おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2024.01.07column

新春企画「友禅染めで“映画”をまとう」展から

年々曜日感覚が失せてしまって。。。新年最初の3連休の中日だったのですね。元旦は地震のニュースに驚いて、2日は遅くなった年賀状書きのあと嵐山の福田美術館へ。「ゼロからわかる江戸絵画 あ!若冲 お!北斎 わぁ!芦雪」を観てきました。好きな3人の絵の特集展示というだけでなく、学芸員さんが、本当にわかりやすく解説文を書いて下さっていたので、絵の素晴らしさをより一層鑑賞して楽しむことが出来ました。本当はこういった展示を真似出来たら良いのですが、夫婦二人で、しょっちゅう展示替えをしているので時間も勉強も足りず、なかなか追いつけていません。申し訳ないです。

でも5日から開始した「友禅染めで“映画”をまとう」展は、快く貴重な着物と帯コレクションをお貸しくださった草原真知子先生が、展示している全ての着物と帯にキャプションを用意して下さいましたので、ぜひそれも読んで参考にしながら、実物をゆっくりと間近でご覧下さい。

着物柄パズルもたくさんの種類を用意しました。草原先生によれば「友禅の型染めの原画はA3より少し大きい和紙2枚に手描きしたもので、これをローラーに彫ることで連続模様の布(着尺)が染められます。原画の横幅が布幅になりますが、模様は上下につながらなければなりません。コンピュータもない時代に手描きで上下の模様を合わせるのはすごい技です。京都で作られた友禅の型染めの原画を縦横約1/2の縮尺でプリントしたカードを作りました。どのように模様がつながるか、すぐにわかりますか?」という事ですので、ぜひこのコーナーでも遊んでいってください。

おもちゃ映画ミュージアムのこの展示スペースは、もとは京友禅の型染めをしていた作業場でした。ホールの奥行きは着尺の半分の長さの約7メートルとちょっとあります。玄関を入ってすぐチラシなどを並べている棚が通り庭に沿って南から北に向かってありますが、もとは友禅板でした。樅(モミ)の一枚板で、木目が細かく、反りがないものが選ばれています。友禅板には今も型を置く位置が黒い墨でマーキングされた名残があります。友禅板の幅45.6㎝(1尺2寸)、厚さ1.5㎝、長さは7メートル(1丈8尺5寸)ありました。着尺1反(12メートル50㎝)の生地を友禅板の裏と表に続けて張り、型染めをしました。1枚の型紙を次々と並べて模様を連続して型置きするため、模様は切れ目なく続いていくように型継ぎをします。特に表から裏の部分へ移す際には、熟練した技能が必要でした。天井が高い織屋建てという建物です。西陣織も友禅の工房も作業場は、たいてい北側にあります。一年中一定の手元明かりがとれるよう、天井には今も天窓があります。元は透明の大きなガラス板1枚でしたが、改修に際し他の本瓦と同じサイズの透明ガラス瓦4枚葺きにしました。天窓から差し込む光も体験して貰いたかったのですが、映画の上映に妨げになるので、今は屋根に黒いシートを被せてガラス瓦を覆っています。

昨年まで樽染め絞りをされていた京都の伝統工芸士川崎安造さんに、2015年2月突撃取材して撮影した貴重な映像も常時ご覧頂けるようにしています。樽染めも今どれだけの人が手掛けておられるのかわかりませんが、西陣織に欠かせない道具「杼(ひ)」を作る職人さんも長谷川淳一さんお一人になってしまいました。型染友禅の型を彫る人も同様に少なくなっているだろうと思います。ミュージアムの近くを自転車で走っていると、表札に「●●染工場」「「●染め」とか掲げている家が結構目に留まりますが、実際に家業として今も手掛けておられる家は少ないだろうと思います。今回の展覧会で、とても粋で、大胆で、面白い柄を目にされたら「うわっ、着て歩きたい‼」と思われると思います。昨年8月8日付け京都新聞の記事では「西陣織 ガンダム柄の着物」を西陣織の織元3社による創作グループ「N180」が製作されたということです。現代の「面白柄」ですね。着物離れが言われて久しいですが、市内観光地では国内外の人がレンタル着物に身を包み、暫しの変身を楽しんでおられるのをよく見かけます。工夫次第では、若者を中心に着物愛好人口を増やせるのじゃないかと思います。

昨年末に故郷の姉が母の形見の着物などを洋服に仕立て直したのを7着贈ってくれました。偶然着物をテーマにした展示をするので、何というグッドタイミングかと💝期間中は毎日、とっかえひっかえして羽織ろうと思います。

で、初日の1月5日のオープニング・イベントには、その内の1着を羽織りました。母が好きだった正絹の紬をコート仕立てにし、裏地には義兄が赤ちゃんだった時、おばあちゃんがおんぶしてその上に羽織っていた「ねんねこ丹前」というよそ行き上等の羽織ものの生地を使っています。

リバーシブルでお洒落できますし、両面正絹なので、軽くて暖かくシワにもなりません。この1月5日の催しに合わせて、先月金糸と銀糸で作られた天女の羽衣のような超軽量イヤカフを購入し、姉が仕立てたこのコートにピッタリだと思って付けようとした途端、金具から外れてしまい、本番に耳に付けること叶わず…。持ち方が悪かったのでしょう。それがショックで作家さんに連絡をしたら、嬉しいことに昨日出前で直しに来て下さいました。その方は京都市立芸大の染織科を卒業されていたので、今回の展示には凄く興味を持ってご覧頂きました。

