おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2026.06.16column

旧稲畑勝太郎邸洋館「和楽庵」見学

6月13日に、インタビューをしてくださった方から連絡が来て、5月23日に上京区役所のサイト「上京区ふれあいネットカミング」で私どもの活動を紹介して頂いたことを知りました。良ければクリックしてご覧ください💕

これは、一場面です。4月20日に取材を受けた時にはまだ、シネマトグラフを日本に持ち込んだ「京の実業家 稲畑勝太郎 染料店創業の地」碑が建っていなかったのですが、その後5月19日五月晴れの日に上京区中筋通智恵光院西入ルに建碑され、5月26日京都新聞夕刊1面に「日本映画原点の地に記念碑」の大見出しで掲載して頂きました。そのことについては、こちらで書きました。
 
昨日、西陣伝統文化祭「千両ケ辻」アドバイザーで西陣・千両ケ辻歴史研究会リーダーの 仲 治實さんが来られて話をしていましたら、随分前からこの地に稲畑勝太郎が居を構えていたことはご存じで、「地域の歴史年表にも触れて書いている」と手作り年表の当該部分をみせて下さいました。地域の祭りでも年表は掲示しているそうですが、やはり西陣ということで染織色中心。
 
 
シネマトグラフをめぐって『拝啓、稲畑勝太郎様~日本で最初に映画に魅せられた人々の物語~』の映画を作りたいと思っておられる写真家如庵さんの助けになればと思ったのですが、この経済情勢下、どこも余裕がないようで。どこかにこの映画に支援の手を差し伸べてくださる人はおられませんでしょうか?
 
その如庵さんから「粟田神社に稲畑勝太郎が寄進した立派な鳥居がある」というのを以前からお聞きしていました。6月10日午後、京都工芸繊維大学松ヶ崎キャンパスに出掛ける用時ができたので、先に見に行って確認してきました。この碑についても地元の人の間では「前から知っていた」ということになるのかもしれません。
京都生まれの連れ合いだけでなく、京都に住んでもうずいぶん経つ私も初めて訪れた粟田神社(東山区粟田口鍛冶町1)の二ノ鳥居。
 
この鳥居をくぐって、来た道を望めば、朱色の平安神宮の大鳥居が遠くに見えます。その向かって左の柱に確かに稲畑勝太郎の名前が彫ってあります。
「稲畑勝太郎建之」の下に登美子夫人以下家族の名前が横に一列彫ってあります。
右側の柱には「明治40年4月」と彫ってありますので、1907年のこと。その2年前の3月合資会社稲畑染工場として個人商店名から事業を拡大しています。この年は日露戦争後の恐慌が始まり、経済的に不安定だったこともあり、その安定を願って建立したのかしら。
 
二ノ鳥居をくぐると、境内の美しい景色が広がっています。急な坂道を登っていくと、主祭神である素戔嗚尊や大己貴命を祀る社殿があります。厄除けや病気平癒のご利益があると信仰されています。
 
地名が付く粟田焼の展示や剣鉾(市指定無形民俗文化財)についても紹介があり、2018年2月24日「京都の魔を祓う剣鉾」の題で大森康広・国立民族学博物館名誉教授や剣鉾に携わっている方々のお話をお聞きし、映画を見る催しをして知りましたが、祇園祭の山鉾はこの粟田神社粟田祭の剣鉾が原型とも言われているそうです。
粟田神社の由緒はこの通りで、本殿、幣殿、拝殿の三棟は京都市指定有形文化財です。
 
境内からの眺望が美しいです。今頃、粟田神社のXで稲畑が皇紀2600年(昭和15年)を記念して建てた社名碑もあることを知りました。彼は達筆でしたから、文字そのものが稲畑の筆かもしれません。また見に行かねば💦この頃は貴族院議員でした。粟田神社の氏子が日本画家の神坂雪佳で、二人はとても仲良しでした。如庵さんの上掲脚本表紙左上の絵が神坂の作品です。
 
