2026.07.08column
祇園祭に関した催しを終えて
今朝、祇園祭放下鉾の堀 真也さんから今年の、おそらく出来立てほやほやのちまきを頂戴しました。

休館日明けの町家に飾り、厄除けを願います。7月5日の祇園祭をテーマにした催しでも開始時間まで、以前、堀さんから頂戴した放下鉾のお囃子の音源を会場に鳴らして、雰囲気を醸し出しました。四条通りに行けば、鉾町の会所から、コンチキチン♪のお囃子が聞こえてくるでしょう。今日は「近畿地方が梅雨明けしたとみられる」と大阪管区気象台が発表しました。いよいよ夏本番、祇園さんです。
ちまきに関しては、材料の笹の手配や作り手不足で、毎年どこの鉾町も苦慮しておられる様子。このちまきも例年より本数が少なくなったように思いますが、鉾町の方の熱気は倍増しているようで、どうかこれから先の厄除けにご利益がありますようにと手を合わせました。「どうか鉾立や巡行の日に雨が降らず、凌ぎやすい天候となりますように」と貰ったばかりのちまきを手に、お利口なテルテル坊主さんに祈りました。
5日は、生憎の雨続きで足元が悪い中、東京や福岡県からもお越し頂き、少人数ながらも研究者が多数を占める催しとなりました。

最初に昨年6月14 日に実施した下坂守・京都市歴史資料館長の講演「描かれた武者行列」を撮影した記録映像を上映しました。嬉しいことに研究者の方が一生懸命メモを取っていてくださいましたし、別の研究者の方も「すごく勉強になった」と仰って下さって、やって良かったと思いました。

昔は、祇園祭のお神輿は四条の橋の横に新たに架けられた穢れのない仮橋を渡って市中へ行きました。お神輿の前を進んで露払い、清めをする“棒の衆”6人たちは四条の橋の上を進むのが習わしだったことなど先生の講演を聞くまで全く知らずにいました。お神輿が進む橋は毎年架け替えられ、「洛中洛外図屏風」「祇園祭礼図屏風」などには決まって、この橋を渡る場面が描かれていたといいます。下坂先生が祇園祭と武者行列、弓矢町に関して発表されたのはこの時が初めてだと仰っていましたので、「へぇ、そうだったのか」と思いながら聞いておられた方がほとんどだったと思います。

続いて、昨年半世紀ぶりに祇園祭神幸祭に復帰した弓矢町清々講社の皆様による武者行列に密着取材した映像をご覧いただきました。中央に紫色腰帯姿の大将役山中さんが写っていますが、彼が身に付けている鎧一式を当館近所の鎧廻舎さんが「今の人の体形に合わせて修復しましょう」と申し出られたことが端緒になり、以前から八坂神社や筆頭氏子組織宮本組からも促されていたこともあり、町内で復帰機運が盛り上がったことが背景にあります。実施日前、町会所「弓箭閣」や町内各家で保存されている武具の飾り風景や、17日神幸祭当日四条の御旅所迄行列に密着し、関係者にインタビューした様子をまとめたものです。当日のことについてはこちらで書いていますし、講演会の様子についてはこちらでも触れています。
幻燈『祇園祭』でプロの語りを披露して下さった岡田佳美さんから終了後頂いたメールで、「貴重な映像記録、とりわけ、東山区弓矢町は、私の母校、六原小学校・洛東中学校の校区内でしたので、映る町並みが懐かしく、目が離せませんでした。私の小学生の頃は、町内のまつりの日は学校を休んでも良いことになっていました。で、私の町内は、ひよっさん=今日吉神社(いまひえじんしゃ)がおまつりでしたから、その日に休むわけです。弓矢町の子は、祇園さんの日に休んだのかな?生徒がそれぞれバラバラに休んでも良いなんていうのは、今では考えられないですね。」と書いてくださいました。
別の参加者はfacebookで「武者行列は、神輿が通る道の穢れを祓い、清める役目があり、京都歴史資料館の下坂守館長による武者行列についての講演によると六人から成る「棒の衆」が、先頭に立ったとのこと。平安時代から続く祇園祭にあっては、半世紀なんて“一瞬”かも。けれど去年復活させた弓矢町の思いは、伝わってきました。」と書いて下さって、ここでも「やって良かった」と思いました。

そして、幻燈『祇園祭』の発表です。私が手にしているのは京間サイズの襖の大きさを新聞紙で示しているところ。1952年5月5日東京大学の大きな講堂で開催された歴史学研究会創立20周年大会でのアトラクションで上演されました。その時、ヒロイン“オサヨ”を演じた方によると「絵の上手な学生さんが来てくれて、要望した通りにさっさと描いてくださった。そのうちの一枚が書き損じられたので、丁度うちの襖が破れていたのに使おうと貰って帰って貼ったらぴったりだった」と以前話して下さったので、6月9日に用意していって“オサヨ”さんに見て貰いました。「後ろに声役の人が幾人も隠れて、手元明かりでセリフを見ることができたが、全て暗記していた。講堂全体が真っ暗な中でやったので緊張感はなく、いつもと同じようにやることができた。アドリブも効かしたらそれが大うけして大評判になった」と昨日のことのようにお話しくださいました。「大きなもので、丸めて運ぶということはなく、担いで回った」と話しておられました。大きな講堂での実演だから見えやすくするためもあって大きなものを作られたのでしょう。その後の普及活動用にコンパクトなA3判の紙芝居を後継の学生さんたちが作られたのでしょう。

