2025.02.24column
「京都国際映画ミュージアム(仮称)」が設けられることを願って
24日の京都新聞に国立民族学博物館で開催された“民俗文化財”の今後を考えるシンポジウムの内容が載っていました。奈良県の知事は県立博物館収蔵庫が満杯になった状況を受け、収蔵庫の整理・部分廃棄を提案したとニュースになりました。“民具”を“フィルム”に置き換えて読みながら、同じような話を聞いたことを思い出しました。某自治体が運営するミュージアムに寄贈された多くのフィルムを処分するよう上から言われたという話です。「せめて調査が済むまで待って欲しい」と抵抗したという担当者の悔しい思いが今も記憶に刻まれています。京都府立の資料館でも写真を大切に保存する一方で、多くのフィルムが処分されたと耳にしています。活字にならずとも、こうしたことはあちこちでなされているのではないかと想像しています。
国立文化財機構・文化財防災センターの小谷竜介さんは能登半島における文化財レスキュー事業について、その目的は「捨てるかどうかの判断を後で考える。その時間をつくる」と説明されたそうです。昨年3月に亡くなったスチールカメラマン都筑輝孝さんが大切に残しておられた資料を、いとこの方経由でたくさん寄贈してもらいました。生前から映画『祇園祭』へのインタビューを通して交流があり、都筑さんから既にいくつもの寄贈を得ていたことが背景にあります。別の事例では、美術監督だった方の資料を「市のごみに捨てた」とお聞きして絶句したこともあります。今回のミュージアムの引越しに際して、片付けても片付けても一向に片付かないモノたちを前に途方にくれましたので、そのケロリと「捨てた」と仰ったことに共感する自分の心の内も見えました。「何が大切か、そうでないか、門外漢の自分では判断ができない。どう処理したら良いのかわからない。いっそ解体業者に頼んでスッキリして貰おう」と考える人がいても、惜しいとは思えども、非難できません。
昨年9月28日に松井京都市長さんが来られたのは、都筑さんの遺品を受け取ったばかりの頃だったこともあり。「公的な施設があれば、先ずはそこに置いて、専門家の目と手で仕分けをして、貴重なものは保存して次世代に継承できるようにすることができる」と申しました。仮置き場があれば、わけが分からないままに処分されることを防ぐことができると思うのです。
「近畿民俗学会会長の伊藤廣之さんは『民具には使われていた時代の記憶や思い出を再生していく力がある。(文化財としての)意味を捉え直していく必要がある」と話し。民博の日高真吾教授は「使い倒されてきた民具が博物館にあるのは奇跡。場所がないから廃棄するなら、だれが責任を取るのか』と話した。」で、記事は結ばれています。「場所がないから、予算がないから、人手がないから」と簡単に処分されてしまってはもったいない。冷静にもう一度考える時間と場所が必要だと私も訴えたいです。
昨日は、第3回京都映画賞の授賞式でした。昨年連れ合いが映像のアーカイブ活動を評価して頂き、優秀スタッフ賞を頂戴してから、もう一年経ったのですね。






