おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2024.05.02column

始まりました!「毛利清二の世界 映画とテレビドラマを彩る刺青展」

5月1日10時半、予定通り「毛利清二の世界 映画とテレビドラマを彩る刺青展」第1期が始まりました。初日に合わせて東京や沖縄など遠方からのお客様も含め、あいにくの雨降りにもかかわらず、大勢お越し頂きました。その直前まで、スタッフの皆さんは徹夜での飾り付け作業。黒い布でホール全体を埋めて、下絵がより美しく映えるよう工夫して下さいました。等身大の高倉健さんのパネルもあります。今朝、主催者のお一人、山本芳美・都留文科大学教授から下絵の保護と照明のことを尋ねられたのですが、全てLEDを用いていますので大丈夫とは思いますが、お客様がおられない間はなるべく照明を落として保護に努めます。

昨日毛利さんから山本先生が直接お聞きになったのだそうですが、このようなたくさんの下絵をお見せになったのは山本先生が最初なのだそうです。それまではずっと断り続けておられたとのこと。何が毛利さんの心を動かしたのでしょうか。山本先生の熱心さ、視点なのでしょうね。第1期[60年代・70年代]は6月16日まで、第2期[80年代以降]は6月19日~7月28日まで、通期の作品を除いて展示替えをして、40年以上にわたって俳優・刺青絵師として活躍されてきた毛利清二さんの活動を網羅的に紹介します。

『映画秘宝』6月号(秘宝新社)を先ほど初めて買ってきました。10~11頁に「東映仁侠映画・実録やくざ映画を支えた刺青絵師・毛利清二 遂に刺青下絵を“ご開帳”⁉」の見出しの見開きで、カラーの下絵4枚と日本アカデミー賞受賞の賞状を手にした毛利さんの写真が掲載され、当館で5月1日~7月28日まで特別展が開催されると案内が載っています。文章を書かれたのは、山本芳美ご自身。先生は既に2016年に出版された『イレズミと日本人』(平凡社)で「映像界に刺青絵師という職業がある」と紹介されています。昨年3月に、今回の展覧会でご協力いただいた東映太秦映画村・映画図書室の紹介で、毛利清二さんと初めて会われました。それからずっと山梨県都留市から京都太秦の映画図書室に通うこと、延べ9回。45時間以上を費やして毛利さんにインタビューを続けられたということです。

山本先生が昨年7月2日入洛の折に初来館され、「映画の刺青の研究をしている」と仰られたのを興味深く思いました。と言いますのも、私は卒業研究で「隼人の吠声」をテーマに調べたことがあり、古代畿内に移住させられた隼人たちと関連すると思われる古墳から出土した埴輪にみられる鯨面、中国や台湾などの少数民族の刺青文化に興味を持っていたからです。実際の毛利さんの下絵を見たのは3月15日京都大学吉田南構内総合人間学部棟1102で行われた[東映・刺青絵師 毛利清二氏に聞く 「俳優に刺青(スミ)を描く(ナガス)とは]の時でした。とても美しいと思いました。

鶴田浩二さんや高倉健さんは、台本に刺青の場面があると毛利さんを指名されたそうで、大スターたちを美しく描く技量を高く評価し、毛利さん自身が俳優としても活躍されていたからこそ映像として見栄えの粋が分かると信頼しておられたのでしょう。大スターばかりではなく、市井の彫り師さんたちにも大きな影響を与えておられることが、初日の昨日や今日のお客様をみていて思います。

もうひとつ、「文化通信 速報」(18213号、文化通信社)5月1日号にも、「◎東映京都撮影所の刺青絵師・毛利清二氏の企画展開催」の見出しで大きく載っていることを、昨日、知り合いの方から教えて貰いました。この紙面にも俳優の高橋英樹さんの「日活にいたころから毛利清二さんの描く刺青の美しさに惹かれていました。毛利さんの刺青は他の誰よりも秀逸で、まるで着物の図柄のような繊細なデザインと鮮やかな色使いは研究熱心な毛利さんならではのものでした」とのコメントが載っています。いろんな媒体で、会場となった当館の名称が載っていることは、広く知って貰える機会になりますので、主催者の山本先生はじめ関係者の皆様に厚く御礼を申し上げます。

