おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2025.01.19column

2025年1月17日の私どもの記録

1月17日は多くの犠牲を出した阪神・淡路大震災から30年の節目でした。神戸での「成人の日」式典に臨んだ若者たちが歌う「しあわせ運べるように」の歌をテレビで聴いているだけで、当時のことを思い出して涙が溢れてきます。学研都市に聳える高さ60mのけいはんなプラザ13階に、当時は京都新聞社の総局がありました。そこでアルバイトをしていた私は、神戸新聞の記者さんがヘリでけいはんなプラザ屋上ヘリポートに降り立ち、総局内で急いで執筆して原稿と写真を京都新聞本社に送り、報道を途切れさせないように両新聞社が連携して発行を続けたのを目の当たりにしていました。床についた記者さんの靴から剥がれた土をそっと撫でて、思いを神戸の地に馳せたことなど今も鮮明に覚えています。あれから、もう30年の月日が経ったのですね。

同じ17日、私どもも引越し作業の準備で節目になる一日でした。思い出にもなるので、その様子をレポートします。

朝、大阪芸術大学映像学科の先生をされている宇山隆之さんが、映画美術の世界で活躍することを目指している学生の伊能佑有也さんと一緒に来て下さいました。ずっとこの日が来るのを待っていた宇山さんとの久しぶりの再会です。今のおもちゃ映画ミュージアムは2015年5月18日「国際博物館の日」に開館しました。学芸員資格取得の勉強で、この日のことを知った私は、5月18日に開館するのが希望でした。それを叶えようと、10年空き家で廃屋同然だった築100年を超す織屋建ての家を改修するのに力を尽くして下さったのが宇山さんでした。

外観は家主さんが京都市の町家保存の助成金を活用されましたが、内装は貴重なフィルムを可能な限り救いたいという連れ合いの思いから、ありったけの自己資金を投じて実施しました。大工の津田作治さんと宇山さんのコラボ、終盤には東映撮影所の映画美術のベテランさんたちの応援を得ました。上掲は2015年4月2日に北から南へ向かって撮った1枚。2月に家主さん側の工事が全く行われず、さらに5月になって比重が1点に集中する北側の柱の修理をすることになり、葺き直したはずの屋根瓦をまた降ろして、再度葺くという工事が加わり、5月17日の内覧会はあちこちを布で覆って実施するという冷や汗ものだったことも、今となっては懐かしい思い出。

同じ日に、南から北を向いて撮った一枚。津田さんには、今回の移転に関しても大いに頼りました。いつも助けて下さり感謝しています。上掲写真左端に木の梯子が写っていますが、この梯子で2階へ上り下りするのが恐ろしくて、改装工事中私がこの梯子を上ったのは途中まで1回キリ。京町家の狭い階段は本当に恐ろしいので、津田さんに依頼して一枚板で立派で昇降がしやすい階段を作って貰いました。最もお金がかかった造作の一つとも言え、よく「この家を出て行くときは、この階段を持っていきたい」と言っていましたが、今その時が目の前に。床も天井も張り、土間にコンクリートを張り、トイレ、台所、ついでにシャワールームまでも拵えて随分投資したものだと、呆れ半分で思っています。展示だけでなく耐震にも役立つと東映映画美術トップの石原昭先生の助言で、入口から始まり、ホール内に板壁を張りましたが、それを撤去するよう家主さんから言われています。この作業が3月に控えています。

宇山さんは、遠くから通う時間を節約して作業に時間が費やせるように、そして、少しでも経費負担を少なくしようとの思いやりから、テントを張って寝泊まりしながら大学の授業が始まるギリギリまで作業をして下さいました。写真は2015年4月8日。寒風吹きすさぶ中、耐えて耐えて作業をして下さった宇山さんは、正真正銘私たちの大恩人です。

