2025.03.31column
芦屋小雁さんの訃報
今朝の新聞で、芦屋小雁さんが3月28日に亡くなったことを知りました。91歳。
友禅の町工場の生まれだったことも記事で知りましたが、友禅の型染をしていた家を再活用した織屋建ての家だったミュージアムの雰囲気が懐かしさをおぼえられたのでしょう、来館の折に、映写機などに触れながら「良いなぁ、ずっとここに住みたいわ」と嬉しそうに話しておられました。既にご自身が認知症を公表されていた時期でしたが、大好きだった映画に関する機械に触れながら会話した内容はとてもスムーズで、病気のことを「本当かしら?」と思ったものです。人間は好きなものに囲まれていると、何て穏やかで幸福感に満ち、素直でありがたいと感じるものなのかを体全体で教えて下さったと思いました。
その傍にはいつも奥様寛子さんの姿がありました。当館に来て下さったのは、時折一斉メールをお送りしている私からの案内で「小雁さんを喜ばせてあげたい」と思われた方の機転でした。幾人もの方が小雁さん夫妻の応援団をなさっていて、その方たちの読みが見事に当たり、小雁さんはとても楽しそうに展示や無声映画の上映を楽しんで下さいました。その時のことは、こちらで書いています。/blog/column/17912.html
晩年には、最後まで手元に置いて大切にされていた紙フィルムをデジタル化する活動に協力して頂きました。私どもの引越し作業前にそれらをお返しできたので、小雁さんご夫妻は、デジタル化した紙フィルム作品をきっとご覧になったことと思います。その感想を直接お聞きする機会がないままに永遠のお別れとなってしまったことが悲しいです。
心よりご冥福をお祈りいたします。芦屋小雁さん、ご縁を本当にありがとうございました。合掌
【4月9日追記】
4月5日芦屋小雁さんの葬儀・告別式に参列してきました。とても天気が良い穏やかな日で、斎場のかもがわホールの傍を流れる高瀬川沿いには満開の桜並木が続き、道行く人々の目を楽しませていました。
右手に見えている建物がかもがわホールです。知り合いのお母さまが亡くなった時に訪れて以来ですから、随分前のことです。
引越しで忙しくて花見に行くこともできないでいましたが、小雁さんが「ゆっくり桜の花も観てごらん」と作ってくださった時間なのかもしれません。
春風に淡いピンクの花びらがハラハラ散る様子も風情があっていいものです。大村崑さんの弔事にあった「(小雁さんが)好きな桜が咲く季節」。
1階で受付を済ませ、2階に上がると、小雁さんの優しい、人懐っこい笑顔が出迎えてくれました。たくさんある写真の中から選ばれたとっておきの一枚なのでしょう。ここでも満開の桜の写真。
11時からの葬儀は一切宗教色なしで、お香の代わりにお好きだったコーヒーの香りが会場を覆い、ご焼香の代わりにコーヒー豆を祈りながら供えました。喪主を務められた寛子さんは喪服ではなく、かつて小雁さんが買って下さった夜桜を描いた反物で拵えた着物姿でした。、その当時まだ30代だった寛子さんは、地味だと思われたそうですが、それを選んで下さった小雁さんを思い、この日に2回目の袖を通されました。柄にあわせるように今年の桜は少し遅く咲いたので、既に誂えていた喪服ではなく、敢えてこの着物を着て小雁さんを見送られました。
心を打ったのは2歳年上だという大村崑さんが遺影に語り掛けた言葉。『とんま天狗』の思い出などを語りかけながら、「さみしいよう、本当につらいよう。また会おう」と涙ぐまれ、涙を誘いました。
最後まで認知症を患った小雁さんを介護された寛子さんは、小雁さんのラストステージ、ファイナルステージを思い出話を混ぜながら、映画、舞台、テレビ、アートなど思い出の映像や写真を用いて紹介。参列者の皆さんは時折笑い声をあげながら、懐かしい小雁さんの様子を思い出しながら拍手で鑑賞しました。帰りに出会った原田徹さんご夫妻に尋ねたところ、今年に入って小雁さんの体調が思わしくなく、それで沢山の映像や写真から選んで、小雁さんが好きな音楽をつけた映像を用意したのだそうです。親しくされていたからこそわかる小雁さんの思い。それを大切にして編集されたラストステージはとても良かったです。そして、コーヒー豆のご焼香を済ませた人から4階の部屋に進みます。
3階には2階に入りきらなかった会葬者がモニターでご覧になっていたようです。大勢の方が小雁さんを見送ろうと参列されました。その上の4階には、小雁さんが愛用された衣類や小道具、出演された作品のスチール写真、絵が上手だった小雁さんの絵や読みやすい書など小雁さん縁のものがたくさん置かれていて、思い出の品を貰って帰る形見分けの部屋でもありました。うちに最初に来られた時に来ておられた上着もあって、それを見ながら、その時のことを思い出しました。
そして、2階に戻って、順に花を棺に供えて最後のお別れをしました。棺がたくさんの花で覆われ、白い胡蝶蘭の花で埋まった棺に寛子さんが小さく手を振ってお別れをされていたのが印象的でした。仕事をしながら一生懸命介護もされたのですから本当にご立派だと思います。出棺の際は、拍手が沸き起こり、「日本一!」の掛け声も。温かい、心のこもった印象に残るお葬式でした。原田さんに聞いた話では、本名の西部さんと呼びかけても反応はなく、師匠と呼びかけたら反応があったとか。最後まで仕事が大好きな方でした。「日本一!」の掛け声で黄泉の国へ花道を逝かれました。こうやって皆さんに見送って貰えて、小雁さんもきっと喜んでおられるに違いありません。最後に、その人の生き方が反映されるのだと思いました。改めてご冥福を祈ります。