2026.07.04column
紙芝居『祇園祭』と幻燈『祇園祭』
いよいよ明日7月5日幻燈『祇園祭』上演です。読み手は京言葉を大切にした活動をされている岡田佳美さん以外に思いつかず、彼女にお願いしたところ、快く引き受けてくださいました。セリフ部分は彼女にお願いし、予算不足のため、ト書き部分は私が読むことにしました。何年経ってもイントネーションがへんちくりんな私ですが、辛抱して聴いてください。
6月9日、1952年5月5日東京大学の講堂で紙芝居『祇園祭』でヒロインの“オサヨ”を演じた方(以後“オサヨ”さんとします)にお会いしました。お元気でいて下さって本当に良かったです💗コロナ前に何度かお便り交換をしましたが、お会いすることができずに月日が経ちました。久しぶりに電話をかけたらお元気だったので、待ち合わせをして、美味しいケーキとお茶を頂きながら当時の思い出をうかがいました。いずれ内容を文字で残したいと思っています。
「紙芝居を上演した時は、お椀で馬の蹄の音をまねたり、どこかで借りてきた鉦をメンバーが一生懸命練習して鳴らしたり、工夫をした」とお聞きしたので、「そりゃ大変」と山鉾町の知り合い3人に「7月5日まで鉦を貸してもらえませんか?」とダメもとでお願いしましたが、囃子方にとっては何より大切なお道具。貸して下さるわけはなく、断念。お椀でパカパカも「どうしよう?」と二人で顔を見合わせて考えましたが、シンプルに声だけで発表することにしました。東大での発表のときは「アドリブも効かせたら、それが東京の人にえらい受けて」と仰っていましたので、岡田さんには「台本に縛られず、京都らしい言い回しでやって下さい」とお願いしました。さて、本番ではどうなりますか、お楽しみいただけたら幸いです。
お話を聞いていて、私の方で勘違いをしていたかも知れないと思うことがいくつかあり、足のケガが治ったら京都市歴史資料館に行って林屋先生の本を調べてこようと思っています。そこには先生の蔵書が全て保存されているのだそうです。場所、人手、予算がないなどの理由で、どんどん捨てるのが流れになっているような昨今ですが、処分されてしまってから、「あれが見たかった、読みたかった、触れてみたかった」ということがないよう、とにかくマンガ・アニメ・ゲームだけに特化せず、広く厚く文化支援に重きを置くような政治にして欲しいです。
さて、少し気になりましたので、紙芝居と幻燈の絵比べをしてみます。京都大学人文科学研究所よりお借りした台本には「一般・高校・中学校向」「小学校向」最後に「解説」が載っています。5日に読むのは「一般・高校・中学校向」です。
紙芝居は58枚ですが、幻燈は37枚。その幻燈最初の1枚は四条通の長刀鉾宵山の絵を用いたタイトルが1枚、続いて現在の山鉾巡幸の写真が2枚、4枚目から手描きの絵が続き、最後の37枚目が山鉾巡行を見る群衆の写真で「おわり」の文字です。一方の紙芝居の方は写真は用いず、全て手描きの絵です。
紙芝居の1枚目・2枚目・3枚目・4枚目・5枚目・6枚目までは幻燈なし、7枚目(ハミングしたという京都の手毬唄の楽譜が載っています)は幻燈の4枚目と同じ、紙芝居8枚目は幻燈の5枚目と同じ、9枚目は幻燈の6枚目と同じ、10枚目は幻燈なし、11枚目は幻燈の7枚目と同じ、12枚目は幻燈の8枚目と同じ、13枚目は幻燈の9枚目と同じ、14枚目・15枚目は幻燈なし、16枚目は幻燈の10枚目と同じ、17枚目・18枚目は幻燈なし、19枚目は幻燈の12枚目と同じ、20枚目は幻燈の11枚目と同じ(紙芝居と幻燈ではテレコになっています)、21枚目・22枚目は幻燈なし、23枚目は幻燈の13枚目と同じ、24枚目は幻燈の14枚目と同じ、25枚目は幻燈の15枚目と同じ、26枚目は幻燈の16枚目と同じ、27枚目は幻燈なし、28枚目は幻燈の17枚目と同じ、29枚目は幻燈の18枚目と同じ、30枚目は幻燈の19枚目と同じ、31枚目は幻燈なし、32枚目は幻燈の20枚目と同じ、33枚目は幻燈の21枚目と同じ、34枚目は幻燈の22枚目と同じ、35枚目は幻燈の23枚目と同じ、36枚目は幻燈なし、37枚目は幻燈の24枚目と同じ、38枚目は幻燈なし、39枚目は幻燈25枚目と同じ、40枚目は幻燈26枚目と同じ、41枚目は幻燈27枚目と同じ、42枚目・43枚目は幻燈なし、44枚目は幻燈28枚目と同じ、45枚目は幻燈の29枚目と同じ、46枚目は幻燈の30枚目と同じ、47枚目・48枚目は幻燈なし、49枚目は幻燈の31枚目と同じ、50枚目は幻燈の32枚目と同じ、51枚目は幻燈の33枚目と同じ、52枚目は幻燈なし、53枚目は幻燈の34枚目と同じ、54枚目は幻燈の35枚目と同じ、55枚目・56枚目は幻燈なし、57枚目は幻燈の36枚目と同じ、58枚目(最後)は幻燈なし、幻燈37枚目は写真を用いて「おわり」。
