おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2023.12.24column

第5回活弁と演奏(収録版)無声映画上映会、京樂真帆子滋賀県立大学教授の講演と参考上映

珍しく2日連続で催しをしました。12月22日(金)はカンデオホテルズ京都烏丸六角レセプション棟(旧伴家住宅)2階和室を会場にした第5回活弁と演奏(収録版)無声映画上映会。

先にお客様からご要望を頂いていましたので、今回は日本人が大好きな『忠臣蔵』を上映しました。このお話は江戸時代中期の元禄時代に実際にあった赤穂事件をもとにしています。12月14日といえばピンとくる歴史好きの人もおられるでしょう。亡き主君播州赤穂藩藩主浅野内匠頭の無念を果たそうと、四十七士が立ち上がり、元禄15年12月14日(1703年1月30日)未明に、宿敵の高家肝煎吉良上野介邸に押し入り、見事吉良を討ち取って本懐を遂げます。

事の発端はその前年の元禄14年3月14日(1701年4月21日)、江戸城殿中での殺傷事件は御法度だったにもかかわらず、饗応役指導係の吉良による度重なる意地悪に堪忍袋の緒が切れた内匠頭が松之大廊下で吉良に斬り付けてしまいます。結果、喧嘩両成敗とはならずに、内匠頭には即日切腹の御沙汰が下り、一方の上野介はお咎めなし。お家断絶の赤穂藩では今後の対応を協議し、殉死を決しますが、国家老大石良雄(内蔵助)の志を一つにする同志47名が残り、主君の仇討ちをすることを決意します。密かに粛々と計画を練り進め、元禄15年12月14日未明、その時を迎えます。本懐を遂げた大石内蔵助ら四十七士は、その足で浅野内匠頭が眠る泉岳寺に報告に向かうまでを描いています。

製作費がかかる時代劇がほとんど作られなくなった現在では、『忠臣蔵』と聞いても知らない若者が多いでしょう。細々でも、こうした上映会を通して知って貰うことも大事かなぁと思います。

パテ・ベビー版として、家庭用に短く再編集されたバージョンですが、全編通して見ることが出来る尾上松之助作品という事で、発見された時は大きな話題を集めた作品です。短縮版といっても65分もあります。大石内蔵助が仇討ちの日のために敵の目をくらませようと遊興を装っている場面で、あきれ果てて息子を諫める母親と妻子に「離縁する。国へ帰れ」と告げ、長男主税(ちから)以外の家族が我が家を出て行く場面、尾上松之助演じる大石内蔵助は指で障子に小さな穴を開けて、その穴から、遠ざかっていく愛しい家族の後姿を覗くシーンは何度見ても泣けます。それまでの“目玉の松ちゃん”の演技ではなく、リアリズムを重視した心情が見事に表現されています。

長編を見ていただいた後に、お楽しみも用意しようと、2021年12月18日坂本頼光さんに急に依頼して語りをして貰ったペン画『忠臣蔵』を見てもらいました。当日の演奏は天宮遥さんです。ペン画を描いたのは、この映画が公開された1926年当時、九州の熊本に住んでおられた15歳の芹川文彰さんです。今のような便利なものがない時代、一度映画館で観た記憶だけで全編通して描き切っています。その数は天の巻が203ページ、地の巻が284ページと膨大な数です。2021年12月1日~26日まで2度目の芹川少年が描いた『忠臣蔵』ペン画展をしていて、それに合わせて実写版の『忠臣蔵』を上映したのですが、どうせなら芹川版『忠臣蔵』として紙芝居のようにできないかと思いついて、ダメもとで提案してみました。

まるっきり即興だったのですが、坂本さんは、冒頭の100コマ迄を見事に語って下さいました👏👏👏粗筋が実写版で分かっておられたこともありますが、同じ年の4月1日~5月30日まで最初に芹川版ペン画展をした折に、絵も上手な坂本頼光さんが観に来て下さって、彼の特徴を把握されていたことも大きいと思います。豊富な知識を有す坂本頼光さんの饒舌な語りの世界に、居合わせた皆さん大絶賛でした。22日はその収録版をご覧頂いたわけですが、皆さん最高に楽しんで下さいました。いつか全編通しでご覧頂くことを考えています。

実写版の『忠臣蔵』上映中に3組の海外の人がコーヒーを飲みに2階に上がって来られました。勝手に海外の人はSAMURAI、CHANBARAが好き、もしくは興味があると思い込んでいましたので、「一緒にご覧になりませんか?」とお声がけしましたが、皆さん首を振って「結構です」のリアクション。派手な立ち回りがあるわけでなし、途中からだと分からないし、知らない話だし…、などと思いつつ「残念!」。何か手立てを講じなければ。で、来月1月26日(金)の第6回無声映画上映会は三大喜劇王の一人、ハロルド・ロイドの喜劇映画を上映します。「笑う門には福来る」。皆様のご多幸を祈りつつ。

