おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2024.01.19column

1月5日素晴らしい展開になったエルキ・フータモ教授をお迎えしてのオープニング・イベント~Part2

ゲストのトークを終えたのち、エルキ・フータモUCLA教授は「メディア考古学はアーティストにインスパイアされている部分が大きい。アーティストはいろんな昔の例を知っていて、それを別の形で表現をしてきた。私自身がメディア考古学という分野を発想し、発展させるのに一番大きな影響を与えた人が、今、ここにいます。岩井俊雄さん。今は絵本作家としても活躍されていますが、岩井さんは凄い勢いで発展させていて、この場に同席して下さっていることが凄く嬉しいですし、名誉なことと思っています。」と話されました。

前々回のブログで絵本『100かいだてのいえ』にサインして下さっている様子を紹介した岩井俊雄さん。フータモ先生とのつきあいは1990年代初めからだそうです。「子どもの頃から父親に工作を仕込まれて、メディアの裏にある技術的なこと、例えば“なぜアニメーションが動いて見えるか”などに凄く興味があって。ゾートロープやフェナキスティスコープ、おもちゃの映写機にも興味を持って調べ、自分の作品に取り入れてきました。その動きをフータモ先生や草原先生が見ていてくださっていた。個人的にやってきたことが、メディア考古学の発想にも影響を与えたのかなとちょっと思っています。昔のものと今の自分の興味、日本におけるサブカルチャーとかそういうものに密接にかかわっていることが僕にとっては面白かったし、そこにコンピューターとか様々な新しいメディアテクノロジーがどんどん加速して入ってきたことで、ただの考古学ではなく、過去と現在と未来とが全部繋がっていくっていうことが面白いです。フータモ先生にそういう風に言って頂けたことが嬉しいです。」と岩井さん。とってもいい瞬間でした。

岩井さんからフータモ先生に、3Dプリンターを使って手作りした“ゾートロープ”をプレゼント。ガチャガチャのカプセルの中に入る恐らく世界で最も小さいもの。

大きさ的には、これと同じサイズですが、中の仕掛けがちょっと違いますね。回転させてスリットから覗くと絵が動いて見えるのは一緒でしょう。

それでは、と私から急ではありましたが、同じくメディアアーティストの橋本典久さんをご紹介。

明治大学や武蔵野美術大学で教えてもおられます。手にしておられるのは、この日フータモ先生と当館に寄贈して下さった“アノーソスコープ”実験キット。3Dプリンターを駆使して作って下さいました。“アノーソスコープ”は1829年、プラトーが“フェナキスティスコープ”を作る数年前に作ったという道具ですが、実際に見られる施設はほとんどなく、国内にはないという非常に珍しい光学玩具です。

丸い円盤に不思議な絵が描いてありますが、その板を奥にセットし、スリットが4つある板を手前にセットします。手前の板と奥の板は逆回転するように組み立てられていて、しかも手前の板が1回転する間に後ろの板が4回転するようになっている装置です。ハンドルを動かしてスリットから覗くと「あら、不思議!!!」、これを寄贈して頂きました。右手奥には、昨年春に寄贈して頂いた“プラキシノスコープ”の体験版。1877年にフランスのエミール・レイノーが発表した光学玩具です。16ミリのフィルム缶に収まるように3Dプリンターを駆使して作って下さいました。橋本さんには、当館にある大きな“ミュートスコープ”の種板(約850枚の静止画像)を動かして、どの様に見えるか体験するための工夫をしてほしいと依頼しています。いずれこれらを体験するワークショップをしたいなぁというのが、今の夢💗

ここまでメディア考古学の関連でお話をしていましたら、もう御一方、参加者の中で手を挙げられた人がおられました。そして、これ以降が想像もしなかった素晴らしい展開に💖

東京からお越しの永本ツカサ様。元旦まで京都で過ごされたのに、映画をテーマにした面白柄着物の展示とトークイベントがあると知って再度入洛。たくさんのコレクションの中から急いで映画をテーマにした着物を取り出して持参して披露して下さいました。そのコレクションの素晴らしいことったら‼ 面白柄やモダニズム着物の日本のコレクター第一号なのだそうです。永本さん曰く「着物業界では都市伝説のように言われていて、今迄ほとんど名前を出さずにやって来ましたので、ご存知の人は少ないですが、それでも銀座のミキモトで5回ほど企画展をしています」。因みに、11日に来られた方は永本さんのお名前をご存知でしたから、こうした着物文化に関心がある人たちの間では著名なのですね。そうした方が、この催しのために、何枚もの超珍しい着物を持って来て下さり、一枚一枚披露して下さるという超大きなお年玉。写真は、フィルムのコマに大河内傅次郎など時代劇スターが描かれている羽裏。

