おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2023.08.05column

平和のための京都の戦争展2023

明日6日まで、京都市上京区の長浜バイオ大学京都キャンパスで、「第43回平和のための京都の戦争展2023」をやっています。明日は当館で13時半~15時まで、木下惠介監督をテーマに講演会をするので、可能な方は午前中にぜひ戦争展を覘いて、午後は当館の講演会にお運びください。木下惠介監督には戦場での悲惨な体験があるので、そのことが作品に投影しています。戦争展の方でも、様々な団体が、「ウクライナ戦争と太平洋戦争 再び同じあやまち くりかえすまい」と熱心に展示をされています。

3日この戦争展の会場で開催されるミニシンポで講師を務められる中尾知代岡山大学准教授から「5日10時から講演する」とご案内いただいたこともあり、出かけてきました。日本史研究会の主催で演題は「第二次大戦の残した課題ー連合軍元捕虜と家族の心の傷」。11月~12月に南太平洋地域で戦後捕虜になった人々のことを取り上げて展示と中尾先生の講演会をしようと思っているので、その予習を兼ねて。

たくさんのパワーポイントを用意して臨んで下さいました。その中から一部を。英国と日本の皇室の交流が歓迎ムードの中行われたと報道される一方で、そうではない面も事実としてあるが、そういうことは「矮小化して報道している」と実際に取材した時の映像を見せて頂きながらお話しくださいました。たとえば1998年に現上皇夫妻がエリザベス女王(当時)夫妻と共に馬車で通るとき、制服姿の退役軍人とサポーターたちは行列に背を向け、激しいブーイングをし、民間人で日本軍に抑留されていた人々が赤い手袋をして「捕虜となった1941-45」と横断幕を広げて訴えています。赤い手袋というのは「あなたの手はまだ血で染まっている」という意味で「払うべき保障は、とっくに期限を過ぎている」と天皇による戦争責任を訴えていました。今も毎月日本大使館前でデモをしているそうです。

オランダでも同様で、日本では報道されない民間人抑留者とその家族たちの叫びがありました。戦争体験がトラウマになり、PTSDに苦しむ人々は世界中におられます。日本でも「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の黒井秋夫さんのような活動をされている団体があります。日本には「水に流す」という考え方があり、「戦争だからしようがない」と深く反省しないままきたのかもしれません。「日本はサンフランシスコ条約で決着したと思っているが、日本はまた同じことをすると思われている」と仰ったのが記憶に残りました。

最近の政治の在り方をみていると「新しい戦前」に向かっているのではないかと危惧します。そうならないために、「平和のための京都の戦争展」が開かれて、「戦争はいけない。平和を維持することが大切だ」と改めて認識する場になっています。

先日来、亀岡の黒田雅夫さんから「京都府立病院の前の建物で、絵の展覧会をして貰っている」と連絡を頂いていたのですが、「さて、どの建物かしら?」と思っていました。それがこの「平和のための京都の戦争展」のことでした。ミニシンポ会場で受付を済ませて会場を見回して、黒田さんの絵がたくさん展示してあるのに気付きました。中尾先生にご案内いただいたおかげで黒田さんの絵も見ることが出来たという次第です。

たくさんの人が次々訪れて、黒田さんが描かれた満洲からたった一人で引き揚げてきた子どもの時の思い出画と文章に見入っておられました。日中友好協会京都府連のコーナーです。隣に「青い目の人形」のコーナーがあり、主催されている中野恭子さんは「全部読んだし、映像も見せて貰った。『大地の子』と同じやと思って読みながら泣いた」と話して下さいました。過去に何度も見せて貰った絵もありますが、今回初めて見た絵・文もありました。

大きな気付きは三宅成恒さんのこと。お盆に絵本が完成するのですが、クラウドファンディングに大きな支援をされたのがこの方でした。「思いやりに溢れた支援者のお医者様はどのような方なのかしら?」と常々思っていましたが、この「平和のための京都戦争展」呼びかけ人だったのですね。他にも「核戦争防止核兵器廃絶を訴える京都医師の会」代表もされていて、ご自身が終戦後朝鮮半島から引き揚げてきた経験者でした。

そして、私と同じ新聞記事を読んで、それ以来黒田さんと交流を深めておられることも知りました。私はこの年の夏8月23日に黒田さんにお越し頂いて絵とお話を聞く催しをしました。その時のことは、こちらで書いています。黒田さんが「12月に伏見でもする」と仰っていたのが、三宅さんの診療所のことだったのだとお書きになっていた文章でわかりました。全く記事を書いて下さった久保田記者さんのおかげです。

今回初めて知った「中国人戦争被害者の要求を支える京都の会」のコーナーもあり、日本が重工業都市重慶を連続爆撃した時の惨たらしい写真が掲示してありました。今日は78回目の広島原爆の日です。重慶の惨状を原爆投下後の広島に重ねて見ましたし、今も戦争が続いているウクライナとも重ねて見ました。「戦争展」実行委員会展示企画として、志葉 玲さんの「ウクライナ戦争一年半 現地からの報告」写真展でも紹介していました。ロシアは核兵器による威嚇をして、世界中を不安に陥れています。先に行われたG7ヒロシマサミットではこの威嚇を非難する一方で、核軍縮文書「広島ビジョン」では「防衛目的のために役割を果たし、侵略を抑止し、並びに戦争および威圧を防止すべき」と核兵器を肯定的に評価しました。被爆地広島を会場にしながらの声明だっただけに、なおのこと失望しました。5日カナダ在住の被爆者サーロー節子さんは「核抑止論を正面から正当化した」と「広島ビジョン」を批判していますが、もっともなことです。

丁度「宇治山宣会」による映画上映「昭和回顧録~山本宣治の死」と『武器なき斗い』(山本薩男監督、依田義賢・山形雄策脚本)を上映していたので見せて貰いました。政府はしきりに不安を煽り、国民に負担を求め、軍事費増強を進めようとしていますが、「武器」ではなく「対話」で戦後築いてきた「平和」を守って欲しいと願わずにはおれません。核抑止論からの脱却を保有国に促すことが被爆国日本の使命だと思います。再び悲惨な世界を生み出さないために。

記事検索

最新記事

年別一覧

カテゴリー