さて、昨日の午後は1時半と4時からの2回にわたって、山本先生のトークイベント「展覧会の見どころ 毛利清二と作品の魅力」を開催しました。それに合わせて毛利さんもおいで下さいました。94歳になられたばかりなのに、背筋が伸びてシュッとして恰好良いですね。最初に山本先生からこの展覧会開催に至った背景や展示についてお話があり、続いて毛利さんのお話。

聞いていて面白かったのは「子どもの頃から絵を描くことが好きで、とりわけ人物画が好きだった。小磯良平さんの絵が好きだった。マンガが得意で、あだ名は“画伯”だった」という話。「四条商業の柔道部員で、その頃は男子校。戦争が始まり学徒動員に駆り出された。大丸の地下室で旋盤をやった。ほとんど勉強をしていない」。そういうこともあってでしょうか、高校卒業後は呉服屋の衣装部でデザインをしていたそうです。「図案家の先生の所へ行くと、画学生が絵を習いに来ていた。呉服屋の経営が厳しくなって辞めさせられ、職探しをしていたら、図案家の先生のところで知り合った画学生と出会い、『職探しをしている』と言うと、映画のエキストラのアルバイトを誘われた。天神川の宝プロダクションへ行ってエキストラをやったのが、この道に入る契機になった」そうです。いろんなことが運命に導かれているように思いながら話を聞いておりました。“画伯”というあだ名で呼ばれていたのは、今展示している絵をみても頷けますね。

もう一つ印象に残ったのは、会場から「俳優さんの体に絵を描く時は、下絵と見比べながら描かれるのですか?」という質問に答えて「ぶっつけ本番で描く。下絵は頭に入っているから、下絵を見ながら描くことはない」という答えでした。「凄い」という言葉しか思い浮かびません。80歳になり「刺青部屋」があった俳優会館を出てからの14年間は「仕立屋銀次」をしているそうです。浴衣を1枚縫ったそうです。単衣の浴衣は縫えますが、袷の着物を作ろうとしているそうです。全て独学。刺青の仕事も独学でしたから、創意工夫することが負担ではなく、お好きなのでしょう。ショルダーバッグも手作りされています。最初に一個購入して全部ほどいて解体し、手縫いで再構築し、次にミシンで縫ってみるそうです。今は、袴作りを勉強中だそうです。こんな94歳って、凄くないですか⁈

なお、会場での撮影は禁止ですが、上掲写真に写り込んでいる3枚の下絵は撮影可です。毛利さんが指差しているのは、▼渡辺謙さんへの刺青下絵「不動明王」。橋本一監督『新・仁義なき戦い/謀殺』(2003年)▼その上が高倉健さんに描いた「不動明王」。シドニー・ボラック監督『ザ・ヤクザ』(1974年)▼毛利さんの背後の大きな刺青下絵は、緒形拳さんに描いた「不動明王と紅葉散らし」。大森一樹監督『継承盃』(1992年)です。

初日午前中に来られた中野寿棲さんから手拭いを頂戴しました。フォロワーがたくさんおられて、この催しのことを広くご紹介いただいたようです。ありがとうございます💗そのご紹介で来て下さった方の彫り物が凄くて、驚いたので写真を撮らせていただきました。二代目彫和歌さん。

思わず言ってしまったのが「痛かったでしょう」。麻酔は医師法に触れるので使えませんから、ひたすら我慢でしょうか。その彼が彫ったのが、これまた凄いです(下掲写真)。

「凄い‼」という言葉以外に思いつかなかったです。私だけに見せて下さいましたが、「首から下なら公開しても良い」という事でしたので、そうさせて貰いました。絵の調子を見ていると、毛利さんの影響を受けておられるような気がしました。色鮮やか、綺麗で見事な彫りです。どれだけの時間を要して彫られたのでしょうか?うっかりお聞きするのを忘れてしまいました。

昨日16時からのトークイベントには私が把握しているだけで、2人の京都の彫り師さんが参加されていました。その内のお一人に話をお聞きしたところ、「刺青に触れる機会がないので、こういう展覧会で接して貰えたら理解が深まるのではないか」と話しておられました。今日も各地から刺青に関心ある人々がお越しくださいました。インバウンドでお越しくださっている海外の人にも、日本の刺青の繊細さを見て貰いたいような気が。

ともあれ、展覧会は始まったばかり。7月28日までどのような出会いがあるのかわかりませんが、世の中には大勢の刺青ファンの方がおられることは、この二日間だけでもよくわかりました。身体をキャンバスに見立てて、自分らしさを精一杯表現されているのでしょう。「いやぁ、凄いです‼」。

 

 

 

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