さて、京都工芸繊維大学美術工芸資料館には、4月18日京都大学で行われた「幕末・明治期の肖像写真と鶏卵紙-写真を語り、写真にふれる-」で知り合った講師のお一人、国際日本文化研究センターの安藤千穂子プロジェクト研究員の声掛けにより、出かけました。同資料館の学芸員で、ガラススライドとデザイン教育を研究されている和田積希さんと、安藤先生は日文研所蔵の古写真を用いて連携企画を練っておられて、その折に使いたいと思っておられるのが下掲の古い幻灯機なのだそうです。
 
想像以上に大きいドイツ製です。TMマークが入っており、C.P. GOERZ BELRIN と名記されています。
 
 
大きさがわかるように携帯を並べました。長さが、93㎝。蛇腹なのでもう少し伸びます。高さは40㎝、幅は23㎝。直径8㎝のレンズがついています。ガラスの種板用の木枠は、一番小さなものでアメリカ版(10.1 ㎝×8.2㎝)や英国判(8.1㎝×8.1㎝)の両方が扱え、それよりも大きなキャビネ・サイズに近いガラス種板も映写できる装置です。ライトボックスの中のレンズは直径16㎝もある大きなものでした。
 
 
残念ながら光源がないので、これを工夫する必要があります。下からランプを縦に支えるソケットがあったのでしょうか。歴史的には、炭素棒による光源(アーク灯)から、白熱灯への移り変わりがあり、どの時代のものかによっても異なると思います。幻灯機の大きさから、ろうそくやオイルバーナーは使っていなかったかもしれません。当館には、同じような幻燈機がないので、英国マジックランタン協会の人に尋ねてみましょう。本体の大きさは以下の通り。
 
何か情報がわかればということで、美術工芸資料館を後にして、稲畑勝太郎旧邸「和楽庵」を見学させてもらいました。ご案内は並木誠士同大学名誉教授。
 
玄関から。板壁はよくわかりませんが、ネットで見ると、デジタルツールを用いて復元したナグリ仕上げの下見板というものかもしれません。
贅沢は言えませんが、雨戸が開け放たれていたならどんなに美しいステンドグラスかと思うでしょうね。
2階への階段部分にもステンドグラスがあり美しかったです。
1階の旧食堂は当初から最も価値ある部屋ということで、そのまま復元されました。壁面には四方をぐるりと「三十六詩仙」が掲げられています。江戸時代の文人、石川丈山が詩仙堂を開いたときに、自ら選んだ唐と宋時代の優れた36人の詩人です。
和楽庵完成時、設計者の武田五一が詩仙堂に飾られている三十六詩仙の写しであることを記していて、白木の杢目板に直接描いた板絵であることもオリジナルの仕様を忠実に再現していると言えるそうです。床板にも面白い寄せ木細工が施してありました。
 
2階は大学のオープンな実験室として改装されています。
棟札が置いてありました。「南禅寺谷川 稲畑勝太郎 洋館棟札 設計工学博士武田五一 大正四年十月廿五日 施工清水組」と書いてあります。1915年に棟札をあげ、翌大正5年に建ちました。
安藤先生が撮ってくださった記念写真。赤いレンガ積みの上に建っていて、漆喰の壁に木製のそれぞれ異なる造形物があり、なんだか私が好きな伊東忠太設計本願寺伝道院の不思議な造形物を連想しました。魔除けの意味かしら?
そして、こちらは和田先生が撮って下さった記念写真。並木先生始め3名の先生方、貴重なお時間を割いて下さり、誠にありがとうございました。庫のすぐ傍の緑の中に武田五一先生の像がありました。
京都工芸繊維大学の前身校の一つである京都高等工藝学校図案科初代教授を務めた縁で、彼が設計した和楽庵が2020年移築されたということです。
2024年1~3月初めまで、稲畑勝太郎にも触れた展覧会をした折に、稲畑勝太郎のお孫さんにあたる方の奥様が見に来られて、「(ご主人は)子どもの頃南禅寺のところの家でよく遊んだ」と話して下さいましたが、それはこの家のことだったのだなぁと思いました。大切な家がこうして後世に残されるのは素晴らしいです。
見学を終えての帰り道でわかりましたが、通りからも外観は見えます。稲畑が寄進した鳥居を見て、かつて暮らした家をも見せてもらい、充実した一日でした。
 
粟田神社の傍で咲いていた半夏生。季節の移ろいを感じます。

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