2025.01.05column
クラウドファンディング応援メッセージ②
私どもが初めて挑戦しているクラウドファンディングhttps://camp-fire.jp/projects/811613/への応援メッセージの続きです。
④イェール大学教授アーロン・ジェロ―先生から
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It has always been odd that while Kyoto was for a time the Hollywood of Japan and the center of film production, there is no publicly funded museum dedicated to that history. The Toy Film Museum has been valiantly trying to fill the gap on its own, focusing first on toy films—an early version of watching movies at home—but doing excellent programming expanding to the entirety of cinema. The Museum has to move from their current location and has started a crowd funding drive to help pay the costs. I've donated a bit, and I hope you can too.
For your reference, here's a write up I did on the museum a number of years ago:
〈以下はグーグル翻訳で〉
京都はかつて日本のハリウッドであり、映画製作の中心地であったにもかかわらず、その歴史を専門に扱う公的資金による博物館がないのは、いつも不思議でした。おもちゃ映画博物館は、まずおもちゃ映画(自宅で映画を見る初期の形)に焦点を当て、映画全体にまで広げる優れたプログラムを実施して、独自にそのギャップを埋めようと果敢に取り組んでいます。博物館は現在の場所から移転する必要があり、費用を賄うためにクラウドファンディングを開始しました。私は少し寄付しましたが、皆さんも寄付していただければと思います。
ご参考までに、私が数年前にこの博物館について書いた記事をここに掲載します:
http://www.aarongerow.com/news/the-toy-film-museum-in.html
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ジェロ―先生は、海外の東アジア映画研究者のネットワークを構築されました。このネットワークを通じて知り合ったイタリア人映画研究者ボスカロル・マッテオさんにより、映画『祇園祭』の海外で行われた際の情報収集ができました。またある時は、アメリカの陶芸家ヘンリー・グリーンとバーサ夫妻がバーナード・リーチの紹介状を持って1937年に来日した折り、彼が16㎜フィルムで撮影した奥吉野などの映像を寿岳文章ご夫妻らも一緒にご覧になったという記述があるのを知り、そのフィルムが残っていないか行方を捜したことがありました。ジェロ―先生自ら検索して、それらが陶芸作品と共にミシガン大学に寄贈されたまでを探し出して下さいました。当時の日本の様子が分かるのではないかと期待したのですが、ミシガン大学のマーク・ノーネス教授からの返事では、現在所在が分かっていません。
このようにジェロ―先生は、いつも困った時に助言を下さり、私どもの活動に対しても気にかけて下さっています。その先生が応援メッセージ1行目に書かれた文をぜひお読みいただきたいです。
2016年6月に出版された日本語版で、当館も紹介して頂きました。
写真は2022年7月6日来館時のジェロ―先生。いつも応援していただき、ありがとうございます‼
⑤浜松市の木下惠介記念館専門キュレーター戴 周杰(タイ シュウキ)さんから。
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おもちゃ映画ミュージアムが開館した2015年は、ちょうど私が日本に留学しに来た年でもあります。来年で来日10周年を迎える私は、開館10周年を迎えるおもちゃ映画ミュージアムとある意味で一緒に10年間の映画人生を歩いてきたような気がします。昨年の夏、おもちゃ映画ミュージアムと職場の木下惠介記念館が共同開催した「木下惠介展」をきっかけに、館長の太田先生と学芸員の文代さんにいろいろお世話になりました。京都をはじめ、関西の皆様に木下惠介映画の面白さを知っていただける機会をつくってくださいました。
長かったようでもあり、短かったようでもあるこの10年間の活動は、京都や関西だけではなく、日本全国各地、さらに世界中の映画関係者に注目されるようになりました。「アートマネジメント」という分野を学ばせていただいている私は、映画祭(と公共映像アーカイブ)の持続性について強い関心を持っておりますが、文化行政の力を頼らず、太田先生と文代さんのお二人の年金だけで運営されているこの小さな民間ミュージアムの存在がとても不思議な事例でした。 それは単なる映画に対する情熱だけではなく、この10年間にわたって映画に対する敬意を示し続けてきた結果でもあるではないかと思います。
次の10年も、ぜひ映画の都・京都という地に日本の映像文化の発信地として輝かせてあげてください。皆様のご支援をどうぞよろしくお願いいたします。
