2023.03.17column
故アン・へリング先生を偲んで
2020年2月16日『おこんじょうるり』『モチモチの木』などの人形アニメーションで知られる岡本忠成さんの没後30年を記念して、親交があった児童文学者で印刷文化研究者のアン・へリング先生にお越しいただいて「芸術アニメーションの巨人、岡本忠成」の演題でお話をしていただきました。当日の様子は、こちらで書いています。
講演前に当館所蔵のステレオスコープを覗いておられるへリング先生の楽しそうな表情が忘れられません。当館のことを気に入って下さって「また来たい」と仰って下さったこともあり、この時のご縁から、先生がお亡くなりになった後「新版うつし絵」やレフシー紙フィルムと紙スライド、ガラス種板などを寄贈して頂きました。今開催中のマジック・ランタン(幻燈機)の展示でそれらを飾っています。
2年前の今日、2021年3月17日午前9時半、へリング先生は東京の八王子で荼毘に付されました。この日を迎えると寂しい気持ちが募ります。日本人が既に忘れてしまっていた紙遊び文化を慈しみ、それらを大切に保存されていました。寄贈頂いた品々もその一部です。
2月23日大阪で日本に映画を持ち込んだ荒木和一をテーマにした演劇「フェイドアウト」(東 龍造原作)を見に行った折、いつも大変お世話になっている日本映画史家の本地陽彦先生と同席しました。その時に私が話した「レフシー」のことを覚えていてくださって、お帰りになられてから改めてブログを読んで下さったのだそうです。そこには「へリング先生遺愛品を受け取ったことが書いてあったので、へリング先生との思い出が走馬灯のように駆け巡った」と頂いたメールに書いてありました。とても良いお話でしたので、本地先生の許可を得てその内容をコピペして記すことにします。
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へリング先生と初めてお目にかかりましたのは、私が古本屋に勤めて直ぐのころだったかと思います。ですから、もう半世紀近くも前、でしょうか。
神田の古書会館での古書即売会はもちろん、新宿区にありました私の働く店へもよくお見えになられて、当時、余り日本人研究者が見向きもしなかった児童文化、庶民文化の資料を、それはそれは熱心にお蒐めになっておられました。
そしてまた、そんなことはどなたもなさらないことでしたが、古書即売展には常のように、古書店員に「差し入れ」、すなわち洋菓子などをお持ちになり、「皆さんで」と言って下さいました。
私もそうしたご熱心なお客様には、何としてもお探しのものを、と常に気を付けておりました。
あるとき、へリングさんからお聞きしていた探求書だったか、即売展の会場にお見えになられたときに、「ありましたよ」とお伝えすると、いきなり「キャー」といって抱きつかれてしまい、こちらはまだ20代の駆け出しでしたから、ビックリするやら、大勢のお客様のいる前ですから、恥ずかしくて困ったことがありました。
確か、桃太郎に関する文献の1冊でした。今ではなかなか信じてもらえないでしょうが、古書店、古書即売展といったところへは、先ず女性の方が来られない。そういう時代でした。
そうですか・・・へリング先生のご遺品が・・・。機会がありましたら、お見せくださいますか?
私がその頃探してご提供(お店がお売りしたもの)したものが、ひょっとしたらあるのかも知れません・・・。
素敵なお方でした。
また、ミュージアムをお訪ねしたくなりました。
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本地先生は、できるだけへリング先生のご遺志に沿ったかたちでご遺品が遺されることを望んでおられ、へリング先生が尽力された児童文化史の研究が更に発展することを願っておられます。それは、多少ともへリング先生とご縁を得た私どもの願いでもあります。
3月19日は、晩年に交流が深かったイラストレーター、絵本作家の吉田稔美さんに、へリング先生が大切にされていた幻燈種板の「カチカチ山」の実演を手伝って貰います。他にも先生から寄贈頂いた珍しいレフシー紙スライド「絵ばなし 文福茶釜(下)」も披露させていただきます。
この日は、皆さんと一緒にアン・へリング先生を偲ぶ日にしたいと思っています。きっと天国の先生も喜んで下さることでしょう。