5日の振り返りはもう少ししたら書こうと思っていますが、想定外のお得な展開になり、その方、写真で私がマイクを向けている東京からお越しの永本ツカサ様から貴重なことを教えてもらいました。

これは、今日7日の写真ですが、絣の着物を姉が仕立て直してくれた洋服を着ている私の頭部分に映り込んでいる羽織の生地は、永本さんによれば「“漆糸”で織られた相当高価なもの」だそうです。私は裏地に用いられている絵が、フリッツ・ラングが1926年に作った映画『メトロポリス』だという事ばかりに目が行って「珍しい」と買いましたが、羽織生地自体も貴重なものだという事が分かりました。で、そのことをアクセサリー作家さんに話したところ、さすがです。京丹後まで調べに行ったことがあるとのこと。しかもボーッとしていましたが、この羽織には、2種類の紋が全体に織り込まれています。彼女曰く「ジャガードで“漆糸”を用いて紋を入れたベースの布が織られている。京丹後の施設で今も織られているのかはわからない。“漆糸”自体が今も作る職人がおられるのか否かもわからない。“漆糸”という言葉自体が知られていない。需要がなければ作られることもない。京都市立芸大の染色研究室にあるかもしれないが、外部に公開しているのか否かもわからない」ということでした。少し落ち着いたら、堀川今出川の西陣織会館に連絡をして、「“漆糸”について生地を持参して、お話を伺いたい」と要望してみようと思います。

今頃になってネット検索したら、“漆糸”の制作工程が分かる動画がありました。今も“漆糸”を作っておられる人がいると分かっただけでも安堵しました。ちなみに、“漆糸”とは、漆を和紙に塗ったものを細く一定幅に切断して、綿糸に撚り巻いた黒光沢のある糸のことで、織物の緯糸に使うとのことです。

今日は東寺のガラクタ市でしたので、朝のうちに覗いてきました。古い着物を売っている店は結構あるのですが、探している映画関係の絵柄は見つかりません。諦めて帰ろうとしたときふと目に入ったのが、背紋と両袖に紋が入っている三つ紋の男性用正絹羽織。

家紋は調べたら「丸に木瓜」で、この紋で知られている一人が幕末の新選組隊士一番組長沖田総司。さて、元の持ち主はどのような方だったのでしょうか?ともあれ、私はその羽裏に一目ぼれしました。布袋さんの表情がとても良くて、おめでたいお正月にピッタリだと思って、ミュージアムに来て直ぐに羽織りました。お店屋さんによれば、たまに落款が入っているのもあるそうですが、惜しいかなこの羽織には入ってなくて。でも達者な人による筆です。

台湾からお越しの映画プロデューサーのマギーさんとディレクターのネイサンさんと一緒に記念写真を撮りました。彼女たちにも「東寺のガラクタ市は面白いから行っておいで」と勧めました。新年最初のガラクタ市はお天気にも恵まれ、海外からのお客様も多く、賑わっていました。

そうして、今日は“七福神まいり”の日。この日に布袋さんの着物と出会えました💗

もう一つの私の掘り出し物は、常世の蓬莱世界を象徴するおめでたい老松の扇。裏は銀地に美しい青竹の図。1月5日のオープニング・イベントは満員盛況のうちに終えることが出来ました。内容も大変充実し、参加して下さった皆様も満足して下さったことと思います。参加できなかった人からの要望もありますので、いずれ記録映像を公開したいと目下準備中です。

昨日は、エルキ・フータモ先生と草原先生もお見えになって、最後に記念写真を撮りました。フータモ先生が提唱されたメディア考古学とは、メディア文化とその体験の過去と現在を対話させるための研究アプローチだそうです。フータモ先生は京都市内で良い掘り出し物と出会えたそうです。ここに映るのはみんな古いものを愛しむ人ばかり。過去を掘り起こして現在との対話を試みる体験の一つを、手触りで“漆糸”がどのようなものか確認できて、大切なことなのだと私も自分の体験から思います。

トークイベントで挨拶して下さった稲畑産業㈱の橋本幹樹様も私のコレクションで展示している“モスリン”生地を手で触って、「初めてどういうものかわかった」と喜んで下さいました。創業者の稲畑勝太郎が軽くて暖かい“モスリン”をなんとか国産で作りたいと考えて先端のフランスに渡った時に、留学時代に同級生だったリュミエール兄弟の兄と再会。この時に兄弟が発明したシネマトグラフを知ることになります。日本映画のあけぼのの背景に“モスリン”があったのです。

草原先生がこうした「面白柄着物」を集め始められたのは、その頃パッチワークが流行っていて、古い裂が切り刻まれてしまうことを惜しく思われたのがきっかけだったと5日お話されていました。古いフィルムを何とか探し出して、それを残そうと取り組んでいる私どもの活動とも共通する点がありますね。残っていればこそわかることがあります。日本人はどういうわけか直ぐに新しいものに飛びついて、古いものを捨ててしまいますが、そのことを惜しく思います。狭い国土だし、地震など自然災害が多い国だから仕方ない面もありますが、「ちょっと待って‼」という声にも耳を傾けて下さいね。なお、私が着ているのは、姉手作りの着物仕立て直しワンピースです。胸のあたりのデザインが凝っています。お姉ちゃん、ありがとう💝

 

 

 

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