おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2024.02.24column

驚き!手作りの9.5㎜撮影機

2月23日郵便屋さんが、ビックリするプレゼントを運んで来てくれました。手作りの小さなカメラです。

9.5㎜カメラです。

8の字に見えるカセットは当館にあったのを嵌めました。完成していなかったので、撮影はしておられませんが、外見は立派なものです。

右にあるのが、フランスのパテ―社が作って販売していたpathe motocamera。左が送って頂いた手作りの9.5㎜カメラ。本家よりも重いので計ってみたら、パテ社のは1.44㎏、手作りは1.62㎏でした。

ひと月ほど前に送り主の安田勝彦さん(83歳)から電話が掛かって来て、「おもちゃ映画ミュージアムのホームページを見ていたら、うちにあるのとそっくりなパテのカメラがあった。うちは鉄工所をやっていて手作りしたものです」と仰って。電話に応対した連れ合いが「面白いから、見せて下さい」とお伝えしたところ、昨日荷物が届き、中にあった手紙に「お納めください。貴館の何かお役に立てば幸いです」と書いてありました。

安田さんの生家は明治15(1882)年生まれのおじいさまが、明治後期に鍛冶屋を始められ、お父様の代で機械加工工場を営むようになり、終戦までは軍需品の生産も行っておられたそうです。お父様には達三さん(大正10〈1921〉年生まれ)という弟さんがおられ、学生だった精吾さんは模型飛行機、鉄道模型、8㎜、写真、レコード収集など多くの趣味を楽しんでおられたそうです。その達三さんが19歳頃に手作りされたのが上掲のカメラでした。大きさはパテ―社製と全く同じです。鉄工所で軍需品も作っておられたから容易かったのかもしれませんが、大したものです。

勝彦さんもこうしたものが大好きだったので、今迄手元に残しておられたのですが、これもご縁と思われて寄贈して下さいました。勝彦さんは「しかしよく見ると、外箱はカメラメーカーの量産品のようでもあり、外観の部品もメーカー品のようでも、手作りのようでもあり。特にフィルム送り部分は何か不自然です(メーカーのジャンク品を改造しようとしたとも思えます)。分解しようと思った時もありましたが、根気がなくなりました。生家には昔の『子供の科学』が多くありました。ネットで検索すると、1940年4月号に【九・五粍撮影機の作り方】のタイトルがありました」と手紙に綴って教えてくださいました。教わった通りにネット検索してみると、「夢の図書館」のサイトで、確かに1940年4月1日発行の『子供の科学』は、「拓け行く顕微鏡界、商船護送艦隊、飛行機の自動操縦装置、携帯用単球受信機の作り方、九・五粍撮影機の作り方」と雑誌の内容が紹介されています。ちなみに1940年は勝彦さんが生まれた年。成長の傍にこのパテ・ベビーのカメラがいつもあったのですね。

それにしても、教えて貰った「夢の図書館」は凄いです。こちらは“X”(旧Twitter)のアカウント。目下拡張移転作業中で今年の春にオープンする予定だそうです。「100年分3万冊の技術雑誌が在る私設の専門図書館&ブックカフェ。子供の頃にわくわくしながら読んでいた雑誌。夢に見た懐かしい雑誌にもう一度会える夢のような図書館です。“マイコン博物館”と“模型とラジオの博物館”を併設」していて、ここで触れた『子供の科学』は約900冊も所蔵されているとのこと‼【九・五粍撮影機の作り方】がどのような内容だったのか、そこにいけば確認できますね。

九・五粍撮影機を手作りで完成させて、実際に撮影された人がおられたら、ぜひそれを見てみたい。そのような情報をお持ちの方がおられましたら、ぜひご連絡ください。手作りの9.5㎜カメラから、“モノづくり日本”の土台を見た気がします。

【3月9日追記】遅ればせながら、SNSでこの寄贈カメラのことを紹介したところ、小型映画に詳しい飯田定信さんから、別の印刷物に「作り易い 9.5 mm撮影機と映写機の作り方」という記事が載っていたと教えて貰いました。「こちらは科学と模型の綴じ込みのようで、いくつかあったのかもしれません」とのこと。

「鉄道模型製作に慣れてる人とか、よほど腕に自信がないと作れなさそうでした。ブリキの部品を切り出すだけでも大変そうです」と飯田さん。ともあれ、パテ・ベビーへの当時の人々の関心の高さがうかがえて、興味深いですね。

 

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