2025.01.01column
新年あけましておめでとうございます🎍
皆様、新年あけましておめでとうございます。2025年、穏やかな元日を迎えられてホッとしています。新年を祝う日にもかかわらず、朝刊1面は昨年の今日発生した能登の大地震、9月の記録的豪雨にも遭った石川県の今の様子を大きく報じています。1年経っても生活を立て直せない人々が、少なくとも20,699人もおられるそうです。一日も早く被災者の皆様の生活が再建されるよう、国や自治体には支援を充実させていただきたいです。
頂いた年賀状の中には、富山の実家を気遣って下さる文面もありました。幸いにも私どもの身内は無事に過ごしております。とはいえ、自然を相手にすれば、いつ当事者になるかもしれません。日頃から自分に出来る備えをしておかなければと改めて思います。と同時に、互いに助け合う「結」を築いておくことも大切だなぁと思います。
多くの方が一日も早い復興を願っておられる能登半島地震から書き始めましたので、それに続けて書くのも気が引けますが、私ども自身も実は窮状にありますので、年賀はがきには応援をお願いする文言を書かせていただきました。具体的内容につきましては、キャンプファイヤーのクラウドファンディングのサイトhttps://camp-fire.jp/projects/811613/で詳しく書いております。いつもながら長文で恐縮ですが、お読みいただければ嬉しいです。
年末の12月28日に当館の活動で知り合った人々にお集まりいただき、「さよなら会」をしました。
キャパの関係から人数限定でしたが、遠くからも駆け付けて下さり、名残を惜しんで下さいました。どうしても「国際博物館の日」(5月18日)に開館したいと、前日の内覧会では、未完成部分を幕で覆って決行しました。その時の乾杯の発声は、今は亡き映画監督の中島貞夫先生にお願いしました。いつもいつも私どものことを気にかけて下さいました。それから10年の賃貸契約期間が3月で終了します。新たに契約となると家賃の大幅な値上げが提示され、とても賄いきれないと引越しを決断しました。そうして上掲28日の「さよなら会」の発声は稲畑産業㈱広報部長橋本幹樹様にお願いしました。
京都の映画は創始者である稲畑勝太郎から始まります。彼がフランスからもたらしたシネマトグラフです。偶然ですが、4月から再スタートする場所は、彼が最初に構えた稲畑染料店があった場所の近くです。この家で暮らす稲畑一家を、リュミエール兄弟が派遣した映写技師でカメラマンでもあったコンスタン・ジレルが撮影しています。『家族の食事』(1897年)。
京都の映画を牽引して来られた中島先生の「乾杯」から始まり、京都の映画の始まりに多大な貢献をした稲畑勝太郎(ちなみに現在の社長様も同じお名前です)の会社の広報部長様に第1幕終幕の「乾杯」をして頂き、西陣での第2幕に向けて歩みを進めます。どうぞ無事にそれが進められますよう、皆様方の応援を賜りたく、何卒宜しくお願いいたします。