2017.02.16column
ないからこそ工夫して、良いものができる
今日の日経新聞文化面に、特撮の神様と呼ばれた円谷英二監督の作品で活躍された光学作画技師・飯塚定雄さんの記事が掲載されていました。「技術も方法論もないフィルムの時代、すべてゼロからの出発だった」と試行錯誤された時代を回顧。
読みながら名キャメラマンと呼ばれた宮川一夫先生のことを思い出しました。先生も様々な工夫を経て数々の名作を生み出されました。『大魔神』を撮影された森田富士郎先生も創意工夫、発明が大好きでしたね。
今は何でもあるから、「●●●がないからできません」とすぐ言いそうですが、ないからこそ工夫して良いものができるんですよね。
因みに2006年に復元した木村荘十二監督『海軍爆撃隊』(1940年)は、東宝で円谷英二さんが手掛けた特撮最初期の作品。宣伝普及用に作られた16㎜版プリントの1本ではないかと思われますが、惜しいかな、オリジナル版(79分)から比べれば約50分と短いものでした。スタッフタイトルなども欠けていて、円谷さんの名前も見ることはできません。1954年に飯塚さんが円谷さんと組み始めて以降は、この記事からうかがえますが、『海軍爆撃隊』から飯塚さんが加わった『ゴジラ』までの特撮についても知りたいような…。