2024.07.07column
骨董市で
第一日曜は恒例の東寺ガラクタ市へ。「ガラクタ市を楽しむ前に、自分の家のモノたちを片付けねば」と思って、先日来、古本を入れた段ボール箱約20箱を京都市内の三密堂さんに引き取って貰いました。それでも少しも片付いた感が味わえないままの、モノで溢れかえっている狭い我が家です。ミュージアムも来年早々に引越しをしなければならないので、片付けに本腰を入れなければならないのに、一向に進んでいません。逆に昨日も都筑輝孝さんが大切にしておられたスチール写真などを寄贈して頂くなど増えています。こうした映画資料をどこかで保存し活用できる施設を作って頂けないかと、10年間ずっと言い続け、そのための動きもしているのですが、未だに叶えられずにいます。いつか「夢が叶う」と報告できる日が来るように、諦めずに訴え続けます。
さて、今日の世界遺産東寺五重塔です。
蓮の花が丁度見頃を迎えていて、とても美しく、参拝者、観光客の皆さんも足を止めて、その姿をカメラに収めておられました。
朝から容赦ない夏の日差しが照り付け、東寺のガラクタ市をのぞいているお客様も、お店の方も汗だく。私の最近の探し物は早稲田大学名誉教授の草原真知子先生に教えて貰った「面白柄着物」ですが、6月末のアンティークフェアでいつも「面白柄着物」でお話するお店屋さんも「滅多に見られなくなった」と仰っていたぐらい、見つかりません。今回はそれに加えて明治時代の刺青を撮った写真を掘り出すのが目的でしたが、そうしたものは既にどこかのコレクターの所蔵になっていて、こうした骨董市で出合える可能性は低いのでしょう。
仕方なく「今回の収穫物はなし」と帰ろうとしたら、古い団扇が目に飛び込んできて。8~9月は銀幕のスターが描かれた団扇展をするので、子どもたちが描かれたものを1つGETしました。
線香花火を楽しむ女の子が、手に団扇を持っているのも愛らしい団扇in団扇の絵柄。早速出窓に飾りました。
先月末の京都アンティークフェアでも、面白柄着物と明治時代の刺青を撮った写真を探しましたが見つからず、代わりに木版刷り月岡芳年「月百姿」の九紋竜を買い求め、額装して展示の隅っこに並べています。歌川國芳の弟子だった芳年が8年を費やして完成した最晩年の名作シリーズ100点の中の1点です。題材は中国明代の小説『水滸伝』に登場する九紋龍史進。立派な刺青が描かれています。
国芳以前から刺青はありましたが、1827年に国芳が『水滸伝』の挿絵を出版したことを機に刺青が大流行します。侠客や博徒だけでなく鳶や飛脚など職人たちが競って彫りました。火消しは江戸の華、水を呼ぶ竜の絵柄が好まれたようです。明治になって鎖国を解いた政府は近代化を急ぎます。全身に刺青がある男たちが褌姿で闊歩する様子を海外の人々に野蛮な国と見做されないよう、政府は1872(明治5)年に刺青を禁止します。、表社会で見られることはなくなりましたが、その技術は隠れて脈々と継承されます。刺青が取り締まり対象から除外されたのは戦後の1948(昭和23)年のことです。この展覧会中に様々な刺青を見せて貰っていますが、刺青の流行は世界的潮流で、自分が自分らしくあるための表現手段の一つ、もはやファッションの一部となっている感があります。
連れ合いの方は、アンティークフェア会場で馴染みの骨董屋さんと出会い、彼の家でレフシーの紙フィルム5本とアタッシュケース型映写機を纏めて購入することに。『のらくろ(タイトル不詳)』『猿公と戦争』『レフ坊のロケット』『漫画事変 愛馬進軍歌』、もう一つは『お月さん』でしたが、これは既にある作品でした。これらも来年バックネル大学のエリック・ファーデン教授が来日の折にデジタル化して貰うことに。映写機はその時プレゼントしようと思っています。
今朝のガラクタ市で、以前北野天神市で紙フィルムをたくさん持っておられた古物商さんの姿を見かけたので、その後紙フィルムがどうなったかを尋ねましたら、「転売し、さらにどこかに転売されたと思う」ということでした。その所有者の方にも呼び掛けたい。「もしもお手元に紙フィルムをお持ちでしたら、ぜひお声がけください」。紙フィルムにダメージを与えることなく安全に美しくデジタル化して、現物のフィルムとデジタル化したデータと一緒にお返しします。エリック先生と一緒に取り組んでいる紙フィルムプロジェクトにご協力いただければ幸甚に存じます。
ついでに前回のアンティークフェアで買った小さなカメラもご紹介。
ZEISS IKON Baby Box 1931年頃に作られたフィルムカメラです。
掌にのせても、こんなに小さいカメラ。可愛いですね。上手くやれば撮れるかもしれません。
という具合に、モノは増える一方でなかなか片付きませんが、モノを通して人々の創意工夫と歴史を知ることが出来ます。骨董市巡りの楽しみは、まだ続きそうです。