おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2023.09.11column

大映のスチールカメラマンだった都筑(小泉)輝孝さん

大映のスチールカメラマンだった都筑輝孝さんが、『完本 市川雷蔵』と『東宝映画十年史抄』を手に来館。寄贈頂きました。『完本 市川雷蔵』は1999年9月30日山根貞男先生が編者となり、ワイズ出版から発行された本。『東宝映画十年史抄』は1942年東宝映画㈱発行。

「『眠狂四郎』のスチール写真を撮りに行ったら、雷蔵さんはシビアだから『市川雷蔵を撮っているンやろ。『眠狂四郎』を撮れ!』と言われた。雷蔵さんは衣裳を着け、役作りすると、もの凄く変わった。メイクをすると全く異なる」と思い出を語って下さいました。きっと緊張しながらレンズを向けておられたのでしょう。「高校を出て、東宝ゴジラ映画の特撮照明の岸田九一郎さんが父親の友達だったことから訪ねていったところ、レッドバージがきつい時代で、第二組合に幸い入れた」ので、映画技術者としての人生は東宝からスタート。それで、こういった本も手に入ったのでしょう。

今、右京区の太秦中学校校門横に「グランプリ広場」がありますが、そこに置かれた石碑にも都筑さんの貢献がありました。1951年ヴェネチア国際映画祭で『羅生門』(1950年)がグランプリを受賞し、金獅子像とオスカー像をモチーフにした記念碑が大映敷地内に建てられました。それから20年後の1971年に大映が倒産し、撮影所と社屋が壊された時に、この石碑もどこかへ行っていました。それを都築さんが見つけ出し、金獅子とオスカーのレプリカがある京都文化博物館に運ぶように、出入りしていた野村造園さんに依頼したところ、同博物館から「床が抜ける」と断られてしまいました。都筑さんは石碑を一時自宅庭に保管しつつ、“太秦の誇り”という事で、大映跡地に建った太秦中学校横に置くことを提案します。青木校長(当時)に相談して、現在地に設置されることになったのだそうです。

如何にも都筑さんらしいエピソードだと思ったのは、大映倒産前に入ってきた新人俳優さんたちに、「これから東京へ行って活躍してくれ」とはなむけに、それぞれの人のスチール写真を8枚ずつ撮って渡したそうです。都筑さん曰く「彼らのほうが、写真を大事にしてくれるだろうから」。時々その中の人の姿をテレビなどで見ることがあるそうです。「楽しかった、会社へ行くのが面白かった」とご自分が一番輝いていた頃を懐かしむ目でお話しくださいました。

ミュージアムの近くに位置する京都三条商店街に今は西友がありますが、元は大映の直営館でした。『有楽町で逢いましょう』(1958年、京マチ子他出演)はここが封切館で、落しとしての上映だったそうです。映画全盛の時代でした。

もう一つ、教えて貰ったのは『大魔神』などのマット画を描いた人のこと。

2021年9月29日~11月28日に「大映京都の特撮技術『画合成』原画展」をしたところ、特撮映画ファンの皆さんが各地から見に来てくださいました。大変緻密に描かれたマット画で驚くばかりですが、その絵を描いたのは京都の鳴滝に住んでおられた「西田さん」だということがわかりました。都筑さんによれば「遠近感を出したり、エアブラシで繋いだ面をぼかすのが、とても上手だった」とのことです。ずっとどなたが描かれたのだろうと思っていたのですが、ようやく解決しました。都筑さんより年上だったので、西田さんがお元気か否か今現在はわかりませんが、お住まいを都筑さんに調べていただけないか依頼しました。

都筑さんのお話は大変面白く、途中からあわてて録音したので、他にも珍しい話を記録していたら、いずれ書き足すことにします。

 

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