紙芝居をもとにしたとはいえ、幻燈版は全く同じではないのですね。35㎜のフィルムを活用して作り、2コマ分を1コマとして描いたので、高画質。それに手彩色を施して美しく仕上げています。 “オサヨ”さんは当時4回生で卒論に取り組まねばならず、活動のあとを引き継いだ学生さんたちが持ち歩きやすい小さいバージョンの紙芝居を拵えていたことをご存じじゃなかったです。2021年7月24日奈良大学教授河内将芳先生に見せて貰ったその小型版は、オリジナルに比べると絵が劣る印象でした。
“オサヨ”さんはまた、「主人公を“桶屋”にしたのも意味がある」と話して下さいました。紙芝居『祇園祭』もそれをもとに作られた幻燈『祇園祭』も主人公は“桶屋の彦二郎”です。ちなみに映画『祇園祭』の主人公を原作者である小説家西口克己さんは“染屋職人新吉”に設定しています 。学生たちの師であった林屋辰三郎先生は「下からの文化史」を最初に唱えた先駆者で、 “桶屋”にも生活の“桶屋”と棺桶を作る穢れの“桶屋”の二面性があり、両方がなければ町の日常は一日たりとも成りたちません。社会の底辺に置かれた職人たちこそが、日本の豊かな中世文化や芸能、京都の祇園祭などの民衆エネルギーを底辺から生み出してきた主役であるという視点は、映画『祇園祭』でより具体的に描かれています。
また、 “桶”は、バラバラの木の板を、外側から「タガ(輪)」でギュッと締め付けることで、初めて水も漏らぬ強固な器になります。中世、応仁の乱で焼け野原になった京都で、バラバラになっていた民衆がもう一度固く結びつき、団結して権力者に立ち向かって祭りを再興した歴史を、林屋先生は「町衆の連帯」と呼びました。バラバラの板(民衆)を一つにまとめる“桶屋”という職業は、「民衆の団結・連帯」を象徴するのに最高の主人公像だったと言えましょう。
この紙芝居が作られた前年の9月8日、サンフランシスコ講和条約が締結されました。

この本の「あとがき」に「『僕たちはなんのために歴史を学んでいるのだろう。』私たちのあいだでこうした疑問が起こってきた。『誰にもわからないようなむずかしい言葉を使って論文を書くよりも、花岡物語のような紙芝居を作って、国民のみなさんに歴史学を役立たせよう。』こんな意見を述べる人もありました。いまからちょうど一年前、あれほどみんなで反対した単独講和条約と日米安全保障条約も批准され、日本がいよいよ植民地になったころのことです。(略)長いあいだ私たちの祖先が、生み育ててきたもの、そのなかに私たちはもっととけこんでそれを生みだす悩み、それをまもる苦しみをはっきりとみつめよう。祇園祭一つとっても、これは町の人々が権力とのたたかいを通してまもってきたものだ。そうだ祇園祭を紙芝居にしようじゃないか。(略)」とあります。以下はAIにも教わりながら書きます。
サンフランシスコ講和条約締結とその前後に、国民的歴史学運動が日本全国で爆発的な盛り上がりを見せました。条約締結は日本がGHQの占領から脱し、主権を回復するためのものでしたが、同時にソ連などの共産圏を除いた「単独講和」であり、同日に日米安全保障条約も調印されたため、日本がアメリカ側の冷戦の最前線基地として組み込まれることを意味していました。「せっかく悲惨な戦争が終わったのに、また新しい戦争に巻き込まれてしまうのではないか」「本当の平和と独立とは何なのだろうか」という強い危機感を抱きました。この危機感が、歴史を自分たちの手で学び直そうという運動の着火剤となりました。
敗戦後、講和条約によって新しい日本の形が模索される中で、「これからは一部の権力者ではなく,私たち平民こそが歴史の主人公であるべきだという思想が急速に広がりました。「国民的歴史学運動」です。先に触れた岡山の『月の輪古墳』や奈良の合唱劇『土の唄』、そして今回の紙芝居『祇園祭』などの動きが挙げられます。
「なぜ私たちはあの戦争を止められなかったのか」を歴史的に科学的に解明することこそが、講和条約後の新しい日本が再び軍国主義へ逆戻りするのを防ぐ道だと信じられ、自らの歴史を知り、主体的になること(主権者意識を持つこと)こそが、真の独立であると考えられたのです 。 “オサヨ”さんは、「そりゃー凄い熱気でしたよ」と教えて下さいました。
一昨日、 “オサヨ”さんからお菓子一箱が届き「7月5日の会 祈る御成功!」とメッセージが添えられていました。上演する話をしたのを覚えていて下さって、「5日に間に合うように」とお送りくださったのです。昨日お礼の電話を差し上げましたら「私、うまくいくようずーっと祈っているのですよ」と仰って下さって、人を思うやさしさと温かさに思わず涙がこぼれました。「明日参加して下さる皆さんと分け合っていただきますね」と申したら、凄く喜んでくださいました💗

明日は、当時の学生さんたちに想いを馳せながら精いっぱい努めます‼