この着物には「ミス日本」第一号の女優山本富士子の写真が用いられています。前回ブログで書いた「写真を着る」に繋がりますが、一体全体どのような人がこれをお召になったのかが興味深いですね。

国民的人気を博した漫画「正チャンの冒険」をデザインした着物。この漫画が世に出たのは1923年1月『週刊朝日グラフ』からなので、昨年はこの作品が登場して100年の記念の年でした。当館でデジタル化した奈良市田原地区(旧田原村)の自治会集会所で見つかった『̪シノミヤコ(死の都)』のおもちゃ映画について10月14日付け朝日新聞で大きく報道されていました。フィルム所蔵者様の許可を得て、この後の懇親会でこのアニメーションもご覧頂きました。『正チャン』が如何に人気があったかが窺い知れますね。

永本さんは「今のうち残しておかないと、近代のものの意味がきちんと伝わらないし、“メディアとしての着物”というテーマでこれまで活動してきました。モノだけではなく着物には情報が非常に多く、それを読み解くことをしている。肩の部分だけが傷んでいる着物の意味、織の情報、染めの情報、着る情報、作り手の情報などを調べて繋ぎ留めたいと思っている」と話し、今回の展示にピッタリの意見を述べて下さいました。展示にも並べている乾淑子さんの本で私も戦争柄着物のことを知って、少し集めていたことがありますが、その柄についても「なんで戦争柄があるのか考えて欲しい。戦争柄を作らないと食べていけなかった背景がある。一方で反戦柄の着物もある」と永本さん。反戦柄の着物があったという事は初めて知りました。例えばトンボの柄なんだそうです。永本さんの話を聞いていると、益々「面白柄」の奥深さに魅せられます。

最後に草原先生から展示についての解説を。「15年ぐらい前に女性の間で古布を使ったパッチワークが流行しました。乾さんと話をしていて『私たちが今これを買わないと、みんな切り刻まれてしまう』という危機感が大きかった。今回の展示では1930年前後のものがほとんど。戦争柄は黒歴史ということで着物業界では歴史として扱われてこなかった。フータモ先生が編集したメディア考古学の本に1932年に発売された“ベビー・トーキー”という和製ゾートロープについて書いたが、1930年前後はサイレントからトーキーにかわる時代でレコード産業が盛んになった。展示している着物の中には楽譜を描いたものもある。1923年関東大震災で、東京の映画会社は京都に移り、1930年頃は京都が映画の中心だった。撮影場所は川沿いが多く、友禅のデザイナーさんたちは撮影風景をしょっちゅう見ていたのだろう。見ていなければ描けないだろうデザインがたくさんある。稲畑勝太郎が繊維産業のために京都から公費で送られて、フランスのリヨンで学び映画を持ち帰った。映画柄の着物があるのは、友禅と映画が同じ時期に栄えていたこと、稲畑がその両方に関わっていたからこそで、偶然ではないように思える。映画と音楽とファッションが繋がっていたーこうしたことが今まで言われていなかったので、そのことを今回の展覧会で伝えたかった」と話されました。

草原先生と永本さんとの出会いの場になったことで、お二人が今後連携して更なる「メディアとしての着物」研究が発展することを期待しています‼

当館恒例の集合写真。皆様長時間お付き合いくださいまして誠にありがとうございました。こうして大勢の皆さんと新年最初のスタートを切ることが出来て大変嬉しく思っています。今年は私どもにとって活動の仕上げの時期と思っています。お互いに健康に気を付け乍ら、手ごたえを感じられる一年にしていきましょう‼

下手なお節もどきを作り、お客様からの差し入れもあって、賑やかに乾杯を。この後も延々と久しぶりの懇親会を楽しみました。コロナ禍でずっと自粛していましたが、こうした場はやはり何物にも代えられない良い時間です。

真ん中のイラストは岩井俊雄さんと奥様の絵本作家田中清代さんに描いて貰いました。皆様、ありがとうございました‼

団欒の風景から当館らしいものを。1928(昭和3)年の御大礼を記録した映像にも映っている“高密”のカメラ(日本映画最初期に日本の職人が作った木製カメラ)を取り出して、如何に良くできたカメラか説明している場面。

手回しのおもちゃ映写機で映写体験をして貰っているところ。フータモ先生も興味津々の様子で。にぎやかな新春の集いでした。来館いただいた皆様に心から御礼を申し上げます。

動画の後半は、こちらをクリックしてご覧下さい。映画をテーマにした“面白柄着物展”は3月3日(日)まで開催しています。ぜひ間近でご覧下さい!ご来場をお待ちしております‼

 

 

 

 

 

 

 

 

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