教育史』(1982年、長野県教育委員会)を読んでいて、岸本與の前に長野県南佐久郡北牧村の『篠原国三郎』という幻燈師の存在を知りました。1887(明治20)年代から教育、衛生、軍事思想、工場法の普及のため、県内から群馬・山梨・静岡県に亘って巡回上映しました。彼の『教育幻燈日誌』には、その状況が記されていますが、例えば1900(明治33)年2月19日には、諏訪郡落合小学校を会場として、一千人の観衆を集めている等とあります」と紹介しています。

これを書いているときには、全国各地には「篠原国三郎」や「岸本與」のような「幻燈」というツールを持ち運びながら人々に情報を届けていた人物がいたはずなので、そうした存在が見つかれば、彼らが活動した足跡を地図の上に表してみると当時の様子が分かって面白いと思っていました。私自身は時間も力量もないので一向に進んでいませんが、もしどなたかこうした人物について情報をご存じでしたらぜひお教えください。

「岸本與」について近藤日出造は「よく徹るのどと断乎たる熱情を武器とし」と書いています。そこで、早稲田大学文化学術院教授の細馬宏通先生が「幻燈を語る人々-映像による旅への誘い-」(当館小冊子9)で紹介して下さった幾人かの「幻燈を語る人々」のことを思いました。1851年ロンドン万博でフィラデルフィアのランゲンハイム兄弟が発明した写真をガラスにアルブミン・プリントした幻燈種板と、パリのA.フェリエ―ルが発明したステレオスコープ用のガラススライドが展示されたのだそうです。この技術が幻燈の世界を広げました。暗闇の中でガラススライドを投影し、そこに心を掴むような語りで説明されると、人々はまさに「百聞は一見に如かず」で、気軽には訪れることが出来ない国や地域、さまざまなお話、自然界のできごとなどを「知る」ことが出来た喜びで、深く心に刻まれたことでしょう。

幻燈会の最後は、写真左から2列目上段の「クロマトロープ」(花輪車)だったでしょう。中京大学教授の岩田託子先生が「最盛期英国幻燈文化をおもちゃ映画ミュージアムコレクションに見る」(当館小冊子9)で大佛次郎著『幻燈』の中に1870-72年、明治3-5年あたりの幻燈上映会の様子が描かれていることを教えて下さっています。昨日もお客様に実演してご覧に入れましたが、クロマトロープを幻燈機にセットして、つまみをクルクル回すと、色とりどりの模様が描写され、得も言われぬ美しさです。これが投影されると楽しかった幻燈会もフィナーレという合図でもありました。暗い夜道、幻燈を見終えて家に帰る親子の「綺麗だったねぇ」という会話が聞こえてきそうです。

幻燈の世界は、私にとって触れたばかりですが、とても興味深いです。昨日も上映するために暗くした部屋の中で、ライトボックスの上でいろんな色を放っているガラススライドの美しさに魅せられて、顔を近付けて見入っているお客様の姿がありました。便利になりすぎ、忙しすぎる今の世の中ですが、こうしたアナログなモノたちが教えてくれるゆったりとした良さの楽しみの世界も良いなぁと思います。13日まで残り僅かな日数になりましたが、お時間宜しければぜひお訪ね下さい。

 

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