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戴 周杰さんと初めてお会いしたのは、2023年1月13日、丁度私の誕生日でした。いろいろおしゃべりしているうちに、当館で木下惠介展をやりたいと思って、提案しました。その年5月に浜松市へ行って、館長様に直にお願いし、ご遺族の方、浜松市の担当課の方のご理解もいただけて、「戦後民主主義映画の旗手 木下惠介展」を8~9月に開催しました。最近は夏に戦争と平和をテーマにした展示をしています。木下監督は短い期間ですが、中国大陸に従軍した体験があり、そこで感じた思いが後の作品に強く反映しています。展示に際しては、(公財)川喜多記念映画文化財団様や日本映画史家本地陽彦先生の資料もお借りし、良い展示ができたと思います。けれどもお金がなくて期間中に木下監督の作品を1本も上映することができず、代わりに戴さんに作品を紹介しながらの講演をお願いしました。その振り返りはこちらで書いています。
戴さんの応援メッセージを読みながら、生涯を通じて尊敬できる良き友を得たという思いに浸っています。若い戴さんですが、学ばせて貰うことは沢山あります。今後戴さんが登壇されたり、企画される催しがございましたら、参加をお勧めします。そして、木下監督の作品もぜひご覧になってください‼
⑥イラストレーターで絵本作家の吉田稔美さん
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母校大阪芸大の元映像学科教授の太田米男さんが館長、夫人の文代さんが副館長(と広報)として私設し運営されてきた京都の小さな映像博物館「おもちゃ映画ミュージアム」が、やむをえない移転による窮状のため、クラファンで支援を募っています。
10年前の開館直前に友人たちと初めて伺ったときは、まだ内装の一部は工事中のライヴ感、開放感のある町屋を改装しての素敵な空間に、トイフィルムの映写機、幻燈機などの黒光りするクラシックな映像前史装置のコレクションがいっぱい並んで目を見張りました。
私のオフセット版ピープショーもお願いして販売いただき、貴重な常設展示のみならず、東京でも機会のない珍しい企画展や上映会、トークイベントに、たびたびお訪ねしていました。古いフィルムの修復や研究、継承、交流の場など、映画文化を守る拠点にもなっています。
しかし全てが自費であり、常に厳しい状況です。4月からの新しい場所での再開に向けて、どうか、一緒に応援お願いいたします。
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幅広い交友関係をお持ちの吉田稔美さんは、開館前から応援団として、各界でご活躍の人々を繋いで下さいました。あの人も、この人も、という感じですが、その筆頭が法政大学名誉教授の故アン・へリング先生です。親交があったアニメーション作家岡本忠成さんの没後30年記念展を2020年1~2月に開催した折には、その命日2月16日に講演会を催し、思い出話をきかせて貰いました。館内にあった光学玩具に目を見張って喜んでくださった様子は生涯忘れることがないでしょう。そうした出会いをもたらして下さった吉田さんが、思いやりに溢れた文章をSNSで発信して下さってましたので、許可を得て紹介しました。吉田さん、いつも応援ありがとうございます。共に体に気を付けて前に進みましょう!
⑦京都市指定有形文化財伴家住宅を活用した伴市プロジェクトを始め、熱心に様々なボランティア活動をされている正木隆之様より。
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伴市プロジェクトで、この1年あまり無声映画上映会を開催してくださった「おもちゃ映画ミュージアム」が、施設の移転を余儀なくされ、クラウドファンディングを行っています。
名前に「おもちゃ」とついているため、最初はなんちゃって博物館のひとつだと思っていたのですが、その活動を知って驚きました。館長の太田さんは元大阪芸術大学の映像学科の教授で、古い映像資料の発掘、復元、保存の重要性を誰よりも理解している方です。
当然、ミュージアムのコレクションや活動もアカデミックで本格的なもので、小さなミュージアムではありますが、その質の高さから海外の研究者たちも見学に訪れています。
本来なら、国や行政が担うべきフィルム・アーカイブですが、どこも手をつけないので、退職後に私財を投じ、完全に手弁当で運営されているのです。これはなかなかできることではありません。
せっかく文化庁が京都に来たというのに、何の支援もないのは残念に思いますが、多くの市民の手でその活動を支えることができれば、それはある種の豊かさと言えるのではないでしょうか。
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カンデオホテルズ京都烏丸六角レセプション棟2階の和室。2023年7月から2024年11月まで15回開催しました。烏丸六角の交差点から少しだけ西に入った場所に位置し、交通アクセス抜群で、呉服の商いで財を成した伴家が住まいしていた家。日本画大家池大雅の絵などが設えられていて、町家見学にも最適な家です。正木さん自身も、月に一回「民映研の映画をみんなで上映する会」を実施しておられます。一昨年から引越しせざるを得ないと思い、家探しをしている中で伴家住宅の活用を考える集いに声をかけて頂きました。本当は活弁・生演奏で無声映画上映会をしたかったのですが、街中のことなのでマイクや楽器を使えなかったことが残念でした。今後参加団体も増え、内容もより充実すると思いますので、伴市プロジェクトをぜひ訪ねてみてください。