参加いただいた方から、今朝感想が届きましたので許可を得てご紹介。

………戦前のおもちゃ映画の上映会に前回より参加している。今回は「忠臣蔵」(1926/大正15年制作、池田富保監督)で弁士つき(録音・編集したもの)だった。65分の長尺で、戦後育ちの私の小学生高学年頃に映画館で見た「忠臣蔵」の原型がつまっていて、大変おもしろかった。大石内蔵助は尾上松之助(いわゆる「目玉の松ちゃん」の最晩年の作品で、とてもリアルな演技だった。)、吉良上野介は山本嘉一(尾上松之助と大看板を張っていたスター)。当時、このような長編がすでに作られていたとは驚きだった。次の企画も見に行こうと思った。………

そして12月23日は映画『祇園祭』をテーマにした講演と参考上映のプログラム。滋賀県立大学教授の京樂真帆子先生による「祇園会から祇園祭へ-映画『祇園祭』から消えた僧兵-」と太田館長が伊藤大輔監督とその後を引き継いで完成させた山内鉄也監督の思いを想像して再編集を試みた研究バージョン『祇園祭』をご覧頂きました。冒頭のあいさつで、チラシに用いた写真が明治時代のものだったことをお詫びしましたが、「明治のいつどこで撮ったものか」にはまだ続きがあるようなので、宿題の先送り。ということで、京樂先生の講演のはじまり、はじまり。

いつも元気で朗らかな京樂先生。2019年7月24日16時から、「祇園祭の映像を見て、1150年記念“祇園祭”還幸祭神輿渡御の見物」をした時に初めてお会いしました。その時を始まりにして毎年7月に映画『祇園祭』をテーマに研究発表と展示をしてきましたが、ありがたいことに、その都度中心になって支えて下さっています。それだけでなく、その研究成果を小冊子5『“参加する”映画「祇園祭」の記録』(2021年5月)として執筆して下さいました。改めて当日配布したレジュメを半分に縮めていただいたものを送って貰いましたので、それを紹介します。

なぜ僧兵が消えてしまったのか-その解明に役だったのが、多くは溝口健二監督の助監督として活躍されていて、本作『祇園祭』でも助監督をつとめられた宮嶋八蔵さんが残しておられた青焼きの資料〈上掲7(7)〉だったのですね。マメに判りやすい文字で記録して、モノとしても残して下さることが、如何に後の世の人に有益かを思わせてくれる出来事です。歴史学者としての視点や手法を活かしながら、『祇園祭』に関して残っている資料をことごとく調査してこられた京樂先生ならではお話をお聞きしてから映画をみると、「なるほど‼」と思う箇所がいくつもあって、内容がより良く理解できました。

太田館長は「完成した作品を他人が勝手に変更するのは、本来あり得ないことですが、伊藤監督の降板の理由、山内監督が不本意に思っておられた話、また加藤泰監督が短縮版を試みられたが挫折されたこともあり、映画の趣旨、主題になっている個所は一切カットせず、枝葉と思う部分を整理して2時間50分近い作品を2時間15分にしました。当時の映画界では、大スターが集まった映画にハサミなどを入れることはできませんでした。高倉健や美空ひばりも出演しており、映画人にはできないことでした。このバージョンを切っ掛けに、“オリジナルを知りたい”“完全版を知りたい”と思われる方は京都府保存の『祇園祭』と見比べられると良いと思います」と言い訳して、上映しました。

前日の12月22日が冬至で日暮れが早かったのですが、参加者の皆さんは「いやーっ、勉強になりました」と満足顔で帰路につかれました。関東から3人、近畿一円からも来て下さり、年末の慌ただしい時期にもかかわらず、この催しを選んで来て下さったことを本当に嬉しく思いました。お決まりの記念写真です。

皆様、ご参加いただき心より御礼を申し上げます。

京樂先生の労をねぎらい、皆さんそれぞれの今年一年の頑張りを称え、新年のより一層の活躍を祈って近所の居酒屋で乾杯をしました。京樂先生のゼミ卒業生の方たちが二人も参加して下さって、先生の笑顔ははちきれんばかり。私の中で映画『祇園祭』をテーマにした催しは、今年で最後と思っていたのですが、話の展開で来年もやろうということになって。何でも仕事が早い京樂先生から「来年の企画の司会はお任せください」とメールが届きました。鬼さんが笑っているかも。

今年の展示は、今日24日でお終い。昨日の参加者の人々も見て下さったので良かったです。今は片付け作業中で、27日から新年の飾り付けです。来年もどうぞ宜しくお願いいたします。

 

 

 

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