おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2024.03.19column

1939年『子供の科学』に掲載された「九・五粍撮影機の作り方」設計図

2月24日にブログ /blog/column/23710.html で書いた手作りの9.5㎜撮影機のことを、遅ればせながら3月9日にSNSで紹介したら、結構関心を持つ人がおられました。「たくさんの『子供の科学』を収蔵されている“夢の図書館”は関東で、遠くてなかなか行けないし…」と呟いたら、「大阪の国際児童文学館に所蔵されていると思う」との書き込みをして下さった方もおられます。「ここなら現物の本を見に行けそうだ」と思っていたところに、関東在住の知り合いが、何と!この昭和14年9月号を手元にお持ちだそうで、ご親切に該当ページを送ってくださいました💗

これが、1939(昭和14)年9月号の表紙。

設計図の裏面に作り方の説明が書かれています。それを読むと、筆者の志村 収さんは、こうした「少年技師設計図」を既に数多く執筆されていて、「九・五粍撮影機の作り方」は118枚目。どのような方かわかりませんが、小型映画に詳しい飯田定信さんによれば、『科学と模型』1933年8月号に16㎜映写機の作り方を書いておられるそうです。https://dl.ndl.go.jp/pid/1764657

下掲は飯田さんから3月9日に送っていただいた写真。画像は『科学と模型』に載っていたと思われる「作り易い9.5㎜ 撮影機と映写機の作り方」。これも志村 収さん執筆なのかしら?上掲『子供の科学』9月号の冒頭部分には「映写機の作り方は、今迄本誌にも二回ほど見受けましたし、それに他の本でも数回見受けておりますので、皆さんの中には、映写機の製作は、もう経験しておられる方も多いことと思います」と書いておられますので、志村さんと別の方かもしれませんね。ともあれ、フランスでパテ・ベビーが誕生したのは1922年、日本には1923年に入ってきました。それから16年経った1939年頃には、少年たちが「自分たちも作ってみたい」と思わせるほど、小型映画への関心が高かったのですね。

上掲の『子供の科学』の作り方冒頭部分を読むと、この雑誌の前号にあたる8月号で志村さんによる映写機の作り方は完成していて、9月号と10月号のふたつの雑誌を用いて撮影機の作り方を紹介する段取りだったようです。けれども、ご本人の個人的都合で掲載が延びて、1940(昭和15)年4月号にて続きを書かれました。読者から続きが読みたいとの要望が大変多かったそうです。ということで、その4月号に載っていた「簡単にできる小型映画用の九・五粍撮影機の作り方」も送って頂きました。

志村さんは、「必ず写る」ということをモットーにし、レンズと代理部の歯車だけを買い入れて、他は手元にある材料でできるように設計したと書いておられます。外側は厚さ2㎜の真鍮板(鉄板でも可)。

当時19歳だった安田達三さんが鉄板で手作りされた「九・五粍撮影機」は、残念ながら内部が未完成です。1940年4月号発行が待ちきれなかったのかしら?それとも出征されたのかしら?と気になったので、寄贈して下さった達三さんの甥にあたる勝彦さん(83歳)に尋ねましたら、戦争には行っておられませんでした。勝彦さんのおじいさまの代に始められた鍛冶屋はお父さまの代になって機械加工工場となり、終戦まで軍需品の生産も行っておられたそうですから、戦争激化に伴い多忙を極めて、それどころではなかったのかもしれませんね。

それにしても、この設計図をご覧になって、ここまで手作りされたのは本当に凄いです。前にも書きましたが、志村 収さんの設計図をご覧になって、当時実際に作ってみられた方の撮影機があれば、ぜひご連絡ください。そして、それで撮影した映像があれば、もう言うことなしです‼ 想像しただけで、ズキズキ ワクワク💖ご連絡をお待ちしています!!!!!

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