これは、2021年奈良大学教授河内将芳先生にお借りして展示したA3判額に収まる大きさのコンパクトバージョン紙芝居『祇園祭』36枚のうちの一枚です(表紙右上に小さく「第二号」と書かれています)。2020年7月24日にお話しして下さった立命館大学田中聡先生によれば、2007年に田中先生代表の戦後歴史学ワーキンググループが京都民科歴史部会の資料調査をされた折には、B4 版紙芝居『祇園祭』11枚を見つけておられるようですから、2種類のサイズの持ち運びが楽な紙芝居があったようですね。

さて、幻燈『祇園祭』本番です。俳優としても活躍されている岡田佳美さんと幾度かの練習を重ねて臨みました。この作品についてはこちらで触れました。

無事に終わってホッとした表情の私達です。幻燈スライドのデータ(2007年戦後歴史学ワーキンググループの調査時に見つかった原本を1コマずつ撮影したスライドフィルムをさらに撮影して作成)を提供して下さった田中聡先生はメールで「(イベント全体の)内容が濃く、もっと多くの人に見てもらいたかったです。幻燈の読み上げもプロが行うと臨場感を増しますね。」と書いてくださったことにホッとすると同時に、岡田さんに依頼して本当に良かったと思いました。岡田さんは「本番は来ている人に訴えかけようという思いが増すから、より良いものになる」と仰っていましたが、私も同様な気持ちで精一杯やり終えました。

続いて、京都文化博物館にあった映画『祇園祭』(1968年、山内鉄也監督、日本映画復興協会)を2006~2007年大阪芸術大学研究費を活用して調査し、ニュープリントを作った太田が、当初のフィルムがどのような状態だったかを説明しました。退色して赤くなっているのがおわかりでしょう。ニュープリント作成にあたっては、当時存命だった山内監督と美術を担当された井川徳道監督に色彩・画調を監修して頂きながら作業を進めました。

東大での発表を終えた後、その紙芝居を収録して東京大学出版会から出た林屋辰三郎先生の下掲本を見た伊藤大輔監督は、映画『祇園祭』を構想します。同様にこの紙芝居を基に当時共産党の京都市議だった西口克己さんも小説『祇園祭』を書き、映画は京都府政100年の記念事業として西口さんの小説を基に制作されることになります。

結果として伊藤大輔監督は降板し、B班監督だった山内鉄也監督が「脚本の一字一句変えるな」という西口さんからの条件で引き継いで完成させます。2007年に作ったニュープリントを見ながら、山内監督が「アヤメの場面が甘いなぁ」と仰ったこともあって、太田は研究版として「伊藤監督や山内監督が作りたかったのは、こういう映画だったのではないか」と作りました。5日は、その冒頭部分を上映しました。
冒頭と最後には1997年に京都映画100年を記念して山内監督が作られた祇園祭の映像を用いました。これは紙芝居・幻燈に共通する現代の祇園祭を投影することによって、応仁の乱後の都の人々の思いが現在もなお引き継がれていることを表現しています。映画『祇園祭』では、時代劇にそぐわないということで採用されなかったようですが、伊藤監督は実際に山鉾巡行を撮影していることが、当時の新聞記事からも分かります。

このシーンもおまけでご覧に入れました。紙芝居・幻燈『祇園祭』で重要な場面でもあります。
……
「なぁおい。祭りはわしらの祭や。誰にも気兼ねなんかいらへん。」
「そうや、邪魔されてたまるものか。わしらの祭りはわしらでしよう。」
「そうや。そうや‼」
祭りは自分達でするのだ。町の人々は、祭を始めることになりました。執行様(祇園のお宮の一番偉い人)に何と言われようと、将軍様が何と考えようと、どうしても祭りをしなければ、という願いが、こうして町の人々を動かしたのです。
……

2007年の調査では、上映用のフィルムは退色していましたが、画ネガの原版はほとんど劣化していませんでした。けれども音ネガは、ベース素材が縮み出して劣化の兆候が出ていました。それから19年も経過し、音ネガの方の劣化が進んでいると思われるので、画ネガと併せての復元作業を提案していますが、映画の内容が当時の差別問題にも触れていることがネックとなり進んでいません。これを解消し、もっと開かれた状態でこの作品をご覧頂けるようになれば良いと考えて、私どもは2019年から祇園祭にあわせてこうした取り組みをしています。
このあと、「祇園祭礼図屏風」などにも描かれている等身大の生人形「母衣武者」も見て頂きながら、あれやこれやと話が弾みました。ご参加いただいた皆様に心から御礼を申し上げます。