その宇山さんの技術を学ぼうと若い伊能さんが頑張っています。「映画の美術を担当した作品が上映されるときには、絶対連絡してね。エンディングロールで名前を見つけるのが、今から楽しみ」と伝えました。二人の手際の良さから、開始から早々に展示棚が解体され、

11時には、すっかり解体されて車に積み込み完了。この後、新拠点に向かい、そこで組立までする段取りです。

ちょっと2階で片付けをしている間に、玄関小屋根の上に掲げていた「玩具映画博物館」の看板が外しにかかっていて、慌ててレンズを向けました。既に看板の上に載っていた小さな屋根が取り外されていました(11:25)。

こうやって、看板が下ろされました(11:30)。京都南座の吉例顔見世興行のまねきに勘亭流で書いておられた4代目井上耕清さんが書いて下さったもので、私どもの宝物の一つ。新拠点でも掲げます。ぜひ目印にしてお越しくださいね。この日は道具が不足していたので、看板を付け替えるのは3月になる見込みのようです。

裏庭に回ってひと休憩。この空間はほとんどが宇山さんの発想で作られました。使わなくなったガラス戸をアクリル板に嵌め替えて上部の窓や拵えた物置の戸に転用したり、ホール北側の裏板壁は余った木材をパッチワークのように使い切り、ところどころパステルカラーで色付け。この壁面がお気に入りでした。2015年10月16日韓流雑誌3冊の取材で来館されたソンモさん(当時は超新星メンバー)が、館内外でインタビューと撮影に応じていました。

そのうちの1冊『クレアスタ』2016年2月号の表紙は、この壁面で撮影されました。

この東側の木戸は、恐らくソンモさんが来館の時には、まだなかったのではないかしら。宇山さん手作りで、16㎜のリールが用いられているデザインが大好きでした。その前で記念写真を1枚。

この後、解体した展示棚を乗せた車は新拠点に向けて出発。私は14時から手伝いに来て下さる人を待っていましたが、途中で忘れ物に気付いて、慌てて自転車で追いかけました。

既に展示棚の組み立てが進んでいて、……

ほどなく完成。今は仮置きですが、畳が傷まないようクッションシートを敷いて、その上に今まで使っていた友禅板を敷き、その上に安定するように設置します。今までのように横板を置き、カメラや映写機などを展示する予定です。

14時に書籍類の整理をして下さっている井上伸さんと、遮光のため天窓に葺いた黒いごみ袋を外すために山口博哉さんが来て下さるので、大忙しでミュージアムに自転車で戻りました。井上さんには本のリスト化を手伝ってもらっていましたが、今は時間がないので箱詰め優先で。山口さんは10年前の開館準備中から、いろいろとお手伝いをして頂き助かっています。

屋根に設けられていた天窓は、瓦と同じ大きさで作られたガラス瓦4枚で1組。その天窓が3か所設けられています。型友禅の作業時には手元明かりになるので重宝したのですが、映画を上映する場合には差し込む明かりが妨げになるので、ヨガの先生もされている映画史家の山口さんに、これまで4回ほど天窓覆い作業をお願いしました。当時44歳だった山口さんも54歳に。この日が屋根に上ってもらう最後となり、安全の面からも、この点は引越しを決めて大正解でした。

命綱をつけて作業する山口さん。これまで怖い思いをさせて御免なさいね。大いに助かりました。ありがとうございました!!!!

そうして、天井から陽が射し込み、もとの織屋建ての建物に戻りました。写真は東側の天窓2つ、あと一つ西側にもあります。元の天窓2つを屋根葺き替えの時に残しておいてもらっていたのですが、1個は自宅に飾り、もう1個は新拠点の庭に置いて貰うことにしました。それから、裏庭に置いていた手挽き石臼3個も同様に庭で活用してもらうことにしました。

以上で、1月17日の振り返りレポートは終了。最後までご覧頂き誠にありがとうございました‼ ぜひ、4月4日新拠点開館後に遊びにいらして下さいね💗

 

 

 

 

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