2023.07.20column
7月16日の出会い
7月16日(日)10時半、お世話になっている同志社女子大学准教授宮本明子先生が企画された研究報告会のその1として、日本大学教授の志村三代子先生をお招きして「日本映画に現れたハワイ」をしました。志村先生とは初対面ですが、2日に来館いただいた都留文科大学教授の山本芳美先生から、映画に関する本をたくさん書いておられると教えて頂いていたので、お会いするのを楽しみにしていました。山本先生が今取り組んでおられる研究も大変に興味深い内容でしたので、「いずれ発表して下さいね」と依頼しました。こちらも実現が楽しみです。
最初に小津安二郎を研究されている宮本先生から、小津監督37作目で、彼のトーキー第2作『淑女は何を忘れたか』(1937年)を取り上げて、今回はその音楽を担当した伊藤宣二についてお話しくださいました。
伊藤宣二は「映像を邪魔しない音楽を作る」と言われているそうですが、この作品では冒頭から記憶に残る音楽を作っておられます。ちなみに前年に作られた小津監督36作品目で彼にとって初めてのトーキー作品となった『一人息子』では、寄り添う音楽。大学教授の小山(斎藤達雄)のところに泊まりに来た姪の節子(桑野道子)が登場する2つの場面にハワイアンギターの「ホワ~ン」というハワイアンギターの音色がします。当時、ハワイアンギターは珍しく、節子のような新しい女性の登場に、伊藤宣二は新しい音楽・楽器を用いて曲の冒険・挑戦をしたのではないか―と宮本先生。コメディ作品で、栗島すみ子の引退作品でもあります。
続いて、志村先生の研究発表で「日本映画におけるハワイ表象 『ハワイの夜』を中心に」。
日本映画でハワイを舞台にした1968年までの作品は8作品あるそうです。戦後芸能人がハワイ興行をして、ハワイブームが起こりました。1953年『ハワイの夜』はハワイで大ヒットしました。原作は今日出海で「ハワイ報知」で1952年に4回書いています。彼は、ハワイの豊かさに比べて、日本の貧しさに言及しているようです。松浦健郎が脚本を担当し、ハワイ現地ロケは松林宗恵が担当し、東京でのセットをマキノ雅弘が監督。主演は当時実際に恋愛関係にあった鶴田浩二と岸恵子。鶴田は1950年代頭は、若手俳優で人気がありましたが、当時松竹と関係が良くなくて、新生プロと、新東宝の提携第2回作品。ハワイでは、ロケの様子が逐一報道され、本作撮影中には、市民と映画のイベントもしています。ロケーションしつつ、ハワイの国際劇場で鶴田浩二の歌謡ショーがお膳立てもされていました。そういう意味では日系社会+新生プロ+新東宝の作品といえるのかもしれません。残っているシナリオと映画とは大きく違うそうです。映画は鶴田浩二演じる日本人と岸恵子演ずる日系二世の悲恋物語。
ハワイに移民した一世とそこで生まれた二世の対立という視点で、『東は東』(JAPANESE WAR BRIDE)と『山河あり』を紹介して下さいましたが、14日に随分久しぶりに来てくれた男性の親戚のおばさん、スージー・マツモトさんが『東は東』に出演されていたと以前聞いたことがあり、このタイミングでタイトルを聞いてビックリしました。
キング・ヴィダー監督のこの作品には、李香蘭から山口淑子に戻り、シャーリー・ヤマグチとして戦後アメリカ映画で主役を演じた山口さんが出演されていますが、スージー・マツモトさんは、その母親役として出演され、これが唯一の映画出演作なのだそうです。日本におられる時から英語が上手で、考え方もすっかりアメリカ人だったそうです。1951年にこの映画は撮影されましたが、この年のサンフランシスコ講和条約締結式において、裏千家のお茶をふるまっておられます。その時に映画出演への声を掛けられたのかもしれませんね。スージー・マツモトさんこと松本宗静裏千家淡交会ロサンゼルス協会名誉相談役・名誉師範は、1994年アメリカ政府からMational Heritage Fellowshipを授与されてヒラリー・クリントンさんと一緒の写真をネットで見ることが出来ました。一生をかけ、茶道を通して日米文化交流の懸け橋として活躍されたのでしょう。
8~9月は木下惠介監督展をしますが、先生が研究発表で少しだけ紹介して下さった『山河あり』(1962年)は、丁度木下惠介監督企画で、愛弟子の松山善三監督が夫人の高峰秀子さんを主役に撮った作品。そうと知って、一昨日拝見しました。
日本を追われるようにハワイに移民した主人公井上夫婦は、苦労を重ねながら二人の男の子を育てます。奉祝紀元ニ千六百年祭に子ども二人を誘って行こうとする井上義雄(田村高廣)に対し、次男はテニスに行こうとします。「この式典をさぼる奴は俺たちの子どもじゃない」と怒る父親に子どもたちは「ハワイにはいろんな国の人間がいる。その二世も三世もいる。大和民族の伝統だの文化だと日本精神の美しさをひけらかすけど、それがひとりよがりな排他的なエゴイズムにつながり、大きく戦争につながってくることご存じないんです。お父さんの考え方が日本の軍国主義の考え方と同じなんです」と言い返します。日本を出た時はハワイに骨を埋めるつもりの覚悟だったけれど、本心では日本へのあこがれ、日本へ帰りたいと願う一世たち。「僕はアメリカ市民です」と言う二世。その後、1941年12月8日真珠湾攻撃により日米開戦。状況は一変します。日本人だというだけで収容所に連行される一世たち。ハワイには日本二世青年が2万5千人いて、その3分の1が1週間もたたないうちに二世部隊に志願したと言います。日本とアメリカ、二つの祖国を持つ人々が戦火のもとで引き裂かれる切実な思いが描かれている作品です。
夏の展示は木下惠介監督と戦争をテーマにしようと思っているので、先にこの作品を観て良かったと思いました。本当は展示期間中に木下監督の作品をせめて1本は上映したかったのですが、上映料と僅かなキャパを考えると厳しくて断念せざるを得ず。それが心苦しいです。でも今の時代はいろいろ鑑賞する手段がありますので、展示をご覧になってから、あるいは逆に、作品をご覧になってから展示を見て頂けると嬉しいです。
発表後、お二人の先生に祇園祭ゆかりの地をいくつか道案内して、お見送りしました。宮本明子先生企画の第2弾は10月15日開催の予定です。
宮本先生たちと入れ違いにお越しくださったのが、東京からお越しいただいた高田雅彦さんご夫妻。映画評論家の山根貞夫先生の著『映画を追え フィルムコレクター歴訪の旅』を読んで興味を持ってくださったそうです。今年2月20日に鬼籍に入られた山根先生を偲んで、7月31日朝日新聞東京本社でゆかりの人々が集まる会が催されます。山根先生が著書で紹介して下さったおかげで高田さんとも出会いました。全くお世話になりっぱなしです。改めてご冥福を心よりお祈り申し上げます。
高田さんは『成城映画散歩』、『三船敏郎、この10本』、『七人の侍 ロケ地の謎を探る』、『今だから!植木等』などを出版されたほか、新東宝も〝定番〟ロケ地は成城 Vol.2 | コモレバWEB (conex-eco.co.jp) 成城映画だより|成城大学|note も書いておられるそうですので、興味のある方はクリックしてお読みください。
最後に裏庭の五つ葉のクローバーを見せてあげました。この日出会った皆さんに、そしてこの拙文をお読み下さった皆様にも幸せが訪れますように‼